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違和感による伝染

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「巨大ロボットは、リモコンによる操作であり、等身大ロボットには、電子頭脳のようなものが埋め込まれていて、基本的には、その回路が自分で判断することになる」
 というものが多かった。
 だから、等身大ロボットは、サイボーグと、アンドロイドに別れていた。
 サイボーグは、人間を改造したもの、だから、元は人間だということで、
「改造人間」
 といえるだろう。
 アンドロイドの場合は、元々からあるものではなく、人間がロボットとして作ったものだ。
 それが人型だったり、動物の形をしているのは、あくまでも、
「利用しやすい身体」
 を、自分たちで作ったからである。
 人間のために行動するロボットなのだから、基本は、
「人間と同じ身体をしているのが、理想的だ」
 といえるだろう。
 だから、一番手っ取り早いのは、
「元々の人間を、ロボットに改造し、自分の都合よく動いてくれるのが、一番いい」
 ということである。
 そこには、
「主人のいうことを聞く」
 という回路だけが組み込まれていればいいのだった。
 ただ、そのためには、
「主人を見分ける力」
 が備わっていないといけない。
 そういえば、昔の巨大ロボットもので、リモコンを音声で判断して、主人かそうでないかを判断させるという話があったが、そのために、敵の組織は、主人を誘拐し、まったく同じ声が出せ、そして、同じ顔をしたロボットを作り、そのロボットに、巨大ロボットを操縦させるということをしていた。
 しかし、結果、
「人間の音声に近づけることができない」
 ということで、ちゃんと巨大ロボットは、音声を判断し、敵をやっつけることができたという話であった。
 これは、ロボットに、
「悪の手先にならない」
 ということを証明はしたが、同時に、
「ロボットではダメだ」
 ということで、主人公だけしかいうことを聞かせられないということで、主人公に何かあった時のための、ダミーロボットを作るという計画があったが、この事件を契機に、同時に、
「コピーロボット計画が失敗に終わった」
 ということを示しているのだった。
 ロボットは、そう簡単に人間のいうことを聞くわけではない。
 ロボットを作るということは、一長一短、それぞれに問題を孕んでいるということを、この時に分かったはずなのに、それらの問題が、物語として出来上がるにつれて、ロボット計画というものが、どんどん、後退していっているということを、証明しているのだった。
 この時のロボットアニメの教訓は、知らず知らずのうちに、
「フランケンシュタイン」
 の話を、否定しているということに他ならないのだった。
 そんなロボット開発の前に立ちはだかるのが、この、
「フランケンシュタイン症候群」
 という問題であった。
 この問題は、
「ロボットをいかに、人間に対して都合よく使えるか?」
 ということであり、
「人間のためにならない」
 あるいは、
「人間に危害を加える」
 などもってのほかだということになるのだ。
 そこで産まれた発想が、
「ロボット工学三原則」
 というものだ。
 主には、
「ロボットは人を傷つけてはいけない」
 ということと、
「人間のいうことに絶対服従」
 などということを定めたもので、その順番が大きく響いてくるのである。
 優先順位を間違えると、最悪の場合、フランケンシュタインの世界を一気に早めることになってしまうのだ。
 ただ、この問題は、あくまでも、
「SF作家による提唱」
 ということだったのだ。
 この問題を提唱したのが、SF作家で、工学者でないということは興味深い。しかも、自分の小説の、
「ネタ」
 であり、小説の中でふんだんに、その優先順位のたとえをうまく使って見せた。
「問題提起をしておいて、それがロボット工学三原則の優先順位に起因するものだというテーマに沿った形で、最後には人間がその問題を解決することで、危機を逃れる」
 という作品だったのだ。
 ただ、この問題はあくまでも、
「人間が、ロボットを開発できて初めて有効な話である」
 ということであった。
 つまりは、ロボットというものを外見上作りあげ、さらに、人工知能を組み込んだことで、人間のいうことをきちんと忠実に実行できるということが大前提であった。
 ところが、そこまで精巧な人口知能を、
「果たして人間に作ることができるであろうか?」
 という問題があるのだ。
 どういうことなのかというと、
「可能性と、無限性」
 という問題なのだろう。
 というのは、
「可能性というのは、次の瞬間には無限に広がっているもの。その無限に存在する可能性をロボットの限られた知能で、果たして予見して行動できるか?」
 という問題である。
 たとえば、ロボットに、洞窟の中にある燃料を取ってきてもらう命令をした時、その下に、
「持ち上げるお爆発する爆弾を仕掛けていた」
 という場合に、ロボットの知能には、その状況を判断する力があり、そのまま持ち上げれば爆発するということをインプットしていたとする。
 ただ、下を抑えながら持ち上げれば大丈夫だというくらいの知能はロボットに持たせている。
 その状態でロボットを中に入れると、ロボットはその状態を見て、動かなくなったのだ。
 そこでその時のロボットの知能を再現してみると、ロボットは、何とか燃料だけをもってくるということは想像できたのだが、同じ発想の中で、
「急に壁が白くなったらどうしよう?」
 などという発想を他にもいくつかしていたのだ。
 そして、その発想はどんどん膨らんでくる。つまり無限な発想をし始めたのだ。
 せっかく問題解決までできているのに、そこからさらに発想が続く。それは、完全に、
「無限に広がる可能性」
 をずっと追い続けていたのだろう。
 それを思うと、
「ロボットに、どこまで発想をさせるかということの難しさが浮き彫りになった」
 ということである。
 つまり、
「まったくこの状況に関係のない発想まで行っていた」
 ということだ。
「では、どうすればいいのか?」
 ということで考えられたのが、
「パターンごとに区切って、そこに可能性を当てはめればいいのではないか?」
 ということであった。
 しかし、
「果たしてそんなことが可能なのだろうか?」
 と感じたのだ。
 というのも、
「全体が無限であるのだから、いくつかの可能性に分けたとしても、その中の可能性も無限なのではないか?」
 ということである。
 もっといえば、
「逆に、そのパターンだって、無限なのではないか?」
 ということである。
「無限からは何を割っても、求まる答えは無限でしかない」
 ということである。
 これが、いわゆるロボット開発問題における、最初の壁、
「フレーム問題」
 というものだ。
 パターンをフレームとして当てはめるというものだが、これが解決できなければ、問題は、
「ロボット工学三原則」
 以前の話になってくるのだった。
 ロボットの発想、つまり、
「人工知能」
 というものの開発は、
「人間の未来に対しての大きな課題」
 であり、
「永遠のテーマ」
 なのかも知れない。
「タイムパラドックス」
 を孕んでいる、
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次