合わせ鏡のようなマトリョシカ
としてのパラレルワールドが、広がっているということであれば、そこには、確かにもう一人の自分が存在しているということも言えるだろう。
そんな並行宇宙というものは、一つではない。ある瞬間から別れた世界ということであるので、今の現実から存在するパラレルワールドというのは、
「ひとつ前に現実であった瞬間」
しかない。
つまりは、
「一瞬一瞬のうちに、パラレルワールドというものは変わってしまっているのではないか?」
といえるのではないだろうか?
つまりは、瞬間ごとに変わるのが、未来というものであると同じで、あくまでも、パラレルワールドというものは、
「未来にしか開けていない」
ということになるのではないだろうか?
パラレルワールドというものが、
「タイムパラドックスの証明」
だという話があるが、これは、正しいとみるべきなのだろうか?
というのは、
そもそもタイムトラベルというものが、未来に行く場合と過去に行く場合とで、その可能性が違うということになる。
つまり、タイムトラベルで過去に行った場合、未来、つまりは、現実を変えてしまうという可能性を考えるからである。
「過去を変えてしまう」
ということになれば、そこから本来であれば、辿り着くはずの、
「過去に旅立った現在」
つまりは、辿り着くはずの未来が変わってしまうということになり、過去に向かうという行為がなかったことになる。
そうなると未来が変わることもなく、過去に行くことになるという発想である。つまり、過去が変わってしまえば、未来が変わる。しかし、その変わった未来が過去に来るという現実を消してしまう。
「それこそが矛盾であり、パラドックスとなり、説明がつかない、一種のメビウスの輪のような、別次元の発想のようなものになる」
といえるのではないだろうか。
しかし、パラレルワールドというのは、変わってしまったという過去が、現在に来る間に元に戻るというもので。
「変えた過去というのは、結局はまた過去に戻るための歴史である別の並行世界の道を選ぶ」
ということで、
「世の中というのは、最後には辻褄が合うようになっている」
という。かなり強引な考え方になるのであった。
本当に都合のいい考えで、
「パラレルワールドというのは、あくまでも、タイムパラドックスの辻褄を合わせるがために考えられた都合のいい世界」
ともいえるであろう。
だが、一見そう見えはするが、何かの仮説があり、それを証明するために、新しく創造するというのは、普通にあることで、ただ、今度はそのパラレルワールドを証明しなければいけないということで、ひょっとすると、また別の世界を作ることになるかも知れない。
それが無限に広がっていくものだとすれば、それこそ、
「無限へのマトリョシカ人形のようなものだ」
といってもいいだろう。
マトリョシカ人形というよりも、もっと科学的な発想をしようとするならば、
「合わせ鏡」
という発想である。
自分の前後か左右に、鏡を置いて、自分を写した時、そこに写っている自分はまた反対側の鏡に写り、どんどん小さくなりながら、遠ざかっているように見える。
その発想は、
「限りなくゼロに近い」
という前述の発想に似ているものだといえるのではないだろうか?
「どんなに細分化したとしても、存在するものは、ゼロにはなることはない」
という考え方であった。
そんなパラレルワールドであるが、もう一つ考えていたのが、
「もしも」
という考え方であった。
歴史に、
「もし」
ということはありえないというのが通説で、それでも考えてしまうのは、
「架空の話であれば、ありではないか?」
ということであった。
確かにフィクションであれば、何でもありで、それを、
「時代小説というのではないか?」
ということになるが、いくら時代小説でも、そこにタブーと言われるような話が入ってくれば、それは、
「すでに、時代小説ではない」
といえるのではないだろうか?
特に最近は、ドラマ、映画、アニメなどでよく使われる手としてあるのが、
「タイムスリップもの」
ではないだろうか?
そうなってしまうと、次代小説というよりも、SFであったり、ファンタジー小説という形になりがちだが、それでも、
「時代小説だ」
と言いたいのであれば、時代考証くらいは、しっかりしておかなければいけないだろう。時代考証まで変わってしまうと、そこは、パラレルワールドということになり、SFに入ってしまうのではないかと思うのだ。
「タイムスリップにしてまで、時代小説をどうして描くのか?」
ということを考えてみたが、
「最近の若い連中は、興味のあること以外は、見ないという傾向にある」
といえるのではないだろうか?
特に歴史などというジャンルは、好きな人は徹底的に好きなのだろうが、学校の授業で暗記の部分が覚えられなかった場合、テストが散々だったりすると、
「歴史なんて大嫌いだ」
ということになるだろう。
すると、歴史ものの小説や、マンガは見ないようになる。これが映像化されてアニメや映画になったりすると、興行問題にかかわってくるだろう。
そのため、最近では、歴史というものを、ファンタジーと結びつけることで、
「異時代ファンタジー」
であったり、
「異世界ファンタジー」
と呼ばれるものが生まれてくるのだ。
あまりその手のジャンルを見ない人には分からないが、ここ10年くらいの間に、急激に伸びてきたジャンルであった。
特に、若い作家が圧倒的に多く、一つの無料投稿サイトでは、投稿小説のほとんどが、ファンタジー小説ということで、
「そのサイトは、ほとんどファンタジー以外にはないのではないか?」
と言われるくらいまでになっていた。
そんなサイトであるが、小説を書いていく中で、最初に売れたとされた話が、タイムスリップものであった。
内容としては、時代小説にほぼ似ているものであったが、一番の違いは、主人公が、高校生の少年で、彼がタイムスリップした先で、有名武将になりきってしまい、大活躍をするというものであった。
彼がタイムスリップをした先が戦国時代で、本来であれば、歴史の勉強が苦手あ自分でも分かるくらいの有名武将が、天下を統一しているはずだったのに、その時代には、なぜか存在していないという。
主人公は、歴史は苦手だったが、ファンタジー系の話は好きで、よくマンガを見ていたりした。
そのマンガが、自分がタイムスリップした時代に似ているというのだ。
だから、彼は、学校で習う、いわゆる、
「史実」
として言われてきたことを知っているわけではなかった。
何も分からない中で、どうすれば、いいのかということを模索していくことになるのだ。何と言っても、いきなりタイムスリップしてしまい、群雄割拠お戦国時代に来ることになったのだから、普通なら頭の中がパニックになってもおかしくはないが、どこかサバイバルな精神を持ち合わせている主人公は、
「このまま何もせずに、死んでいくというのは、もったいない」
と考えるようになった。
作品名:合わせ鏡のようなマトリョシカ 作家名:森本晃次