違和感による伝染
大使館というのは、その国の政府との交渉を行うところであるが、領事館は、それよりも居留民に近いもので、直接その保護を行ったりすることもあって、主要都市に各国の領事館が置かれていたりしたものだ。
それに、有事、つまり、戦闘状態になったり、災害い見舞われたりした時など、
「首都機能が、マヒしたりして、戒厳令が出されると、大使館としての機能も制限されるだろう」
そのために、各地の領事館が、居留民保護であったり、治安維持のために、大使館の代役をするということもあっただろう。
そういう意味で、かつての領事館の任務も大きかったのかも知れない。
ここには、それらの領事館が多く設置されていた。
「港に近い」
という意味で、有事になった時、
「居留民をとりあえず、船で逃がす」
という目的があったのだろう。
それ思うと、
「このあたりに領事館が多いというのも分からなくもないな」
と思うのであった。
そんな領事館を抜けていくと、今度は、また別の大きな建物が見えてきた。ところどころ整備はされているようだが、元々の目的で使用されているようには見えなかった。もし使われているのであれば、それなりに、専用自動車が何台か常駐していてもいいだろうからである。
そこにあったのは病院であった。どうやら博物館になっているようで、今の総合病院や大学病院に匹敵するくらいの大きさで、よく見ると看板には、
「旧陸軍病院址」
と書かれていた。
「救急自動車が止まっていて不思議はないと最初思ったが、考えてみれば、救急自動車がいるのは、消防署管轄なので、いなくても当然だ」
と思ったが、そんな当たり前のことが思いつかないほどに、この土地は、他の土地と趣が違っているということであろう。
もっとも、この病院であれば、
「救急車がいても、不思議はない」
と、真剣に思ったのだが、それだけ、目の前の病院が、
「まだ現役で稼働している」
と言われても、違和感がないほど、他の土地で、いまだに古い病院が営業していることの証明のような気がした。
それくらい、大学病院というところは、結構、古い建物が残っているということであろう。
それでも、実際には、耐震構造などの問題から立て直しが行われているのだろうが、入院患者の受け入れの問題などもあって、なかなか進んでいないのも実情だろう。
というのも、今の時代、
「世界的なパンデミック」
が起こってから、それまでと状況が一変してしまった。
街中にはマスク姿の人であふれ、昔であれば、
「なんと不気味な集団」
と思っていたものが当たり前の光景になり、ノーマスクの人間が近くを通ると、思わず避けてしまったり、睨みつけたりするのが、普通の行動になったのだ。
もっとも、ノーマスクなどという非常識な連中に同情の余地などないのだが、ぎこちない生活を余儀なくされるようになったことに、もう慣れてしまっているというのも、実情だ。
だが、パンデミックも、2年、3年と経ってくると、まだ収まっているわけでもないのに、最初の頃の危機感とは、まったく別の空気が漂うようになっていた。
政府とすれば、
「命の危険ということばかりを言っていると、経済の問題がどうにもならなくなる」
ということで、
「表を歩く時は、ノーマスク」
などという、とんでもないことを言いだしたりしている。
ハロウィンなどで、最初の年など、首都圏では、
「人込みの中に来ないでください」
と言っているのに、人が集まってきたかと思うと、どこかのバカな地方の大都市の市長が、
「感染対策をしながら楽しんでください」
などということをいうものだから、バカな連中が、
「まるで解禁」
とばかりに、暴れまくり、
「結局数名の逮捕者を出す」
などということがあったのを忘れているのではないだろうか?
要するに、
「国民やマスゴミは、自分たちに都合のいい解釈しかせずに、自治体や政府がいかに、当たり前のことを言ったとしても、受け取る方が、自分に都合よく受け取るのだからしょうがない。
つまり、自治体も政府も、
「国民やマスゴミに対しては、正論だけでは通用しない」
ということを分かっていないからだった。
しかし、これは無理もないことで、
「政治家自身が、一番都合よく解釈しない生き物だからだ」
といえるだろう。
「自分たちがやっていることで、どこか後ろめたいことであれば、自分がそれをやられるということに気づかないものだ」
と言われるが、まさにその通りであろう。
上司の立場
「世界的なパンデミック」
は、とてもまだまだ終わる気配もない。
ゴールなど見えるわけもないこの状態で、政府は完全に国民を見放した。
「経済を優先」
ということは、
「国民などどうなってもいいから、自分たちの利権と私利私欲だけは確保する」
と言っているようなものだ。
そして国民に対しては。
「俺たちは抑えつけたり何もしないから、自分の身は自分で守れ、俺たちには、どうなっても関係ない」
と言っているわけである。
それを国民は、
「政府が大丈夫だと太鼓判を押した」
と思っているから、その温度差は何ともひどいものだ。
国民も政府も結局、
「巨大なお花畑の上にいるようなもので、一歩踏み間違えると、すべてが台無しになる」
ということをまったく分かっていないのだろう。
一番の問題は、
「医療崩壊」
であり、
「政府も自治体もまったく分かっていない」
と言ってもいいだろう。
今から思えば、リモートの時がよかったと考えるのは、佐藤だけではないのではないだろうか?
会社に行くことが一番の恐怖と思っていた人が多いのは、パンデミックとは別の大変な伝染病が、この日本には根強く張り巡らされているに違いない。
「医療崩壊」
というものをあれだけ怖がっていた政府だったはずなのに、途中から、急に何も言わなくなった。
言わなくなったどころか、ノーマスクなどと言い始めたのだ。
ハッキリいうと、政府が、行動制限をしたくない理由は三つであろう。
一つは、
「金を出すのがもったいないから」
という理由である。
「緊急事態宣言」
であったり、
「蔓延防止措置法」
であったりすれば、このどちらかによって、金を出すのが政府なのか、自治体なのかという違いがあるが、とにかく、
「補助金」
なるものを出さなければいけなくなり、予算をねん出しないといけなくなる。
要するに、自分たちの私利私欲のための金がなくなる、
「そんな金を国民に配るのが嫌だ」
ということなのだろう。
そして、もう一つは、
「経済を回す必要がある」
ということだ。
これまで何度となく、宣言を出して、経済を疲弊させてきたことで、
「さすがにこれ以上はどうしようもない」
ということで、経済優先に舵を切ったということである。
そして、もう一つは、
「国民の支持を得られなくなると、政権の危機に陥る」
ということであり、ある意味で、この問題が一番大きいのだろう。
国民の支持が得られないと、
「解散総選挙」
となり、下手をすれば、
「ソーリの椅子が危ない」