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遺伝ではない遺伝子

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 説教を受けるということは、直久にとっては、屈辱でしかなかった。もっとも、そのほとんどは親の言う通りだったので、文句をいうわけにはいかない。文句を言っても、論破されるだけで、言い返すことなどできるはずもない。
 それを思うと、直久は、自分のことを、
「意気地なしで、親に逆らうことすらできない情けない男だ」
 と思うのだった。
 その理由の一つが、
「小さい頃から身体が弱かった」
 ということで、よく学校を休んだり、親が、いろいろ病院にも連れて行ってくれたり、「静養にいい」
 ということで、静養地ということで、しばらくの間、空気のいい田舎町に連れて行ってくれていたりしたくらいだった。
 その街で知り合いになったのが、上総親子だった。
 その息子というのも、
「うちの子も、昔から身体が弱くて」
 という同じ理由だったこともあって、母親はすっかり、上総夫人と仲良くなったようだ。
 母親は、家では結構威圧的な態度を取っているにも関わらず、表では、結構人のいうことを聞く、
「おとなしい夫人」
 という感じであった。
 家の態度も知っているので、
「ただ、恐縮しているだけの、内弁慶だ」
 ということは、直久が一番よく分かっていたのだった。
 家では、子供を論破できるくせに、表では自分が論破されるとでも思っているのか、そんな会話になることがなかった。余計なことを言いさえしなければ、論破されることはないからだ。
 子供心に、
「この人は、人から論破されることが一番嫌いなんだ」
 と感じたのだ。
 そして、その静養地から帰ってくると、母親が、新興宗教に通い始めたということが分かり、両親が口争いをしているのを聞いた。
 昔はそんなことはなかったはずで、父親とはいえ、論破されるのを嫌ったからだ。
 それなのに、母親が父親を自分の方が論破しているのを聞いた父親も、少し目を丸くしているようで、最後には何も言えなくなったようだ。
 捨て台詞を吐くように、
「とにかく、そんな変な宗教から、早く足を洗うことだ」
 というだけだった。
 子供ではあったが、直久は、最後に捨て台詞を吐いて話を終わるというのは、
「この人は言いくるめられたんだ」
 つまりは、論破されたということの証明だということを分かっていたのだった。
 するとどうだろう。何と、
「新興宗教などやめてしまえ」
 と口汚く罵っていたあの父親が、こともあろうに、いつの間にか入信しているではないか。
「一体、親父に何があったというんだ?」
 と子供心に直久はビックリし、同時に混乱した。
 母親が入信してから、二年後のことだったのだが、入信するのであれば、なぜ二年もかかったというのか。それも不思議なことだった。
 直久は、まだ小学生だったので、さすがに両親とも、子供まで巻き込もうという意思がなかったのか、それは有難いことだと思った。
 そもそも、子供を入信させるには、中途半端な年齢かも知れない。
 何も分からない幼児であれば、まだいくらでも洗脳はできるだろうし、大人のように、社会の荒波にもまれ、理不尽な世の中にウンザリしているところでの勧誘であれば、引っかかっても無理もないかも知れないが、そこまで世間にウンザリしているわけではないし、学校に行くのが死ぬほど嫌だったり、苛めに遭っているなどの、現在、実質的な被害に遭っているわけではなかったので、別に、
「宗教にかぶれることなんかないんだ」
 というわけであった。
 身体の弱さも、最近ではそんなにひどくはなくなっていた。
 そもそも、喘息であったりなどの、ハッキリとした病名があったわけではない。
 医者の方も、
「精神的なものだろうから、大人になるにつれて、体が丈夫になることも十分にある」
 といっていた。
 それを親の方も、直久自身も、
「そんな中途半端なことを医者がいっても」
 と、あまり医者のいうことは信用していなかったが。
 実際に、成長していくうちに、病気をしたり、発熱が頻繁に起きたりもしなくなった。
 特に中学に入ると、普通に部活もできるようになったくらいだったのだ、
 親のほうとすれば、
「これも、宗教のおかげだわ」
 と思ったようで、余計に宗教にのめりこんでいくというのは、複雑な気持ちではあった。
 だが、学校にちゃんと通えるようになったのは、宗教が関わっていようが関係なくうれしかった。
 部活も、サッカー部一択だった。
 実際に入部してみると、先輩も、
「おお、なかなかサッカーセンスあるじゃないか」
 といって褒めてくれた。
 それまでサッカーはおろか、
「身体が弱い」
 という理由で、運動はまったくしてこなかったのだ。
 それなのに、褒められると舞い上がってしまうもので、かなりの有頂天になっていたのも無理もないことだった。
 サッカー部に入部すると、そこは、練習は厳しかったし、先輩のしごき的なものは、厳しかったのだろうが、同級生の間では、そんなことはなかった。
 練習の愚痴を言い合ったり、仲間内での楽しさは、他の中学生とは変わらなかった。
 それをよくわかったのは、練習の厳しさから、部活を辞めようという意識になった時だった。
 まだ誰にも相談せずに悩んでいたことがあったが、元々、誰にも相談するつもりもなく、
「気づけば辞めていたなんてことに最終的にはなるんだろうな」
 と思っていた。
 確かに先輩との確執はあったが、突き詰めると一人の先輩だけだった。その人は、他の部員からも嫌がられていて、最初は誰にも相談できずに、悶々としていたが、同じような人もいたようで、そんな人は、部を辞めていったのだ。
 そんなことを考えていると、同級生の一人が声をかけてくれた。
「大丈夫か? どうせ、あの先輩のことだろう?」
 といって、吐き捨てるように言った。
「ああ、そうなんだよ」
 と、普段であれば、あまり人の悪口を言ったり聞いたりするのは嫌だった鍋島だったが、この時だけは、すぐに反応したのだ。
「あの先輩だったら心配しなくてもいい。どうせ、もうすぐ引退するさ」
 というのだ。
 なるほど、その先輩は三年生だった。自分たちが入部して半年。そろそろ冬に近づいていく。学校行事の文化祭が終わり。その後で三年生は引退。受験勉強が深刻化するというものだった。
 そのことを、鍋島は失念していた。
「そうか。そうだったよな。忘れていたよ」
 と、それまで暗雲が頭の中に立ち込めていたが、それが一瞬にして晴れていくような気がしてきた。
「完全に忘れていたような気がするな」
 と思うと、それまでの自分とは今が違っているように感じた。
 その時には分からなかったのだが、その感情が、自分の中で、
「躁鬱症」
 の原型を作っていたのだった。
 躁鬱症というのは聴いたことはあったが、あくまでも漠然としたものであり、ハッキリとどういうものなのか、知る由もなかったといってもいいだろう。
 漠然と知っていたのは、
「明るい性格と、暗い性格が共存しているような、二重人格的な性格になる人のことなんだよな」
 というイメージであった。
 そのイメージは間違いない。
作品名:遺伝ではない遺伝子 作家名:森本晃次