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違和感による伝染

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 それだけ、昔の記憶のはずなのに、まるで昨日のことのように思い出されるというのは、一体どういうことであろうか?

                 ロボット開発の諸問題

 サナトリウムは、大正ロマンの中では、少々異色であった。
「一番似合っている」
 といっても過言ではないが、同じレトロでも、文化遺産のような雰囲気は、
「今後の時代への可能性を感じさせる」
 というイメージがあった。
 実際には、財閥をさらに発展させるものとなり、日本を、大東亜戦争に駆り立てる一役を担ったということで、あまり喜ばしいものではないが、少なくとも、
「日本という国の発展を支えた」
 という意味で、
「これほど、将来を感じさせるに象徴的な建物もなかったであろう」
 明治時代に浅草にあった、通称、
「浅草十二階」
 つまりは、
「凌雲閣」
 などは、まさにその象徴だっただろう。
 関東大震災において、崩落してしまったが、それまでは、
「帝都東京のシンボル」
 といってもよかっただろう。
 そんなシンボル的なタワーが、このレトロな中にも建っている。
 しかも、そのタワーというのは、地上何階であろうか? とにかく、かなりの高さを誇っているようで、
「レトロな中に浮かび上がる、ワームホールでもあるのではないか?」
 と思われる場所だった。
 その下には、いくつかのレトロな建物が乱立していて、いくつかは、昔のままであろうが、ほとんどは、後から想像で作られたものだという。
「想像であっても、昔の建物とそん色はない」
 といってもいいだろう。
 特に、西洋風の建物の中にポツンと建っている中華風の建物が、他の建物よりも少し高く作られているのが印象的で、後から聞いた話によると、
「それは、わざとだということであり、あえて、西洋風に対抗して建てたのであり、そこには、中華思想を前面に出している、この街の再建を行った時の、市長が、中華系の宗教を信仰していたとのことで、そんな風になったのだ」
 というのだ。
 本当はその市長は、ここを中華街のようなものにしたかったのだという。
 だが、中華風にしてしまうと、元々あった建物をどかすわけにはいかないので、
「西洋風の建物の中に、入れることで、却って浮き立たせ、さらに、少し大きくするおとで、目立たせる」
 という手法を凝らしたということであった。
 そんな中に、やはりタワーの下にも病院があるということを聞いたのだが、その病院は今でも営業していて、外来も、入院も受け付けている。ただ、闇雲に患者を受け付けるわけではなく、
「先生が気に入った患者だけを受け入れる」
 という風変わりというか、医者としては、モラルに欠けるといってもいい医者が経営する病院のようである。
 だが、その先生が気に入る患者というのは、普通の患者ではなく、
「精神疾患の患者を好んで受け入れる」
 という変わり種だった。
 昔、その話を聴いた人が、
「人体実験でもされるんじゃないか?」
 という物騒な話をしたことがあったようだが、それを口にした人が、翌日から行方不明だということを聞いて、ビックリしたのだという。
 その人は見つかったというのだが、その前後の記憶を明らかに失っていて、他の人はその人が病院の悪口を言ったことを知らなかったので、何も知らなかったようだ。
 だが、覚えている人も若干いて、
「何か恐ろしいことが起こらなければいいが」
 といっていたそうだが、結局何も起こらなかったことで皆忘れてしまったようだ。
 だが、覚えている人も若干名いて、その人にとっては、
「却って忘れられない内容だ」
 ということで、余計に意識の中に残ったようだった。
 その建物の中に、一人、狂暴なやつがいたという。
 身体は、2メーターかあろうかという身長に、体格も、まるで鬼のようだったという。その体型を見て、病院の人たちは、
「フランケン」
 と呼んでいたようだ。
「フランケンシュタイン」
 それは、
「理想の人間をつくろうとして、怪物を作ってしまった」
 という話で、今のSF、オカルト、などの話の元祖になっている話だといえるだろう。
 相対するものとして思い浮かぶとすれば、
「ジキルとハイド:
 かも知れない。
 どちらも、今のSF、オカルト系の要素を持っているといってもいいだろう。
 そんなSF界の発想として、
「フランケンシュタイン症候群」
 というものがある。
 それは、理想の人間。つまり、人間の役に立つ者をつくろうとするので、少なくとも、人間よりも頑丈で、強靭でなければいけない。
 それがまず大前提であり、
「人間には、なかなかできないことを、この者にやらせる」
 という、
「ロボットのようにいうことを聞く」
 という者なのだ。
 発想からすれば、
「奴隷のようなもの」
 だったのかも知れない。
 当時の欧州は、植民地を持っていて、植民地では現地の人間を、まるで奴隷のようにこき使っているといえるだろう。
 しかし、時代は、
「奴隷解放を言われる時代でもあったので、露骨に植民地の人間でも、奴隷としてこき使うことは難しい」
 といえるだろう。
 だとすると、
「奴隷に変わる者を、自分たちで作らなければいけない」
 ということになる。
 当時、ロボットという発想はなかっただろうが、
「人間型のロボットのようなものを、人間のいうことを忠実に聞くようなものができればいい」
 という発想があったことだろう。
 それがサイボーグのようなものか、アンドロイドのようなものかという違いである。
 アンドロイドは、
「人間型の、ロボットを新しく作る」
 という発想であり、サイボーグというのは、
「人間の身体を強靭にして、主人のいうことだけを聞くという頭の構造に作り替える」
 ということで、いわゆる、
「人造人間」
 というものなのだろうか?
 単純に人造人間というと、
「人間の形のロボットを作る」
 というのも、一種の人造人間である。
 つまりは、
「人造人間というのは、アンドロイドとサイボーグの両方をいうのではないだろうか?」
 ということであった。
「じゃあ、サイボーグというのは?」
 ということになれば、それは、
「改造人間ではないか?」
 といえるだろう。
 改造人間は、元々は人間であり、
「肉体増強エキス」
 などのようなものを注射したりして、体内に注入し、頑強な身体にしておいて、頭の中の頭脳の周波を、
「ある一定の高さの周波数の命令しかきかず、普段は、命令以外の思考能力が停止している」
 というような人間を、サイボーグとして作り上げることが、基本だっただろう。
 昔のアニメであれば、巨大ロボットと等身大のサイボーグのどちらかが登場することが多かった。
 巨大ロボットは、リモコン装置を使って動くという完全にボディも人間が作った機械である。
 それは、まるで車や飛行機のように、操縦して動くのだろうが、巨大ロボットの場合は、昔のアニメでは、リモコンを使うのが主流だった。
 途中から、
「ロボットと主人公がドッキングして」
 というものも出てきたが、基本的には、
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次