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遺伝ではない遺伝子

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 ざっくりとしたイメージとしては正解なのだが、それも、なったことのある人にしか分からないということであろう。
 躁鬱症というのは、確かに明るい時と暗い時のイメージがある人であろう。しかし、まさかここまで違っているなどと想像もしなかった。
 きっと、実際にそんな症状になっている自分よりも、まわりの方が敏感に察知しているのではないあ?
 というのは、躁鬱症を意識している本人は、特に鬱の時など、余計にまわりの反応に敏感になるというもので、そんな時、まわりが、
「完全に、腫れ物にでも触るような態度になっている」
 ということが分かるのだ。
 実はそういう態度を取られるのは嫌だった。
 部活をしていると、それまで動かしてきたことのない筋肉が反応するのか、特に部に入部してすぐの頃には、よく寝ている時に足が攣ったりしたものだった。
 そんな時、痛いのは分かっているのに、まわりには意識されたくなくて、必死に隠そうとしている自分がいたのだ。
「触らないで」
 と、もし、まわりが変に意識して、気を遣ってさすろうとでもしてくれるものなら、そう叫んだに違いない。
 痛くて苦しい時というのは、まわりに触られると、自分の自助能力が崩れてくる気がするのだ。
 何とか自分で治そうとして、呼吸を整えてみたり、痛みを緩和させたくて、自分のタイミングで足をさすろうとするだろう。
 そんな時、他人に触られると、それだけで、余計に痛みが増してくる気がするのだ。
 というのも、自分の身体というのが、他人に触られることに敏感になっているのを知っているからだ。
 普段であれば、他人から触られたりすると気持ちよくなってくる。耳かきをされる時の気持ちよさだったりがそうであるが、子供の頃に、祖母から、頭を撫でられながら寝ると、心地よい眠りに就けたりしたことを思い出すと分かるというものである。
 そんな鍋島が、鬱に陥った時、
「誰にも知られたくない」
 と思うのも、無理もないことだろう。
 しかし、脚が攣った時はそれでいいのだが、鬱状態の時はそうもいかない。
「なるほど、脚が攣った時は、その時一瞬のことなので、すぐに治るのだが、鬱状態はそうもいかない。どんなに短くても、半年くらいは、きついものだ」
 ということが分かった。
 ただ、すぐに、もう少し先が分かってきた。
「鬱状態というのは、半月が周期なんだ」
 ということであった。
 これは、さらにすぐに、いや連動して分かったことなのだが、
「躁状態に入った時も、同じくらいの周期ではないか?」
 ということであった。
 つまり、
「約1か月くらいの間に、躁鬱症が一回転する」
 ということである。
 確かに、躁鬱は何度かの周期が訪れるということは分かっていたが、一か月というのは、漠然とした感覚で、そもそもの中にはあった。
 しかし、それが何クール化訪れるので、
「今が何度目の鬱状態なのか分からない」
 と言ったように、自分の中で、周期が混乱してくるのが、ネックだったのだ。
 ということもあり、中学生の三年生になって、
「自分が躁鬱症だ」
 ということに気が付いた。
 それは、部活を引退する時期が近づいて、それに伴って、高校受験が、いよいよ現実味を帯びてきたからだ。
 それまでは、まわりに何でも相談できる人がいてくれたので、少々のことは乗り越えてこれたのだが、今度はそうはいかない。
 受験というのは、自分との闘いで、いくら仲がいい友達がいて、
「一緒に勉強するか?」
 ということになっても、しょせん、志望校は違うのだ。
 成績による能力も違えば、行きたい学校の校風も違っている。
 勉強をしながらでも、
「今まで仲間だった連中と離れ離れになるのは、つらいよな」
 と思うようになると、勉強自体にだけではなく、他のこともあってか、何に対してもやる気が次第に失せてくるのを感じたのだ。
「勉強したくないよな」
 と思えてくる。
 すると気が散ってきて、ついついテレビを見たり、ゲームに手を出してしまったりする。
 部活の仲間と一緒に始めたサッカーゲーム。
「高校入学するまでは、厳禁だ」
 と自分で、封印したはずだったのに、ほとんど、
「秒で解禁されてしまった」
 ということで、自分の優柔不断さを、身に染みて分かったというところであったが、自分の性格は、そんな自分を許すことのできないものだった。
 一種の、
「勧善懲悪」
 といってもいいのだろうが、
「勧善懲悪というと、善玉は最後には栄え、悪玉は滅びるということを前提に考えられたもので、時代劇ドラマなどでは、昔から定番だった」
 というものである。
 ということは、
「俺は、善玉になりたいと思っているのだろうか?」
 などと思っていると、すぐに気が散る性格の自分とは、まったく違っていると思うことが、嫌だったりした。
 それを思うと、
「勧善懲悪であるということを人に知られたくない」
 という感覚から、
「人に知られたくない」
 と思うことをいろいろ頭の中から引っ張り出すと、ほとんどのことのように思えた。

                 躁鬱状態

 それから鍋島は、次第に心を閉ざすようになっていったのだった。
 それが躁鬱症の始まりだったが、それまで知らなかったことや、誤解していたことが、こんなにもあったのかと、ビックリするくらいだった。
 まず、一つは、
「毎回のように、同じサイクルを繰り返していても、決して、その長さが長くも短くもならない」
 ということであった。
 しかも、
「感覚的にも変わらない」
 ということで、特に鬱病の時は、その傾向が強いと思うのだった。
 中学生というと、どうしても多感な時期で、中学に入ってからすぐくらいは、毎日のように、
「その日、一日一日が、まったく違って感じる」
 と思うようになっていた。
 長いと感じる時もあるし、あっという間に過ぎる時もある。その共通性がどこにあるのか、自分でもハッキリとしないのだが、なぜハッキリとしないのかというと、
「どんな気分の時に長く、どんな時に短いのか? ということが分からないからだ」
 と思っていた。
「楽しい時、嬉しい時に長く、辛い時、苦しい時に短いのであればいいんだが」
 と思っていたが、どうもそうではないようだ。
 だったら、
「正反対の感覚の時なのか?」
 と思ったが、どうも一概には言えないようだった。
 だが、友達に聞くと、
「苦しい時ほど長いんだよな」
 というではないか。
 確かにその傾向はあるような気がするが、絶対にそうだといえないのは、自分に自信がないからで、
「少しでも言い切ることができれば、躁鬱症も、軽減できるのではないだろうか?」
 と考えるようになっていたのだ。
 だが、そんな躁鬱症も簡単にはいかない。それを感じたのは、
「感覚的に、長さが変わることはない」
 と感じた時だった。
 つまり、
「錯覚ではない」
 ということであって、少しでも錯覚かも知れないと思うと、気休めにもなるというもので、その気休めがあてにならないのであれば、それは、
「躁鬱症が続く限り、覚悟して付き合っていかなければいけない」
 ということを意味しているということであろう。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次