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合わせ鏡のようなマトリョシカ

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 という、まるで、討ち入りのような言い訳を用いて、首相官邸や、大蔵大臣邸、さらには、教育総監などを次々に襲撃し、警視庁も占拠し、東京市をクーデターで地に染めたのであった。
 それが、
「226事件」
 の正体であり、だからこそ、天皇が怒ったのだ。
 陸軍は、情状酌量の余地も考えていたが、天皇自ら、
「私が、自ら指揮を執って、反乱軍を鎮圧する」
 とまで言いだしたのだから、側近も慌てたことだろう。
 そもそもが、天皇の軍隊を、天皇の許可なく動かしたことが、重罪であった。
「226事件」
 というと、実際の歴史を知っていれば、派閥争いだということは容易に分かるのだが、映画などの影響からか、どうしても、
「反乱軍を可哀そうだ」
 という目で見る人が若干いて、それが日本人における
「判官びいき」
 に結びついて、真相がよく分からない状態になっているのではないだろうか?
 そんな、
「226事件」
 であったが、本城光重という男が、大学生で、アニメのシナリオを書いているやつが、いたが、彼が、226事件をアニメ風にした脚本を書いているのを見たことがあった。
「本庄重光」
 という名前は筆名であったが、いろいろなところに顔を出しているようで、その際には、別に名前を変えたりしていないようだった。
 彼がやっているのは、そもそも、歴史小説を書いていたようだ。
 歴史小説は時代小説と違って、基本的にはノンフィクション。時代考証もしっかりしていて、他の登場人物のこともしっかり調査しておかないと、歴史小説としては、まずいのではないだろうか。
 当然時代考証も間違ってはいけない。歴史小説と謳う以上は、まずいに決まっている。
 歴史小説としては、主に、幕末のあたりを描いていたようだ、
 本人は、以前雑誌の取材で、
「幕末の話が中心なんですか?」
 とインタビューアーに聞かれた時、
「私は、新鮮組が好きなんです」
 という話であった。
「やっぱり、憧れますよね?」
 と聞かれて、彼はその時、
「憧れというよりも、作品としてその隊士一人一人の人生が好きなんです。飾ることもなく、正直に描く。それが僕の新選組なんですよ」
 ということであった。
「なるほど、一人一人のドラマですね?」
 と聞かれて、
「事実は小説よりも奇なりというでしょう? あれと同じで、一人一人をその人物を正直に書いていくと、そこに関わってきた人生が浮かび上がってくるんですよ。そこが重なり合うことで、自然とまるでフィクションのように膨れ上がってくる。それが楽しいんですよ。僕はあくまでも、フィクションが好きなんですが、こういう形のノンフィクションが、フィクションのような形になるというシチュエーションが一番醍醐味があって、好きなんですよ」
 と、いうのだった。
「ところでどの隊士が好きなんですか?」
 と聞かれると、少し考えていたが、
「誰が好きとかというわけではなく、憧れの人はいるかも知れません。だけど、僕は小説を書く時は、そのお話の中の主人公になりきる気持ちがあるので、そうなると、新鮮組のような話しをリアルに描くのは、難しいんですよ」
 というのだった。
「だったら、そこは、内緒ということで」
 というと、
「これ以上聞いてもダメというよりも、下手に聴いて、作家に白状させると、話が通じなくなるということを含んでいるのかな?」
 と考えてしまった。
 もちろん、考えすぎだという感覚はあるだろう。
 しかし、本当に好きな人を話してしまうと、
「作家として書けなくなるということだろういか?」
 ということを考えると、
「好きな人を言ってしまうと、ノンフィクションでは書けなくなるということを自分から暴露しているようではないか?」
 と考えるのだった。
 そう考えると、
「歴史の話を書く場合、歴史小説か、時代小説かということで、結構厳しい境界線のようなものがあるのかも知れない」
 とインタビュアーは感じたことであろう。
「作家の世界というのも、結構面倒臭いものなのかも知れないな」
 と、作家の世界を知らないだけに、勝手な想像ができるのだろうと思うのだった。
「あくまでもノンフィクションで、時代考証も、取材もきっちりしておく必要がある歴史小説」
 と、
「架空の話で、登場人物や時代背景は、実在の話である必要があり、まるで、別の次元のようなお話が、時代小説ではないか?」
 というものだった。
 そんなことを考えると、
「歴史小説と時代小説の境について、真剣に考えてみたい」
 と考える人がいた。
 それが、時代小説家の安藤信光だったのだ。
 二人は、元々、学生時代からの知り合いだった。
 同じ大学のサークルに所属していて、お互いに切磋琢磨していたのだが、ある時、二人が些細なことで口論となり、それは、二人の運命を決めることになったのだから、おかしなものだ。
 といっても、口論というだけで、別に喧嘩をしていたというわけではない。
 どちらかというと、お互いの自論を戦わせていたというだけのことだったのだが、周りが見ると、
「まるで喧嘩しているようにしか見えない」
 というのだった。
 そもそも。二人は、普段から話をするような二人ではなかった。同じ小説家を目指している間柄だったが、それ以外のところで接点はない。
「フィクション小説を書くことに情熱を燃やす安藤」
 そして、
「忠実な研究から、論文形式の発表を目指して、コツコツと取材や、読書で小説の材料を集めて、少しずつ固めていくという堅実派の本庄」
 二人は、ハッキリ言って、大学文芸部のホープであり、
「もし、プロになれなくても、二人はお互いに自分の道を探りながら、小説を書き続けるだろうな」
 と言われていた。
 まったく性格の違う二人が、大学で双璧となるというのは、実に面白いものであった。
 そんな二人のうち、最初に賞を取ったのは、安藤の方だった。
 彼が描いた作品は、時代小説ではあったが、話としては、どこか違う次元の話のようだったが、本人がいうには、
「これは、パラレルワールドですね」
 というのだった。
「パラレルワールドというと?」
 と聞かれて。
「平行世界と呼ばれるものなので、私としては、同一次元の別宇宙という感覚でしょうかね?」
 というのだった。
 インタビュアーが、
「意味がよく分かりませんが?」
 と聞くので、
「普通、異次元というと、本当に違う次元が存在し、その世界はこの世界と背中合わせのようなものだと考えるんですよ。でも、実際のパラレルワールドというのは、この世界とまったく同じ世界で、同じ人間が同じようにいる世界なんですよね。だから、背中合わせとかではなく、同じ世界線上にいるという感覚なんです」
 と言われて、質問したインタビュアーはパニックになっているようで、きっと心の中では、
「聞くんじゃなかった」
 と思っていることだろう。
「異次元というのは、違うんですかね?」
 と聞き返すと、
「異次元は、世界が違うんです。だから、ワームホールのようなものがあれば、向こうの世界にいけるんですよ」
 という、
「どうしていけるんですか?」
 と聞いてくるので。