合わせ鏡のようなマトリョシカ
「歴史のターニングポイント」
となるのだ。
そんな歴史のターニングポイントとしての、
「城の運命」
として、明治初期に発令された、
「廃城令」
というものだった。
時代は、鉄砲や機関銃などの時代に入り、近代戦というものが起こってくると、日本古来の、
「城郭」
というものが、
「無用の長物」
となってきたのだ。
確かに、文化財としての価値はあるのかも知れないが、当時の明治の日本には、それどころではない、のっぴきならない事情があったのだ。
というのは、それまで鎖国をしていた日本が、開国するにあたって、行われた、
「砲艦外交」
によって、半ば強引に、
「不平等条約」
の締結を余儀なくされたが、それも。しょうがないことで、他のアジアの国のように、植民地化されなかっただけでもよかったといえよう。
最初は、
「攘夷」
ということで、外国の打ち払いが中心の志士たちであったが、そのうちに、薩長戦争や、下関四国艦隊襲撃事件などで、海外の力を思い知った薩摩や長州では、弱腰の幕府では、
「いずれ、日本も植民地化されてしまう」
という憂いから、尊王倒幕に動くことになった。
幕府を倒して、新政府を樹立したが、そもそも、薩長や土佐などと言った藩だけでの派閥政治だった。
だが、
「外国と平等に渡り合うには、日本という国を、海外のレベルにまで近代化させる必要がある」
ということだったのだ。
明治政府は、そのために、数々の政策を打ち出し、武士の世界を排除しようと考えるのだ。
そうなると、特に城などは邪魔でしかなく、
「軍の施設として登用できる」
というところはそのまま残して、他の城は取り潰すという、
「廃城令」
を出したのだった。
廃城令で、残っていた城もほとんどが壊されたのは言うまでもないが、残った城も、それから、70年後の、大東亜戦争での、空爆によって、焼失することになったのだ。
元々、国際法である、
「陸戦協定」
では、空爆に対して、
「軍事施設のみを標的として、民間の施設などは標的にしない」
ということだったはずだ。
しかし、それをやっていると、
「味方の被害がひどくなる割には、成果が出ない」
ということで、アメリカ内部で批判が起こった。
しかも、強固に抵抗を続ける日本軍には、少々の空襲では、役に立たない。そこで、カーチスルメイという男が、
「無差別爆撃」
を提唱したのだ。
「これならば、味方の被害も抑えられ、戦争を早く終結させることができる」
という理屈だった。
しかも、使われたのが、
「日本家屋を焼き尽くすために開発されたという、ナパームM69という特殊な焼夷弾で、投下後、空中で中の子爆弾がクラスタ状態に入っていたものが、散発され、落下していく。日本家屋の屋根や壁をぶち破り、火を放つ」
というもので、
「いったん火がつくと、水などでは消せない」
というものだった。
これによって、日本は焦土となった。
毎日のように、日本の大都市や地方都市の2,3に対して、大空襲をもたらしていた。アメリカ軍のB29では、日本の高射砲が届かない高度を飛ぶのだ。
アリアナ諸島を占領された時点で、日本の運命は決まったといってもいい。なぜなら、
「グアム、サイパン、さらにテニアン島からは、日本の主要都市のほとんどが、航続距離の範囲内なので、空爆が可能なのだ」
ということであった。
大都市に無差別に焼夷弾が落とされるのだから、木造の城などひとたまりもない。
「名古屋城、大垣城、岡山城」
などと、都市の空爆で一気に廃墟となるのだった。
さらに、広島城などは、原爆一発で、吹き飛んでしまった。何しろ爆心地から広島城などは、数百メートルも離れていないのだ。
「ほぼ、爆心地」
といってもいいだろう。
米軍が、
「広島を、第一目標とした」
という理由にはいくつかある。
一つは、
「大都市のわりに、ほぼ空襲に遭っていない」
ということであるが、これは元々原爆の標的として見ていたからだという話もあるのだが、それは、
「広島という土地が、原爆の実害実験には、ちょうどいい」
と科学者が思ったからだろう。
そして、もう一つの理由は、軍事的というか、心理的なものであり、
「広島という土地に、日本最初の大本営が置かれた」
ということからであった。
日清戦争の時に、戦争遂行のための拠点ということで、呉に近い広島に大本営を置き、さらに、大元帥である天皇陛下が、戦争期間中、広島に詰めていたということで、いわゆる、
「日本の軍国主義の発祥地」
ということで、標的となったのである。
ある意味、最後の大本営という含みが、軍としては大きかったのかも知れない。
大本営というのは、そもそもが、戦国の戦でいえば、
「本陣」
というようなものであろうか?
司令官がそこにいて、そこから作戦の指示を出したりする。ただ、それぞれの作戦であれば、その場の近くであったり、拠点となる基地からであろう。大本営というのは、陸ぐであれば、参謀本部、海軍であれば、軍令部というものが、一緒になり、大元帥である、それらの軍を統帥する天皇が、詰めている場所ということであろう。
日清戦争以降、大本営は東京だったので、明治以降、東京に遷都してから、天皇が、
「首都を離れた」
というのは、後にも先にもこの時だけだったのだ。
そういう意味で、広島というところは、重要な土地だといってもいいだろう。
それを思うと、米軍が原爆を落とした理由も分からなくもない。
結局日本は、2発の原爆投下と、
「不可侵条約」
を一方的に破って攻め込んできたソ連を見て、戦争継続は不可能と天皇自らの判断で、終戦となったのだ。
何といっても、日本は、国民には、
「一億総火の玉だ」
「一億玉砕」
などとうたって、鼓舞しておきながら、水面下では、ソ連に対して、
「和平交渉をお願いしていた」
というのだ。
ソ連は最初から、日本に攻め込むつもりだったのだろうが、ヤルタ会談で、米ソが密かに協定を結んだことで、
「ソ連の介入は、決まったも同然」
だったのだ。
パラレルワールド
結局、日本への無差別爆撃で、それまで残っていた城もほとんどが崩壊し、天守で現存天守が12個になったのだ。
現存天守としての定義は、
「江戸時代以前に建てられ、そこから、一度も焼失して建て直されていない城」
というもので、
築城時とは形が違っているとしても、その再建時が、江戸期であれば、それは、
「現存天守」
ということになるのだ。
今残っている城としては、九州には、一つもなく、四国に集中している。
「伊予松山、宇和島、高知、丸亀」
の4城で、中国地方では、
「松江、備中松山」
の2城、近畿では、
「姫路、彦根」
の2城で、中部、北陸で、
「丸岡、犬山、松本」
の3城、そして最後に東北に、
「弘前」
の1城ということである、
この中で、姫路城は、実際には、姫路大空襲では、爆弾が落ちたのだが、それが運よく不発弾だったことで、焼失をまぬかれたのだという。
作品名:合わせ鏡のようなマトリョシカ 作家名:森本晃次