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違和感による伝染

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 それを考えていると、急に気が楽になった気がした。それまでは認めたくなかった精神疾患を、自分の中で受け入れられる気がしたのだ。
 それは、きっと先ほどのサナトリウムの中で感じたことなのかも知れない。
 サナトリウムがどのようなものなのかということを考えてみたが、正直ハッキリと分かるわけではない。
 サナトリウムの中は、完全に資料館として改良されていて、本来ならしてくるはずのない薬品の臭いを感じたのを思い出していた。
「そうだよな、臭いがしてくるはずなどないんだよな」
 と思うと、その臭いの発生を、
「気のせいなんだ」
 と思うと、自分の中で、次第にデッドラインが近づいていることを感じたのだ。
 デッドラインが近づいてくると、目の前に迫ってきているものの正体が分かってくるようになるのだ。
 そして、その勢いが急激に変化を遂げ、比例が加速してくるという感覚を覚えるのだった。
 それを思うと、臭いを感じたということは、自分の中で発想が繋がったことであり、
「デッドラインへの反比例」
 を感じたのだ。
「デッドラインが見えてきたことで、実際のデッドラインを見失ってしまうのではないか?」
 という一見矛盾した感覚に、
「何を意識すればいいというのだろう?」
 ということが頭をよぎるようになるのだった。
「そういえば、先ほどのサナトリウム資料館の隣に、小さな診療所のようなところがあったな」
 というのを思い出した。
 そこには、確かに、
「神経科」
 という言葉が書かれていた。
 他の科もいろいろ書かれていたが、何と書いてあったのか、神経科という文字があったということを思い出した時に、忘れてしまったのだった。
 それこそ、まるで。
「デッドラインの反比例」
 という言葉で感じた、
「反比例」
 という発想が頭をもたげてきたということであろう。
 佐藤は、それまで、頭を下げたまま考えていたが、一念発起、頭を上げて、病院に行ってみようと思った。
 そして、そのことを感じさせてくれた女の子にお礼を言おうと思ったのだが、その女の子は、忽然とその場から姿を消していたのだった。
「あれ? どこに行ったんだ?」
 と考えたが、その場から立ち去ったという気配もまったく感じなかったので、それこそ、
「忽然と消えてしまった」
 という表現がピッタリだというものだ。
 ただ、目の前には今まで感じてもいなかった風が吹いているようで、
「まるで風のような女の子だったな」
 と感じさせたのだった。
 佐藤は、普段と比べても重たいと感じた腰を浮かせて、何とかベンチから立ち上がった。一瞬頭がフラッとした気がした。熱がある時、身体がだるい時とは違う頭の感覚だったが、身体は熱っぽさと身体のダルさという、まるで風邪の症状が起こっていることを感じていたのだ。
 ゆっくり体を起こして、立ち上がると、
「風邪も一緒にみてもらおう」
 と感じ、先ほどのサナトリウムの方に向かうのだった。
 来た時に比べて、明らかに遠く感じられたのは、サナトリウムを出てからと、身体の変調を感じている今とでは、感覚がまったく違うということを分かっているからだった。
 さらに、もう一つ感じたことは、子供の頃に習った童謡だった。
「行きはよいよい帰りは怖い」
 というフレーズを思い出したのだ。
「あれは、かごめかごめという歌だったっけ?」
 と思ったが、すぐに我に返ると、
「ああ、そうだ。あれは、通りゃんせというタイトルだった」
 と思い返したのだった。
 普段なら、
「どうでもいいことだ」
 ということで、気にもならないのだろうが、今回は気になってしまった。
「そうだ。通りゃんせのように、タイトルを思い違いしているものも少なくはないだろうな」
 と感じた。
 そして、
「どうして思い違いをしたんだろう?」
 と思うと、
「それだけ、歌詞の中に、印象深い言葉が入っていたという証拠だろう」
 と感じたのだ。
 たしかに、
「かごめかごめというタイトルだ」
 と言われても、まったく違和感がない。
 と思った瞬間だ。
「あれ?」
 と違和感がないと思った瞬間、またさらに我に返った気がしたのだ。
 それは、まるでマトリョシカのように、
「中を開けると、また同じものが出てきた」
 という感覚だった。
 そう思うと、思わず笑い出したくなった。
 というのも、
「何だ、かごめかごめと、通りゃんせって、まったく違う歌じゃないか?」
 と感じたのだ。
 最初にこのお話の中で、
「通りゃんせ」
 という言葉を見た読者の中には、最初から、
「歌が違う」
 と気づいた人もいるだろう。
 しかし、作者のように、この歌を、
「そうか、通りゃんせだったんだ」
 と信じて疑わない人もたくさんいたに違いない。
 それは、
「違和感というものをまったく感じなかった」
 ということから起こったことで、
「この違和感というものを、すぐに思い出さなかったことが、デッドラインに近づくか近づかないかということの分かれ道なのかも知れない」
 と感じるようになったのだ。
 自分では急いでいるつもりで歩いていたが、その先にあるものは、果たしてどこなのか?
 確か、。さっきはサナトリウム資料館の隣に病院があったような気がした。
 あの時は、
「こんなところに病院があるなんて」
 という、明らかな違和感があったのに、今目の前にある病院に、まったく先ほど感じた違和感というものはなかったのだ。
「じゃあ、別の違和感があったのか?」
 と言われると、
「そんなものはなかった」
 としかいうことはできないだろう。
「目の前にあるサナトリウムの経営者が、その土地を売って、隣に小さな病院を築いたのだ」
 という、そんなストーリーであっても、違和感どころか、
「そういうものなんだ」
 という意識しか生まれてこない。
 だったら、
「先ほど感じた違和感は何だったのだろう?」
 ということを考えると、すぐに思い浮かぶものがあった。
「ああ、そうだ。子供の頃に行っていた歯医者と似た作りになっているから、今回は違和感がないのかも知れない」
 と思うと、急に薬品の臭いがプーンとしてくるのを感じた。
 その臭いは、アルコールや外科などの臭いと違い、明らかに歯医者のあの嫌な臭いだった。
 歯医者というのは、明らかに嫌な臭いがしてくるもので、その臭いを嗅いだだけで、痛くもない歯が疼いてくるように思えてくる。
「なるべくなら、思い出したくもないものだ」
 と考えていると、痛みの心底がどこから来るものなのか、考えさせられるというものだった。
 歯医者の痛みというのは、条件反射だといってもいいのだろうか?
「パブロフの犬」
 というたとえのように、
「梅干を前にすると、自然と唾液が出てくる」
 と言われる、あの条件反射である。
 無意識のうちの行動というものが、その正体ではないかと思うのだが、その条件反射と、
「違和感」
 という発想とが、どこかで密接に絡んできているように思えてあらないのだった。
 ただ、条件反射が無意識のうちだとはいえ、身体中の神経は繋がっていて、そのすべてを、
「脳という器官がコントロールしている」
 ということであり、
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次