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合わせ鏡のようなマトリョシカ

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「失敗してしまったんだ」
 ということが頭の中に残ってしまえば、それは、
「また、うまくいかなかったらどうしよう」
 という、トラウマを生み、結果、マイナス思考が働いて、先に進めないという、ネガティブにもなってしまうということだ。
 そうなると、
「どっちがいいのか?」
 という発想にあり、
「消去法と加算法のどちらを取るか?」
 ということになる。
 意識を持ったままやり直す場合は、消去法の考え方になり、意識を持たずに一からということになれば、加算法ということに落ち着くに違いない。
 それを考えると。
 その人の性格にもよるのだろうが、ここまで考えるということは、絶えず、
「逃げ道を考えている」
 ということになるので、考え方はネガティブではないだろうか?
 理想としては。ゼロから積み重ねたいと思うのだが、実際には。ゼロになっては困る。つまり、
「限りなくゼロ」
 というものに近くてもいいのだが、
「ゼロになってしまっては困る」
 ということなのだろう。
 それを考えると、やはり、ゼロからというのは理想であるが、怖くてそれはできない。確かに、トラウマが残るというリスクはあるだろうが、ゼロというリスクよりもいいというものだ。
 それを自分に理解させようとするために、
「過去から繋がっている歴史というのは、大切なことだ」
 として、歴史というものを大切に考えようとする。
 だから、歴史を大切に思う人は、
「怖がりで、実績のないものに掛けるという勇気を持ち合わせていない」
 ということになるだろう。
 それが、この小説を読んでいて感じたことであり、タイムスリップというものは、いくら小説の中でも、嫌だと思うのだ。
 一歩間違うと、
「パラレルワールドというものは、理論的にはその存在を否定はできないが、自分の中にあってほしくないものだ」
 といえるのではないだろうか。
 そんなことを考えていると、一つの疑惑が起こってきた。
 それは、この時、主人公と、そのライバルである、武田信玄、上杉謙信ともに、それぞれの居城(館)として、
「躑躅崎館」
 と、
「春日山城」
 とが存在するが、偶然というか、その二つは、天守を持つ城ではなかった。
 確かに前述のように、
「城というのは、必ずしも天守を必要とせず、天守は、領主がその威光を天下に知らしめるために作られた」
 という含みが大きい。
 そもそも二人が生きた時代は、信長が尾張を制圧している時期が一番兄妹だった。
 ある意味、
「武田信玄が、上杉謙信の相手をせずに、さっさと上洛を考えていれば、織田家も安泰だったどうか分からない」
 といえる。
 その時代背景として、武田は、まわりを有力大名、特に強力な武将に囲まれ、それぞれが、同盟を結ぶような感じで、お互いが抑止力になり、大きな争いはなかった。
「駿河の今川義元」
「関八州を手中に収めた相模の北条氏康」
「北は、越後の長尾景虎」
 であった。
 それぞれに、婚姻関係を結び、政略結婚などによって、関係を深め、お互いにけん制し合うことで、倒壊、甲信越地方の安定が保たれていたのだ。
 そんな時代において、
「本来であれば、どこかひとつの平和が安定しなければ、「全体が崩れてしまう」
 といえるであろう。
 そんな中、最初に動いたのが、今川義元だった。
 義元は、京に登る道すがら、尾張を平定し、
「行き掛けの駄賃」
 とするつもりだったと言われ、それが、桶狭間の合戦を引き起こしたという。
 しかし、今川が京に本当に上ろうという意識があったのだろうか?
 京に攻め上るということは、
「足利幕府を奉じる、あるいは、朝廷からの招きでもなければ、京に上ったとしても、展開号令などできないだろう」
 となると、あの時、義元は、
「ただ単に、尾張を手中に収めて、すぐに帰ってくるつもりだったのかも知れない:
 もし、本気で京に上ろうというのであれば、いくら同盟を結んでいるといっても、本国を留守にしているうちに、武田か、北条が、駿河に攻め込んでこないとも限らない。
「ひょっとすると、連合軍を組んで攻めてくるつもりであれば、当主もいない国などひとたまりもない」
 ということになるのではないだろうか?
 それを思うと、
「京に上ろうとしていた」
 というのは、どこか違っているように思えるではないか。
 そこで、いろいろ考えられる。
「織田軍が、誘いこんだ」
 という説だって出てこなくもない。
 ひょっとすると、桶狭間の合戦が、長引くと、武田や北条と織田が結んでいて、
「背後から今川軍をつく」
 という密約ができていたかも知れない。
 だからこそ、本当に
「京に攻め上る」
 といわれていることが本当であれば、いとも簡単に、武田や北条が許すはずがない。
 ひょっとすると武田が、今川に、
「背後は任せておけ」
 とでもいったのかも知れない。
 今川としては、追放した父親を預かっているということもあって、武田には恩を着せていたのかも知れない。
 さらに、川中島の合戦の折り、内陸国である甲斐を苦しめるということで、塩を送らないようにすると、塩不足に悩まされ、上杉謙信が、武田に、
「塩を送った」
 ということで有名になったわけだ。
 つまり、北条か今川の領地から塩を融通してもらっていたということになる。
 そういう意味では、
「武田は今川に頭が上がらない」
 ということになる。
 それを考えると、今川が動いたのは、
「武田と北条に対しての備えは万全と思っていたのだろう」
 それだけに、
「まさか武田が織田と結ぶということは考えられない」
 という考えがあるかも知れないが、武田としても、尾張を狙っていたのかも知れない。
 一度同盟を結ぶというような甘いことを言っておいて、いずれは尾張侵攻のための足掛かりにしようと思っていたというものだ。
 だが、
「武田と織田が結んでいる」
 などということがバレると、今川、北条との同盟は波後にされることになる。
 これだけ強い同盟を結んでいるのに、さらに危険を犯してまで、
「織田と結ぶ」
 というのは、
「同盟が崩れた、いざという時のための隠し玉として持っていたのかも知れない」
 という考えがあったからなのかも知れない。
 何しろ戦国時代が、群雄割拠の時代であり、下克上などのような、それまでとは違った、
「何でもありの世界」
 ではないか。
「これでもか」
 というほどのいろいろな策、隠し玉をもっていなければ、生き残ってはいけないというものだ。
 武田としても、
「織田に勝ってもらわなければいけなかった」
 というのが、桶狭間だったのかも知れない。
 今川が順当に勝てば、
「領土が増えてしまい、力の均衡が保てなくなる可能性もある」
 さらに、
「武田が、京を目指すには邪魔になる」
 ということもあって。今川が織田を攻めるということになった時、反対をすることもなかったのは、
「この機会に今川を潰しておいて、義元亡き後の駿河を占領しようと考えたのかも知れない」
 だから、
「織田軍が、奇襲により、戦に勝利した」
 という、戦国三大奇襲の一つに数えられる戦いを、織田軍が寡兵で成し遂げることができたのではないだろうか?