時代回顧
というものが、平成にあった
「苛め」
と同じような形で蔓延ってくる。
このあたりが、実に厄介な問題であった。
「ユーチューバー」
というのは、とにかく、儲かるというような話を聴いたことがある。
何と言っても、数年前から、子供たちが、
「大人になったらなりたい職業」
ということで憧れる仕事が、昔であれば、パイロットや、野球選手、サッカー選手などというものの、どれかがトップだったものだが、最近では、
「ユーチューバー」
ということらしい。
なるほど確かに、一つの番組を作るのに、自分で企画から、製作まで行うのだから、
「やりがい」
というものはあるかも知れない。
もちろん、
「全員が全員」
というわけではないだろうが、少なくとも、青少年が憧れる職業として、注目を集めるために、危険なことをしてみたり、犯罪であっても、バズるためなら、何をやってもかまわないというようなことをする連中に憧れるというのは、
「世も末だ」
といってもいいのではないだろうか。
本来なら、
「犯罪者ユーチューバー」
というくらいの言い方をすれば、少しは青少年も分かるだろうが、
「迷惑ユーチューバー」
程度の言い方であれば、
「別に迷惑が掛かる人がいるという程度で、それくらいなら、お互い様じゃないか?」
という若者もいるだろう。
「いや、あいつらは、実際に犯罪を犯しているんだ」
といっても、言われ方が、
「迷惑」
という言葉せとどめているくらいだったら、
「それくらいなら、我慢すればいいじゃない?」
と言われて、ど言い返せばいいのか。
「いや、あいつらは犯罪者だ」
といっても、
「じゃあ、どうして犯罪者という言葉を使わないのか?」
と聞かれれば、それまでである。
つまり、あいつらのことを、
「犯罪者だ」
と最初から言わなかった時点で、子供を説得しようとしても、後は堂々巡りを繰り返すだけで、結局、
「大人の負け」
になってしまうのだ。
そうなると、子供の中では、
「大人が、ただの迷惑なだけで、犯罪を犯しているわけではないということを、認めたんだ」
ということになるだろう。
そうなってしまうと、もう大人は、
「子供を教育するだけの自信なんかない」
ということで、子供の教育に、トラウマのようなものが生まれてくるに違いない。
それを思うと、子供がユーチューバーになろうとするのを止められなかった時点で、
「これから先、この子たちが大人になって、迷惑ユーチューバーと言われるようになると、もう犯罪者でしかない時代がやってきているかも知れない」
と思ったとしても、今の時点で、誤解を解けなかったことを後悔しても遅いのだ。
世の中に、もしまだユーチューバーなるものが存在していたら、この世は、
「迷惑ユーチューバー」
という名の犯罪者で溢れかえり、完全な無法地帯となっているに違いない。
そういう意味で、
「子供の教育を先延ばししたり、子供の教育を考えずに、大人だけの都合で、甘い言い方をしてしまうと、目の前のことだけにこだわってしまい、結局、将来に、未来という言葉はない」
ということになるに違いない。
将来が、明るいか暗いかということは、現代においての教育に影響されることが多いだろう。
「今の子供が大人になって、世の中を動かしていく」
ということに変わりはない。
ということは、逆にいえば、
「今の迷惑ユーチューバーのような連中を作り出したのは、彼らを教育してきた親世代である」
ということになるだろう。
しかし、そんな親を作ったのは、さらにその親の世代であり……。
という、まるで、マトリョシカ人形のようなものではないだろうか。
しかも、その周期は、一定の時期で繰り返している。
もちろん、時代の流れ、社会の変化というものがあるのは、無理もないことであった。
世の中において、何年を周期に繰り返しているのか分からないが、
「ひょっとすると、昔の人には分かっていたのかも知れない」
という人がいた。
その周期というものを、
「約750年くらいだ」
といっている人がいる。
その根拠は、浦島太郎にあるようで、
「浦島太郎が、竜宮城から帰ってきた世界が、約750年だ」
というからである。
相対性理論による、
「光速を突破することで、引き起こされる時間のずれ」
というものが、
「どうして750年なのか?」
ということであるが、その発想が、一体どこから来たのか、その証明になる資料が残っていないだけに、余計に、研究者は、その年月にこだわりのようなものを感じるのだった。
御伽草子が書かれたのが、室町時代ということで、ちょうど、西暦1500年前後ということになる。これは、750年の2倍だということを考えても、無視できない計算だった。
そして、紀元からちょうど、750年というと、奈良時代の中期である。
この時代というのは、奈良に都を移し、それまでの繰り返されたしつこいくらいの遷都が落ち着いたはずなのに、疫病が流行ったり、寺社の力が強かったりして、治安がまったく安定していなかった。
そこで、当時の聖武天皇が、大仏を建立し、
「開眼の儀式」
を行って、世の中の混乱を鎮めようとした時代だった。
ちょうど、1500年頃というと、京の街のすべてを焼き尽くすかのような
「応仁の乱」
であったり、諸国の大名が謀反を起こされたり、
「お家騒動」
のようなものが頻繁に起こったことで、こちらも、混乱を極めていたではないか。
しかも、統率すべき幕府の力は衰退してしまっていて、世の中は、
「群雄割拠」
が、それぞれの国で渦巻くことで、
「下克上」
の嵐が吹き荒れる。
いわゆる、
「戦国時代」
というものが訪れて、世の中は、血で血を洗うという、そんな時代に突入してきたではないか。
これこそ、
「750年の周期」
といってもいいのではないだろうか?
それを考えると、その750年後は?
というと、今から、200年後くらいということか?
ということになり、
「この地球が存在しているのか?」
ということの方が、一番怪しい気がするのだ。
ビッグバン
最近のSNSの中で、地味ではあるが、利用者がたくさんいるものとして、
「ツイッター」
と呼ばれるものがある。
内容としては、一番単純で、SNSがよく分からない人でも手を出しやすいというところがあり、それだけに、いろいろな発想が生まれてきて、発展してきたものではないかと思われるのだ。
コミュニケーションとして、同じような趣味の人をフォローし、お互いの相互フォローなどをすることで、相手のツイートと呼ばれる発言に、コメントをしたり、相手もコメントをしてくれることで、会話のような形ができる。
しかも、ツイッターの面白いところは、
「マイページ以外のいわゆる、共通のツイートページには、自分がフォローしたり、フォローをしてくれた人のものだけが表示される」
あるいは、
「不特定多数の人の、最新のツイートが表示されていく」
というのを、設定で選択することができるというものだった。