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違和感による伝染

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 その想像がどこから来ているのか分からないことが、余計に、何かを暗示させているように思えてならなかったのだ。
 子供の頃に、家族で撮った写真を、ずっと母親は、リビングに飾っていた。
 その写真を、
「いつまでここに置いておくんだい」
 とばかりに、中学時代だったか、無意識に聞いたことがあった。
 無意識だっただけに、それ以上何かを聴こうと思うと、口から何も出てこない。
 言ってしまってから、
「余計なことを言ったかな?」
 と思ったが、後悔しているわけではないのだ。
 母親が急に寂しい表情をし、その表情がやけにリアルだったこともあって、
「聞いてはいけないことを聞いてしまったんだ」
 と感じたのだ。
 しかし、いまさらどうなるものでもなかったが、そのことに関してそれから誰も触れることのない、デリケートな問題になってしまったようだった。
 そんな田舎街なのか、都会なのか、中途半端な感じの街い降り立って、駅前ロータリーから、今降りてきた駅を見ると、完全にレトロな雰囲気を醸し出していた。
 ここの駅前尾ロータリーから駅舎を見ると、その向こうに見えるのが、駅舎の屋根の上に、小高い山が見えていた。
 その山はまるで、こちらに迫ってくるような間近に感じられたのだが、それほど低い山でも、そんなに近いわけでもなく、完全な錯覚であり、その向こうに迫ってくるように見えるのは、そこだけ山が単独で、独立して存在しているからであった。
 その反対側、つまり、ロータリーを抜けて少し行くと、もうそこは、海だということは分かっていたのだ。
 目の前に見えている、迫ってくるような山を見ていると、後ろに広がっているであろう海に落ち込みそうな気がして、後ろを気にしないわけにはいかなかった。
 だから、
「山が迫ってくるような錯覚に陥ったのだ」
 と感じたが、今度は、海が気になって、視線を山から切り、今度はロータリーへと向けた。
 そもそも、この街は、昔から、
「レトロな街」
 として有名だった。
 それも、昭和でもなく、明治でもない、大正という実に短い期間だったのだ。
 大正年間というと、15年しかないのだが、その間に、歴史は激動であった。
 激動の時代が、明治後半から始まり、終わったのは、きっと敗戦の時であろう。それを思うと、約40数年間という時代は、
「どこで切っていいのか分からない」
 あるいは、
「どこで切っても金太郎のように、同じ時間が存在しているのではないだろうか?」
 と考えられるのだった。
 山を見上げていた視線を、今度あロータリーに移すと、今度は、そのロータリーがかなり広く、そして深く感じられるのだった。
 そう思うと、
「このロータリーを広く見せたい」
 という意識があったから、
「山が迫ってくるかのように見せた」
 といえるのではないかと感じたのだ。
 まるで、
「パノラマ映像でも見ているか」
 のように感じるロータリーから、横断所道を渡って少しいくと、昔の銀行の本店を思わせる建物が、数軒、軒を連ねているのであった。
 今では、博物館のようになっているところもあるが、中には、今でも営業しているところもあり、実際に博物館かと思って中に入ると、建物だけは大正で、中の時代は、まぎれもなく令和だったのだ。
「いらっしゃいませ」
 という声が、静かな建物に反響し、思わず建物から立ち去ってしまったのは、
「この街に慣れていない証拠だ」
 といえるのではないだろうか?
 ずっと歩いていると、
「そういえば、以前、ここに女の子ときたことがあったな」
 と、初めてではないと思っていたが、それがいつだったのか思い出せない中、自然と思いだしてきた中において、
「分かっているのに、こんなに長く思いだせない」
 などと、我ながら思っているとは感じなかった。
 それだけ、この土地は、しばらく来なかっただけで、
「初めてきたのではないか?」
 と感じさせるほどの街だったのだ。
「こんなに大正ロマンが溢れるところは、日本でもそんなにはないだろうな」
 と思いながら歩いていると、角を曲がって見えてくる。
「あたかも大正ロマンを思い起こさせる光景が、頭に浮かんできて、それが間違いのないことだ」
 ということを思い知らされるに違いないと思ったのだった。
 前を歩いている人に、近づけそうで近づけない感覚。これも、デジャブのようだった。
 それは、前に女の子と一緒に来た時に感じたことでもあった。
「あれは、冬だったかな?」
 と寒かったことを思いだしたのだった。
 この街は、観光コースになっているようで、ちょうど歩いているところが、観光コースの入り口になっているようで、
「やっぱり、自分が感じている方向に進んでいるんだな」
 と感じた、
 それは、無意識の子供の頃の記憶で、その記憶が残っていたから、進む方向もおのずと分かったのだろう。
 ただ、それは逆に、子供の頃にいった記憶を失っていて、中途半端にしか思い出せない証拠であり、その証拠を、本当なら悔しがるはずの自分がいるのに、悔しがることができず、当たり前のこととして感じる自分がいるのだった。
 そんな順路通りに歩いていくと、見覚えのある風景が目の前に広がっていた。最初は、
「あっ、海が見えた」
 と思ったのだが、そこに違和感があり、
「ああ、そうだ」
 と感じたのだ。
 そこは、海は海ではあるが、内海になっていて、入り江になったところのコの字型の3方には、大きな建物が建っていて、正面にはレストハウスとなっている大きな建物があり、それを囲む形で、大正ロマンに溢れる建物が建っていた。
 やはり、一つはかつては、どこかの支店か営業所だったのだろうが、雰囲気から見れば、明らかに建て方が業種が分かる建て方だった。
「ああ、郵便局だ」
 と、今でも地方の主要都市に残っているであろう建て方のまま佇んでいることから、容易に想像がついたのだった。
 その建物の対面に位置しているのが、今度はよく分かりにくい建物だが、雰囲気、民間というよりも、自治体の建物を感じさせるので、見に行くと、どうやら、
「某国の領事館」
 のようであった。
 元々、
「外務省の機関」
 として設置されているのは、大使館と変わりはないが、役割が違っている。
 領事館というのは、主に。
「居留民の保護」
 ということを目的にしている。
 つまり、日本がアメリカに領事館を設置したとすれば、保護対象になるのは、
「在米日本人」
 ということになる。
 例えば、アメリカで戦争や災害などの問題が発生した際に、居留門を保護したり、あるいは、被害者の数の把握などを行い、大使館を通して、本国に報告ということになるのだろう。
 そして、今度は大使館であるが、ここは、完全に当地である外国政府との交渉などを行うという、
「外交目的」
 として作られたものである。
 大使館には、
「駐米大使」
 などがいて、アメリカの国務大臣などと外交を行う。
 かつての大東亜戦争開戦時前夜における、
「野村吉三郎大使」
 などが有名であるが、その時に、有名な真珠湾攻撃に遅れること、一時間あまり。
 アメリカの宣戦を確固たるものにしたということであった。
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次