小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

違和感による伝染

INDEX|7ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

                 大東亜戦争というもの

 もっともアメリカは、当時、
「海軍によるハワイ攻撃」
 さらには、陸軍における、
「マレー上陸作戦」
 を見抜いていて、
「わざと、最初に日本に刀を抜かせる」
 というやり方において、当時の、
「アメリカが、他地域での戦争に巻き込まれない」
 という、
「モンロー宣言」
 という基本があったことで、アメリカ人お世論は、
「参戦に反対」
 だったのだ。
 しかも、アメリカという国は、いくら大統領に大きな権限があるとはいえ、宣戦に関しては、上院や下院議員が賛成しないことには、戦争を始めることができない。ここまで世論の大多数が、
「戦争反対」
 を唱え、しかも、モンロー宣言を頑なに守ってきた国の体制を変えるのは大変だった。
 だが、アメリカとすれば、イギリスのチャーチルから、アメリカに参戦の依頼が、催促となってきていて、しかも、当時のナチスの勢いでは、ナチスがヨーロッパを席巻するなどということになると、アメリカが戦費としてイギリスなどに貸し付けたお金が、返ってこないということになり、それこそ大問題になるところであった。
 だから、アメリカはそのターゲットを日本に絞った。
 日本としては、中国侵攻によって、列強を刺激し、経済制裁が起こったことで、苦し紛れに、北部仏印に進駐した。
 そこでさらに厳しい、経済制裁、しかも、
「石油、くず鉄の輸出の全面禁止」
 しかもその緩和条件として、中国や満州からの、全面撤退ということで、
「日本に明治維新の状態に戻れ」
 と言っているのと同じで。到底受け入れられるものではなかった。
 もちろん、アメリカもそんなことは百も承知で、アメリカに対して、
「南北戦争前の建国当時の13週に戻れ」
 と言っているのと同じで、到底受け入れられるものではない。
 となると、日本の出方は、
「南方の石油資源を奪取して、それを死守するしかない」
 ということになり、その手始めに、米英の植民地や前線基地を叩くということになる。
 そうなると、目指すは、
「イギリスの難攻不落の要塞であるシンガポール」
 そして、
「アメリカの太平洋艦隊の基地があるハワイ」
 ということになる。
 そこで、
「陸軍による、マレー上陸作戦」
 さらには、
「海軍による、真珠湾攻撃作戦」
 というものが容易に想像できる。
 アメリカは、フィリピンにも基地があるので、そこも両面で考えたことだろう。
 しかも、この両作戦は、
「完全なる奇襲作戦」
 でなければ、成功には及ばない。
 そういう意味で、どちらも奇襲に成功し、最初から言われていた、
「半年やそこらの快進撃を見せ、キリのいいところで講和条約に踏み切り、一番日本にとって都合のいいところで決着させる」
 という方法しか、この無謀な戦争に勝てる見込みは、これっぽっちもなかったということなのだ。
 これでも、勝利とは程遠い。
「ワシントンやロンドンを直接攻撃しての完全勝利などありえるわけではない」
 ということであった。
「相手国の本土に、一撃でも食らわせることができれば、御の字」
 という程度のことだったのだ。
 日本国が生き残るという意味ではそれしかなく、そこに、政府も軍も掛けたのだった。
 そういう意味では、確かに最初の半年くらいは、連戦連勝で、
「さすがに、完全無敵な大日本帝国軍」
 という地位の面目躍如であったが、次第に、米英は、国力を回復してくる。
 さらに、日本は、調子に乗って、当初の予定よりも、占領地を拡大していった。補給もままならないままに、領土が拡大し続け、戦線の確保ができるわけもないところまで伸び切ってしまっていたのだ。
 こうなってしまっては、もう相手の思うつぼで、
「輸送船団を狙え」
 ということで、兵員や武器弾薬、さらには食料などの物資が、使われることもなく、米軍からの攻撃を受け、海の藻屑と消えていったのだった。
 そもそも、インドネシアの油田の確保が目的で、その周辺を、防波堤として、占領していればよかったものを、
「何を考えてか、ガダルカナル付近まで占領するという形に持っていった理由が分からない」
 と言ってもいいだろう。
 そのせいで、ガダルカナルも死守しなければならなくなり、結果、あの悲惨な、
「ガダルカナル攻防戦」
 が繰り広げられたのだった。
 そもそも、占領地が広がるということは、想定していた以上の捕虜を抱えてしまうということになりかねないことは分かり切っていることだったはずだ。だから、フィリピン攻略の際の、相当数の捕虜ができたため、その輸送が徒歩だったことで、
「バターン死の行進」
 などということで、
「捕虜への虐待」
 として伝えられることにあったのだ。
 もっとも、本当にあったことなのかどうか、疑わしいところもあるが、その当時の事情から考えて、それに近い、そして、やむを得ない事情の下に行われたという可能性も高いのではないだろうか?
 そもそも、戦争なのだから、それくらいのことはあっても仕方のないことなのかも知れない。当時の戦争では、もっとむごいことが平気で行われていたというのも、事実のようだからである。
 そんな戦争であったが、いかにも、
「日本が戦争を吹っ掛けた」
 あるいは、
「侵略戦争の果てに、無謀な戦争に突き進んだ」
 という風に言われているが、果たして、
「それだけのことだったのだろうか?」
 ということが大きな問題である。前述のように、
「アメリカが、ヨーロッパの戦争に介入したいがために、日本を戦争に引き釣り出した」
 ということであれば、話はまったく変わってくるのだ。
 情報操作として、
「真珠湾の奇襲が、騙し討ち」
 という形でアメリカ人の心を動かしたのだとすれば、それは完全な情報操作である。
 日本国内においても、戦争継続のため、
「敗北をいかにも勝利として宣伝したことも、情報操作であろう」
 しかし、戦争継続、士気の鼓舞ということによるものであれば、それもやむを得ないことだったに違いない。
 だが、問題はさらに大きかった。
「情報操作というウソをでっち上げたのだから、実際に、敗北という真相を知っている人間をそのままにしておくわけにはいかない」
 ということである。
 つまり、敗北した戦闘に参加し、命からがら帰国した人たち、中にはけが人もいただろうが、彼らを、地元、いや、日本本土の土を踏ませるわけにはいかないのだ。
 いくら、
「喋ってはいけない」
 と言っても、戦争中のこの状態で、信用できるわけもなく、結局、
「どこかの島に監禁し、戦争が終わるまで、監視をつけて出られないようにする」
 というやり方が、
「一番の激戦区と言われている最前線に送り込んで、戦死させよう」
 という企みを巡らせるしかないのだ。
 しかし、敗戦に敗戦を重ねてくると、同じような人がどんどん増えてくる。果たして、軍がどこまで、それだけの人間を隠し通せたのかも分からない、
 問題は、
「誰がどこまで、ここまでの窮状を知っていたのか?」
 ということである。
 基本的に、
「政府の人間」
 は知らないと考えるのが普通だろう?
 というのは、
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次