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違和感による伝染

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 という皮肉なことになるのだが、本当にこれでいいのだろうか?
 それを考えると、
「他の国民も、早く目覚めてほしい」
 というものである。
 ただ、実際に、ノーマスクの連中は、
「何かあったら、政府がいいと言った」
 とすべてを政府のせいにすればいいとでも思っているのかも知れないが、
「死んで花実が咲くものか」
 という言葉と同じで、死んでしまえば、誰かを訴えるということもできるはずがないといえるだろう。
 特に政府を訴えても、うまくいくはずがない。
 というのは、ワクチン問題でもそうなのだが、最初ワクチンができた時、
「何かあれば、国が補償しますから、できるだけ早く摂取してください」
 とばかりに、国民に訴えてきた。
 しかし、中には、
「摂取してから、数日後に亡くなった」
 という人も一定数いたわけで、そんな状態で、
「政府が保証する」
 と言ったので、政府に保証をもとめた人たちがいた。
 確かに、保証してもらったからと言って、死んだ人が生き返るわけではないが、
「政府が保証をした」
 ということになれば、政府の信用も、指の先の垢くらいに残っていた信用が、少しは保たれることになるだろうが、それすら、あっという間に消えてなくなるほどなので、
「ああ、やはり政府のいうことはあてにならない」
 ということになるのだろう。
 かと言って、
「ノーマスク」
 などの、自分たちに都合のいいことは、すべて政府のせいにして、勝手な行動を取るのだから、
「政府も一部の国民も、その罪は、どっこいどっこいに重たいものだ」
 と言ってもいいだろう。
 そんな状態が、
「世界的なパンデミック」
 という有事の状態で巻き起こっているのだから、ひどいものだ。
 そもそも、世界の歴史の中で、
「有事になった時の、政府の支持率」
 というのは、どんなにひどい政府と呼ばれていても、
「微々たる率ではあるが、上昇する。決して下降するなどということはない」
 と言われていた。
 実際に、世界でほとんどの国の政権の支持率はアップしている。平均でも10ポイント以上のアップはあるだろう。
「対策に失敗した」
 と言われる国でも、5ポイントくらいの微々たる上昇率で推移している。
 下降した国というのは、2か国だけで、
「新型ウイルスなど、風邪のようなものだ」
 と最初に行ったダイトウリョウがいる国と、日本だけだったのだ。
 それだけ、実際に何かが起こったわけではない国の政府が、支持率を下げたというのは、よほどのことだったのだろう。
 確かに、やることなすことすべてが後手後手であり、何かをしても、すべてが、
「私利私欲のため」
 というあからさまな状態だったことではあったが、実際に支持率を下げるというわけでもなかった。
 ただ、それだけ日本という国には、
「有事がない」
 と言われ、平和ボケをした国であったのかということがハッキリしたということであろう。
 有事の際に、支持率が上がるというのは、
「国民、政府が一丸とならなければ、この難局を乗り切ることができない」
 というのを、国民が身に染みて分かっているからだという。
 しかし、日本では、平和憲法。基本的人権の保障というのが、憲法で保障されていることで、
「有事はない」
 のであった。
 だが、災害などは、相手を選ぶわけではない。望む望まないにかかわらず、
「有事というものは、いつなんどき襲ってくるか分からない」
 ということであろう。
 それが今の日本という国の問題であり、国家の一大事だと言ってもいいだろう。
 だから、今のような政府が、どんなにひどい政府でも、支持率が下がらなかったりするのだ。
「自分たちに直接関係ない」
 ということであれば、国民は、政府が何をやっていようと、別に無関心だったりする。
 これがいいのか悪いのかハッキリとしないが、それが今の政府と国民の関係なのだから、
「亡国の一途」
 と言ってもいいだろう。
 そんな状態において、
「その日、病院を見たというのは、何かの偶然だといえるのだろうか?」
 ということを頭がよぎったのだ。
「そういえば、病院なんて、いつから行っていなかったかな?」
 と、佐藤は思った。
 最近どころか、学生時代に行ったとすれば、かなり寒かった冬の朝であったが、
「この電車に乗らないと、遅刻してしまう」
 ということで、急いで改札を抜けて、駅の階段を駆け上がった時だった。
「グキッ」
 明らかに音がしたように感じた。そのまま倒れこんで、意識が朦朧とし、救急車で運ばれた記憶があるのだが、病院で、
「足の骨が折れている」
 ということで、数日間入院し、退院しても、松葉づえの状態だった。
 身体は鍛えているつもりだったが、
「冬の身体が固くなっている時、想像もしないようなケガが襲ってくるというのは、えてしてあることだ」
 と医者は言っていて、さほど驚いている様子もない。
「こんなに、日常茶飯事だ」
 とでもいわんばかりだった。
 精神的なことでも、今の上司に行き当たるまで、そんなに苦しむことはなかった。
 苛めに遭っている時でも、
「今だけのことで、そのうちになくなる」
 というまったく根拠のないことを考えていたが、実際に、忘れた頃に苛めもなくなっていたのだ。
 しかし、今回だけは、そうもいかない。
 会社というところが、本当に未知の場所であるということもあって、自分でもどうすることもできないというのが、本音だった。
 今回、気が付けば、普段来ないが、
「前から一度は行ってみたい」
 と思っていた場所に来たというのも、ただの偶然なのだろうか?
 と感じるのだった。
 昔のサナトリウムの少し大きな病院というイメージのある、展示室になっている病院に入った。
 入場料は、高くもなく安くもない。静かなところに、観覧している人はほとんどいなかった。
 見るからに不気味な様相に、自ら入ってこようという人もあまりいないのかも知れない。
「まるで、肝試しのようではないか」
 といえるのだった。
 肝試しといっても、学生時代から怖がりだったこともあって、最初から興味もなかった。
「あんなもの、何が楽しくてやっているんだ」
 と言いたいくらいだ。
「それこそ、苛めの対象を陥れて、楽しいというくらいなのではないだろうか?」
 というくらいであった。
 今まで病院というと、あの時の外科くらいしかイメージがなかったので、その時の外科と、このサナトリウムの雰囲気が、
「似て非なるもの」
 といってもいいくらいであったが、他の病院というものを知らないだけに、その本当の違いというものが、ハッキリと分からないのであった。
 ただ、サナトリウムというのは、以前昔のドラマで見たことがあった。
 ホラーやオカルトというわけではなかったが、どこか気持ち悪さを醸し出していたのを思い出し。身体に震えがくるくらいだったのだ。
 だが、病院のイメージはないが、薬品の臭いには敏感だった。
 虫歯の時の歯科医であったり、予防接種の時のアルコールの臭いであったり、正直、臭いを嗅げば、注射の痛みを思い出すくらいである。
作品名:違和感による伝染 作家名:森本晃次