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合わせ鏡のようなマトリョシカ

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「それは、次元が違うからですよ。同じ次元であれば、実際に存在する距離を超越することはできませんからね。つまりは、異次元だから可能なこともあるという考え方ですね」
 というではないか。
 完全に、相手は頭が混乱していた。
 相手も、本当に聞くんじゃなかったと思って、
「ありがとうございます」
 といって引き下がった。
 本来なら、作家インタビューには慣れているつもりだったが、ここまで話がカオスになってくると、本人もどうしようもないのだった。
 その時に書いた話を、出版社側が、宣伝として、SF小説として、出してしまった。それを彼は、
「これは決してSF小説ではない、これは、あくまでも、パラレルワールドの世界だ」
 と言い張っていたようだ。
 その状態を、本人は、出版社に、
「ドッペルゲンガーだ」
 と言ったという。
 どうやら次作がドッペルゲンガーの話のようで、それが、続編になるということであった。だから、あくまでも、
「パラレルワールド」
 であることにこだわるのだった。

                 キリスト教の正体

 安藤が描いた歴史小説は、題材とすれば、結構ベタなものだった。
 時代は戦国から、関ヶ原までを描いているものだが、ここでの歴史小説は、結構題材が多かったりする。
 ベタなところでは、今川義元VS織田信長における、
「桶狭間の戦い」
 武田信玄VS上杉謙信の、
「川中島の戦い」(特に第4次)
 そして、合戦では、何と言っても、
「関ヶ原の戦い」
 である。
 それ以外には、事件としては、何と言っても、信長暗殺においての、
「本能寺の変」
 であろう。
 その中でも、彼は、
「本能寺の変」
 を扱った。
 これだけでもベタなのだが、問題は、黒幕説であった。
 信長というと、革命児のイメージが強く、寺社仏閣を焼き討ちしたり、本願寺などの宗教を敵に回したりしているので、周りが敵だらけという意識がある。
 ただ、宗教を敵に回したといっても、弾圧したわけではなく、あくまでも、
「自分に敵対する勢力は、敵である」
 という当たり前のことを貫いただけである。
 つまりは、
「宗教というのは、死んだ後のことを救うなどと言っているが、死後の世界など誰も見たことがないので信用できるものではない。世の中が絶望的だから、何かにすがるしかなくて、宗教に走るというのは、無理もないことだ」
 といえるのではないだろうか。
 つまりは、そんな人たちを騙し、さらには、この世を救うこともできず、堕落し、さらには政治にも口を出すという、
「宗教の本来を見失ったものを攻撃して、何が悪い」
 ということである。
「キリスト教弾圧よりも、マシではないか?」
 と言われるが、果たしてそうなのだろうか?
 キリスト教というのも、そもそも、戦国時代、世界では大航海時代で、新大陸が発見されたりすることで、アジアも身近になってきた。そこで、スペインやポルトガルが中心になって、キリスト教の布教とともに、貿易を行おうとした。
 しかし、彼らは、キリスト教を布教させ、その土地の宗教との間に混乱を生じさせ、世情が混乱してくると、軍隊を送り込み、その勢いで、植民地にしてしまおうという作戦だったのだ。
 戦国時代は、さすがに、ただでさえ国がまとまっていない状態で軍隊を送り込んでもどうしようもないので、キリスト教を布教させた後で、国を支配する作戦だったのかも知れない。
 信長は、貿易を最大に考えた。
「まずは天下を武力で統一する」
 という意味の、
「天下布武」
 に則っていたし、そもそも、本願寺や一向宗などの勢力に対抗するために、
「キリスト教を利用してやろう」
 とでも思っていたのかも知れない。
 さらに、信長は天下を統一した後のことも考えていたのだとすれば、
「西洋事情を知っておきたい」
 と考えたのも、当然のことである。
 ただ、ひょっとすると、キリスト教が、怪しいということをすでに分かっていたのかも知れない。
 当時、キリスト教宣教師と信長は、仲良くしていたが、それが、皮を一枚捲ると、その裏には、暗躍が潜んでいたといえないだろうか?
 本能寺の変の首謀者として、名前が挙がっているものに、
「羽柴秀吉」
「足利義昭」
「朝廷」
「長曾我部元親」
「毛利」
 などと名だたるものがあるが、キリスト教関係者の名前は一つも上がっていない。
 変わり種として、
「徳川家康説」
 もあるが、どれも、
「帯に短し、たすきに長し」
 であった。
 そこで、安藤が考えたのが、
「ルイスフロイス説」
 であった。
 彼は信長の相談役のような形になっているが、実は、キリスト教の布教と、自国からの、
「植民地化計画」
 との間で、ジレンマになっていたのかも知れない。
 だから、そのジレンマを解消するために、ある程度天下の行く末が見えてきたところで、信長を葬ることで、
「国内に混乱を巻き起こそう」
 と考えたのか、
「ただ、それでは、自分たちが疑われる」
 と感じたことで、秀吉に天下を取らせるために、
「中国大返し」
 などという大規模な作戦を用いた時に、
「裏から協力をしていたのではないか?」
 と思うと、何となく筋が通っているように思うのではないか。
 その説を唱え、作品として発表したのが、安藤だった。
 彼は、キリシタン大名を実際の数よりもたくさん演出させ、
「実は、歴史の表舞台には出ていないキリシタンがいたのではないか?」
 ということを示していた。
 そして、
「ひょっとすると、秀吉を担ぎ出すことで、自分たちを有利な立場にしようとしたのかも知れない」
 と思えた。
 それに、当時の織田軍団の中では、秀吉が一番、
「武士らしくない」
 それを利用したといえるのではないだろうか?
 秀吉が、意外と、
「できた人物で、想像以上に人望が厚かったこと」
 さらには、
「人心掌握術に長けていた」
 ということが、大きな誤算ではなかったか。
 担ぎあげたはいいが、思ったよりも君主の器だったことで、計算が狂ったのかも知れない。
 しかも、最初は秀吉も、キリスト教を擁護していたが、いつの間にか、
「バテレン追放令」
 などを出すことになった。
 そもそも、キリスト教信者が、長崎を要塞化し、さらに、そこから日本人を奴隷として運び出しているということを知ったからだ。
 そんなことをするような連中だから、
「信長暗殺くらいのことは、平気で画策するだろう」
 というのが、安藤の考え方であった。
 そもそも、秀吉がキリスト教に協力したのは、
「日本を秀長に譲り、自分は中国を攻め、中国を征服する」
 という計画だったからだ。
 そして、中国占領後は、
「中国本土での、布教を許可する」
 という話になっていたのだった。
 そういう意味では、
「秀吉もキリスト教側も、どっちもどっち」
 ということになるだろう。
 秀吉が、中国制覇を狙っていたのも、そこにキリスト教を協力させようとしたことも、歴史として解明されているということであり、この部分は決して、フィクションではない。これは逆にキリスト教布教というものが、
「侵略目的だ」