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合わせ鏡のようなマトリョシカ

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 と、実際に謙信でやっていて、自分が見抜いたことを思い出すと、こっちの世界でも同じなのかが、実に興味深かった。
 なるほど、頃合いのいいところで、勘助が、
「殿、いい作戦がございます」
 といって、
「キツツキ戦法」
 を持ち出してきた。
 だが、それを聞いた信玄である主人公は、作戦には載ったが、元々の本隊である八幡原に送り出す兵を、史実として残っている8000を、別動隊の12000人と逆にして、待ち受ける方の人数を割いたのだ。
 実際に、別動隊が、妻女山に登った時、本陣はもぬけの殻であったが、よく見ると、ゲリラ部隊のようなものが、潜んでいたようだ。
 一気に、本隊に合流することができなかった別動隊であったが、本隊が大人数になっていたことで、何とか、時間を稼ぐことができた。
 お互いに一進一退の中で、別動隊が背後をついてきたのだから、謙信はひとたまりもなかった。
 ただ、討ち取ることはできず。散り散りになって、越後に引き返したという。
 さらに、その戦の半年後、何と、上杉家の方から、和議を申し出てきた。これは歴史にはなかったことだ。
「どういうことなんだ?」
 と思い訊ねると、
「かくまっていた信濃の国人であり、信玄に領地を奪われたといって越後に助けを求めてきた、小笠原と村上が、越後で反乱を起こした」
 というのである。
 彼らは、謙信に見切りをつけて、織田軍と結び、越後を手に入れ、そこから信濃を奪還しようと考えたのだ。
「上杉だけに任していては、いつまで経っても相打ちだ」
 と思ったのだろう。
 そのため、孤立を恐れた上杉が、武田と和睦し、あわやくば、武田と同盟を結べれば、関東の北条とのよしみもあることで、まわりから攻められることはなくなり、
「上杉・武田・北条VS織田・徳川」
 という勢力図が出来上がることになる。
 もちろん、史実とはまったく違った構成だった。
 しかし、これも、主人公が、
「川中島の合戦で、兵の数を反対にした」
 ということで。歴史が変わったのだ。
 ちょっとした歴史の変化から、可能性が膨らみ、まったく違った世界が出来上がったことで、この世界は、無限に存在しているうちの一つだと考えるか、それとも、どんなに歴史が変わろうとも、史実なのか、こっちの歴史なのかの二択しかないと考えると、
「この大きすぎる変化も分からなくもない」
 とかんがえられたのだ。
 つまりは、
「どんなに可能性が無限にあろうとも広がる未来に可能性は、限られている」
 ということである。
 そのことは、
「時間というものが末広がりな矛盾からできているものの証明なのかも知れない」
 と感じさせる。
 だから、歴史を変えてしまうと、パラレルワールドの発想から、タイムパラドックスの証明にもなるが、逆に、果てしない可能性を秘めているのかも知れないということで、
「同じにしかならないか、まったく違う形を世の中にもたらすかのどっちかも知れない」
 といえるだろう。
 しかし、その可能性も、パラレルワールドもそれぞれを証明することができないので、完全な想像でしかないのだ。
「だが、この二つに結果が別れるのだということになると。この二つの間に、原因と結果という関係性が潜んでいるのではないか?」
 ということである。
 タイムパラドックスというのは、あくまでも、対うトラベルを可能だと考えたとするならば、その過程の証明に、パラレルワールドはなるのだろうが、では、
「パラレルワールドというのは、いくつ存在しているのだろう?」
 と考えた時、この話の結論として、
「まったく別の世界が変わるだけ」
 という発想になるのか、
「逆に、まったく変わってしまったことで、今度は歴史が最初は微妙に歪んでいき、途中からまったく違った世界が開けてくるのだが、最後には世界に限界があることから、結果は元のところに戻ってくる」
 ということである。
 後者の場合は。
「合わせ鏡」
 の発想のように、どんなに進んでも、ゼロになることはない。
 だからこそ、
「限りなくゼロに近いもの」
 というものが答えになる。
 ということであるが、パラレルワールドが二つであれば、もう一つの世界というのは、限りがある世界で、一度その端まで行ってしまい、そこから戻ってくることで、辻褄が合うという、
「元の位置に戻る」
 ということになるのではないだろうか?
 そう、無限に広がるものではなく、パラレルワールドは、この世界の対でしかないのだ。つまりは、
「裏と表」
「光と影」
 というような、決して次元の違う場所ではない、今の世界。
 そこを、
「辻褄を合わせるための発想である」
 という、
「もう一つのパラレルワールド」
 というものが存在するのではないだろうか?
 となりとファンタジー小説のラストがどのようになるかということは、何となく分かってくるというものである。
 小説の中で、武田信玄を演じている主人公は、上杉謙信との闘いを、何とか痛み分けという形で終えることができた。
 ただ、謙信は、領地を返してもらえなかったことで、小笠原、村上に狙われることになったのを、信玄、謙信の同盟という形で、何とか危機を免れたが、それが、今度は、関東甲信越から、甲斐、信濃あたりまでの大きな同盟を築くことになったのだ。
 それによって、何が起こったかというと、
「信長が、自由に動けなくなった」
 ということである。
 本来であれば、信長に敵対していたはずの。本願寺や、一向宗、雑賀や根来州などが、今度は信長、家康に味方をするようになった。
 これは、もう、関東甲信越連合と、近江、尾張、三河、駿河を中心として、
「織田、徳川連合軍が形成され、日本が、
「二大勢力に、別れてしまう」
 ということになり、何やら、どこかで聞いたかのような感じとなった。
「そう、関ヶ原の戦い」
 である。
 本来であれば、1600年に起こることであるが、まだ織田信長どころか、謙信も信玄も存命中のことであり、そうなると、時代は30年ほど早かったといってもいいのではないだろうか。
 ということは、別の発想ではあるが、
「まるで金太郎飴状態なのが、歴史ではないか?」
 ということであった。
 つまり、
「どこで切っても金太郎」
 というわけではないが、切った場所がどこであっても、同じだという発想である。
 ただ。これは、どこで切っても同じだというほど漠然とはしていないが、発想としては似ているもので
「どこで切っても、何かの始まりになりえる」
 ということでもある。
 ということは、何か始めたことが、うまくいかないとしても、やり直しというものは時間をさかのぼらないとできないが、時間をさかのぼらず、その時点で、何もない状態にして一から組み立てるということができるとすると、途中まで作った発想が頭の中に残っているかどうかで変わってくるだろう。
 ただ、やり直そうという発想なのだから、その時点で、
「失敗だった」
 という思いは起こっているはずだ。
 だから、
「そこまでの記憶がある方が、何が間違いでこうなったのか?」
 ということが分かっているということで、
「失敗しない」
 という発想になるだろう。
 しかし、