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違和感による伝染

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「前にもあったことなのではないだろうか?」
 と感じたことであった。
 その女の子ばかり見詰めていたので、改めて公園のまわりに注意を向けてみると、
「あれ? こんなに小さな公園だったのかな?」
 と感じた。
 公園の全体を見渡せるようになったということは、少なくとも、最初に感じた頭痛は少し弱まってきたということであろう。
 そして、最初との比較ができるということを思うと、
「最初も、ハッキリと見えていた証拠だろうから、頭痛はしてきたのは、このベンチに座ってからのことなんだ」
 ということを証明しているということになるのだ。
 女の子との距離も、近づいた気がした。それだけ。全体的にこじんまりしているように感じるのだ。
 今度は、さっきほどの頭痛がしてこない。
「痛みに慣れてきたということであろうか?」
 それとも、
「じっと見ていることで、感覚がマヒしてきたということであろうか?」
 と、どちらも言えるのではないかと考えられたのだ。
 女の子が笑わないのを見ると、どこかホッとした気分になった佐藤だった。
 もし、そこで笑われると、安心感が一気に湧き出してきて、意識が変な安心感に包まれてしまうような気がした。
 しかし、安心感が変に強くならないということは、緊張感が含まれた空間ということなので、我に返った時、会社での憂鬱がよみがえってこなくてよかったのだろう。
 もし、ここで会社のことを思い出すと、頭痛だけでは済まない。きっと吐き気も催してきて、それこそ、
「鬱状態」
 というものが、激しく自分に迫ってくることであろう。
 それを思うと、病気をずっと患ってる人が、急変した時、変に安心するような言葉をかけると、
「変なことをすると、安心してぽっくりいってしまうぞ」
 と言われたことがあった。
 まさにその通りのことだったのだ。
「人間、気が張っている時、楽になろうとする意識が働くので、安心させると、緊張感が解けてしまい、そのまま意識を失うことがあるという。もし、これが、不治の病とかであれば、ぽっくりと行くことだって無きにしも非ずだ」
 といえるのではないだろうか?
 最近になって、自分が、会社の上司から受ける行為も、ずっと気を張り詰めておかなければならない環境である。
 自分の中で、
「フッと気を抜くと、本当にぽっくりいってしまうかも知れない」
 と考えたことがあったような気がした。
 すぐには思い出せないだけで、自分でも、よくわかっていないのだった。
 目の前の女の子が、ブランコから降りて、こっちに向かってやってきた。ゆっくりゆっくりと歩いているのが分かるのに、次第にその姿が大きくなってくるように思えたのだ。
 それは、近づいてきたからというわけではない。
 近づいてきての大きさであれば、感覚としては、変わらないという意味での錯覚があるはずなのに、その錯覚をひっくるめた上で、大きく感じるのだから、本当に大きくなっているのだろう。
 逆に、冷静に考えると、最初に感じた女の子は小さかったからだということであれば理屈に合っている。そう思えるかとうかは、その時の精神状態なのではないかと感じるのだった。
 思わず、女の子が近づいてきた時、一度顔を下げてから、もう一度顔を上げるような素振りをしたのは、
「顔を上げた時に、その女の子がいれば、錯覚ではない」
 と思える気がしたのだ。
 だが、そんなに慌てなくても、女の子が近づいてくれば分かることではないか。それを何を焦って、すぐに確かめたいという衝動に駆られるというものなのか?
 と考えたのだが、一度下を向いたのは、
「ひょっとすると、この日すべてのことが、最初からなかったことではないのだろうか?」
 と感じたからだった。
 最初からなかったと思うのは、
「これほど辛いことはない」
 と自分に言い聞かせることになると思うからで、大体から、
「何がつらいというのか?」
 ということが自分の中で理解できているのか分かっていないのだった。
 だから、目の前の女の子が、ここで消えてなくなってしまうことに恐怖を感じた。すべてがなかったことになったとしても、会社での憂鬱がなくなるわけではない。
 頭の中、そして、覚えている身体の中に残っている恐怖感は、決して消えるものではない。
 逆にこれが消えてしまうと、自分という存在自体がなくなってしまうと思うからだった。
 女の子がいよいよ迫ってきた。
「おじさん、判官びいきって言葉知ってる?」
 と、あまりにも意外な言葉が彼女の口から出てきた。
「判官びいき?」
 と、佐藤は聞き返した。
「ええ、そう。私、お友達から判官びいきだから、私とは、もう一緒にいられないって言われたんだけど、どういうことなのかしらね?」
 というではないか。
 それを聞いて、佐藤は、
「ハッ」
 とした。
 判官びいきというのは、源義経のことを言っているのであって、
「兄の頼朝が、平家を倒すという手柄を立てた弟を、追い詰めて滅ぼす」
 という話から来ていることだが、その理由として、
「弟に対して、兄が嫉妬した」
 という単純な意見もあれば、
「東国武士を取りまとめるという立場の兄が、朝廷から、勝手に官位を貰ってはいけないと言明していたのに、法皇から勝手に頼朝の許し燃えずに、検非違使という職を賜ったことに怒り心頭となったことで、争った結果」
 というのが、
「兄が、弟を滅ぼす」
 ということから来ているという話でもあった。
 要するに、
「弱い立場や、貧相な装備しかなかったり、小人数が、大人数の敵を撃退したりした」
 という時に、使う言葉である。
 ただ、目の前にいる、まだ小学生と思える女の子が、よくそんな難しい言葉を知っているものだと思ったが、それを、
「どういうことなの?」
 と聞くということ自体は、ごく自然である。
 誰かから、
「判官びいき」
 という言葉を聞かされ、それがどういうことなのかということを考えさせられ、それでも分からないから、人に聞いたということになるのだろう。
 だが、
「どのように説明すればいいというのか?」
 頼朝と義経の話をしても、きっと分からないだろう。ただ。
「弱い者いじめがあって、苛められている子を贔屓する」
 と言えば、一番納得するのだろうが、果たして、そのことを口にしてもいいのだろうか?
 もし、その子が誰かに苛められていて、それがトラウマになっているとすれば、正直なことを言えるわけはない。
 それが一番理解できるのは、今の佐藤だけではないだろうか?
「俺だって、会社で苛められているではないか。こんな俺を贔屓にしてくれる人がいるというのだろうか?」
 ということであった。
「もし、自分が他人事として、俺のような立場の人が会社にいたらどうするだろう?」
 と考えてみたが、
「苛めの理論」
 として考えると、
「苛められている相手を擁護したりすると、今度はその苛めのターゲットが自分に向いてきて、結局巻き込まれることになるだろうな」
 と感じた。
 それだけは避けたかった。
 何も自分から、火中の栗を拾うなどという危険を冒す必要もないというものだ。
「判官びいき」
 をされたとしても、自分がそれで助かるわけではない。
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次