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合わせ鏡のようなマトリョシカ

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 ということを証明しているようなものではないか。
 お互いに、侵略精神が旺盛だったという二組が結びついての布教活動であれば、当然のことであり、
「利害関係が一致した」
 といってもいいだろう。
 しかし、実際には秀吉は、キリスト教徒のやり口を知ってしまった。
「中国侵略だけを画策しているわけではなく、我が国に対しても、侵略意思を持っていた」
 ということが分かったことで、
「キリスト教は、想像以上に、危険分子だ」
 ということになったのだろう。
「キリスト教というのが、いつ頃から、その侵略意思をハッキリと表に出したのだろうか?」
 というのが、安藤の話の一つのミソだった。
 安藤の小説では、
「歴史における最初が違っていた」
 と書かれている。
 一般的には、
「カトリックの修道院であるイエズス会のフランシスコザビエルが16世紀に伝えた」
 ということになっているが、歴史としては、
「証拠はないが、もっと昔から伝わっていたのではないか?」
 という話もあった。
 安藤はそこに注目した。
 最初こそ、過去につたわったものと、ザビエルが伝えてきたものが、同じだと分からなかったが、次第に分かってくると、
「最初から我が国にあったものではないか」
 ということで。貿易を優先させたい信長に、布教活動はそれほど悪いことだとは思わなかっただろう。
 しかも、国内に本願寺や一向宗などの敵もいる。
 ちなにも、このどちらも、
「すべてが信長に逆らっていたわけではない。本願寺にしても、一向宗にしても、同じ宗教の中でも宗派が分かれている。その一部が敵対勢力となっているだけなのだ」
 ということであった。
 そんな勢力に対抗するためにも、キリスト教というのが必要だったのかも知れない。
 これが、国内の別の宗教であれば、混乱を招くだけで、さらに敵対勢力を増やすだけになるかも知れない。しかし、相手が南蛮渡来であるなら話は別だ。信長は、貿易を考えながら、自分の立場も考えていたことだろう。
 ただ、信長がポルトガル商人たちが、人身売買目的で、日本人を拉致して、奴隷貿易の商品として使っていたことを知っていたのだろうか?
 信長くらいであれば、知っていたかも知れない。
 あれだけ、貿易を奨励し、足利義昭に、堺などの貿易港の支配を約束させたりしたのだから、それも当然のことである。
 江戸幕府が鎖国を強硬したのは、島原の乱などが大きな原因ではあったが、最初に、
「バテレン追放令」
 を発した秀吉であったのに、それは最初だけのことで、次第に曖昧になってきたのも、その気持ちの中に。
「貿易優先」
 というものがあったからだろう。
「天下人というのは、当たり前のことだが、貿易の利益を独占したいと思うのだ」
 といっても間違いではないだろう。
 だから、信長が、
「キリスト教布教に寛大だった」
 と言われるのは、
「本当にそうだったのか?」
 という考えもあるだろう。
 キリスト教徒、特に信長に近い宣教師たちは、
「信長という権力者は、一度怒らせてしまうと何をするか分からない」
 と感じたかも知れない。
 しかし、昨今の歴史家などが言われることには
「果たして、信長という人間は、本当に言われている通りの、残虐非道な人間なのだろうか?」
 ということである。
 三英傑を現した狂歌として有名な、
「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」
 という歌の印象が強く残っていることで、
「織田信長=残虐者」
 というレッテルが貼られたまま、今日に来ているのかも知れない。
 しかし、信長は確かに、延暦寺の焼き討ちなどもやっている。ただ、これだって、延暦寺に対して、
「これ以上、政治に介入したり、敵対勢力に協力をするなら、延暦寺ごと燃やしてしまうぞ」
 といって、一応の警告はしている。
 それでも、延暦寺は、信長に敵対姿勢を崩さなかった。
 しかも、寺の僧が堕落していて、
「酒は食らうは女は抱くわ」
 と言った、
「酒池肉林」
 というような状態を見ていれば、許せないと思うのは、信長ばかりではないだろう。
 しかも、今までにも、戦のはずみだとは言っても、東大寺に火をつけたりした武将もいたにも関わらず、延暦寺を焼き討ちにした信長だけが、批判されるだけではなく、性格的なところを決定的にするということになるのは、果たしてどうなのだろうか?
 信長としては、
「世の中を変えたい」
 という意思が強かったということであれば、堕落した僧侶を許せないという気持ちも強いだろう。
 あくまで、自分を、
「第六天魔王」
 と名乗り、
「神になろうとした」
 とも言われているのだ。
 もちろん、本物の神になれるわけではないので、日本における天皇と同等か、できればそれ以上の絶対的な力がなければ、この国を治めていけないと考えていたのかも知れない。
 そういう意味で、
「敵対勢力に対しての排除は、絶対的に必要なことだった」
 に違いない。
 そこまで徹底しておかなければ、
「天下を握ったはいいが、その地位をいつの間にか危険にさらすことになる」
 というのを分かっていたのだろう。
 だから、貿易を続けながら、信長は、キリスト教を危険視していたことだろう。
 いくら、本願寺、一向宗への睨みと防波堤として使っているとはいえ、
「やつらだって、宗教団体の一つなので、同じ穴のムジナなのかも知れない」
 と感じたとしても、無理もないことだ。
 しかも、人心売買まで、同じ国の商人がやっていることを見て見ぬふりをしてるなど、日本人の感覚では分からなかったのかも知れない。
 信長のことを、ルイスフロイスは、いろいろ書いている。信長が、
「野蛮である」
 という印象は、このフロイスの書き残した文章からもうかがえるのかも知れない。
 なるほど、やったことを表からだけしか見ていなければ、
「信長というのは、短気で気に入らなければ、皆殺しにするというような、恐ろしい人物だ」
 ということになるだろう。
 しかし、考えてみれば、秀吉はもっとひどいことをしている。
 信長は、正々堂々と戦をして、相手を全滅させることはあったが、時代が戦国の世であれば、それも当たり前のこと。
 しかし、秀吉は、皆殺しにしないかわりに、攻城戦においては、水攻め、兵糧攻めと言った、
「じわじわ攻めて、相手が降参してくるのを待つ」
 という作戦が多かったが、じわじわと苛め抜き、結果大量の餓死者を出すというような戦法に、
「考えようによっては、こっちの方が残酷なのではないだろうか?」
 といえるのではないか?
 実際に、派手な戦闘が残虐で、じわじわいくのは、残虐ではないと果たして言えるのか?
 時代というピンポイントなものが、歴史という動的なものに、どのように影響しているのかということを考えると、
「キリスト教も影響は、ザビエルが渡来してくる前から、じわじわあったのかも知れない」
 と考えるのも自然ではないだろうか?
 それまで、歴史上、文献が残っていないというのは、実際には布教はあったし、信者もいたのだろうが、他の宗教に遠慮してか、それとも、