時代回顧
といってもいいだろう。
事件が落ち着いて、詐欺という社会問題が去ってしまうと、冷静に考えるようになった人であれば、
「どっちもどっち」
と考えることだろう。
そうなると、
「本を出したい」
と思っている人たちが、被害に遭わなかったことで、
「よかった」
と胸を撫でおろすことだろう。
そうなると、今度は、誰も本を出したいということを諦めるだけではなく、もう本を書くということを諦める人も増えることだろう。
何といっても、このやり方をするようになって、まるでにわかファンのように湧いて出てきた連中だ。うま味がないと思えば他の甘味に簡単に乗り換える。一種の、
「流行を追いかけるだけ」
という連中だったということだ。
SNSの時代
そんな連中が、いなくなると、残ったのは、元から、作家になりたいと思っている人、本を出したいと考える人だけであり、実際に、紙媒体での本を出すことは、今まで同様、いや、世間の風潮もあってか、今まで以上に難しくなったといっても、過言ではないだろう。
となると、ここから先は、別の方法で、
「生み出した作品を、いかに発表するか?」
ということになるのである。
そこで、出てきたのが、
「ネットによる、電子書籍化」
の発想から、
「投稿サイト」
というものである。
一緒のSNSなのだが、自分で書いた作品を、投稿フォームから投稿するのだが、無料でできるところ、有料のサイトいろいろあるが、無料でも、結構な機能があったりするので、特に今まで、
「お金を出させて、本を出版」
という当たり前のことを、詐欺でやられたことによって、どうしても、有料というものに、抵抗感を感じるのは、無理もないことだろう。
詐欺の被害にあったわけではない人でも、心の中にトラウマのようなものを抱えてしまうというのも、無理もないことではないだろうか。
そんな投稿サイトに移行するのは、詐欺商法が発覚し始めていた、
「自費出版社系」
が、いよいよ危ないと言い始めたことだろうか。
出版してしまった人にとっては、そう簡単に移行できるものではない。何しろ、自分の本にした作品、あるいは、本になる前の原稿がどうなるかということが切実な問題だったからだろう。
中には、
「この一作品に掛けている」
という人もいるだろう。
もっとも、そんな人がもし、
「自分が小説家になりたい」
などと思っているとすれば、それはまったくのお門違いであり、
「一作品しか完成させられない人間に、締め切りや、原稿依頼が発生する小説家になどなれるわけはない」
というのが、当たり前のことである。
そんな人は、その作品だけを自己満足として、
「一生に一度、本を出すという夢を叶えられたのだから、それでよかった」
と思い。さっさと、出版から足を洗えばいいのだろう。
しかし、本当に小説家になりたいという人は、他にたくさんのストックを持っていたり、現在進行形で、作品を生み出している人に違いない。こっちらも、何もしないで、
「ただ待っているだけ」
という他力本願で小説家になどなれるわけもないというものだ。
小説家になりたいのであれば、自分なりに何をすればいいのか、本やネットで調べるくらいのことをしないといけないだろう。
何も考えずになろうなどという人間がいるから、詐欺のようなことが起こるのだ。
何も考えていない連中が騙されるのは、自業自得なのだろうが、真剣に考えている人間が騙されかねないような世の中だったとすれば、何も考えていない連中の罪は結構重いといってもいいだろう。
とはいっても、真剣に考えている人が、
「こんな詐欺グループに騙されることはない」
といえるのだろうが、中には焦りが生じたことで騙されてしまう人もいるかも知れない。そういう人たちに対して、さすがに、
「自業自得だ」
とはいえないのではないだろうか?
だから、詐欺グループが摘発されたり、倒産の憂き目にあうのは、当たり前のことだが、それによって、本を出した連中のほとんどが、
「本を買い取るか捨てられるか?」
ということになるのは、そのほとんどが、
「自業自得だ」
ということだ。
そんなことがあってから、ほとんどの人が、去っていき、スリムになったということは、ある意味、浄化されたということで、
「よかった」
といってもいいかも知れない。
何しろ、小説家になるということは、それだけ大変なことであり、そもそも、
「本を出したから、自分は小説家だ」
という考えが、間違っている。
小説家といっても、プロではない。アマチュア、素人に他ならないことを自覚していないから、詐欺にあうといってもいいだろう。
それなら、詐欺にあわないようにするには、お金がかかったとしても、そこは、自分の中で、
「必要経費」
だと思える範囲であればいいのではないか。
元々、
「小説家になりたい」
という人が増えてきたというのは、バブルがはじけてから、リストラの嵐が吹き荒れた反面、一時期ではあったが、
「残業禁止」
という時期があったからだ。
確かに、バブルの時代は、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
ということで、仕事はどんどん増えていき、それが一気にバブルがはじけると同時に、
「不良債権」
となり、支払いが滞ってきた。
まだ自分の会社だけなら、いくらでもやりようがあるのかも知れないが、社会全体が一気に変わってしまったのだ。
何といっても、
「絶対に潰れない。世間が潰さない」
と言われた、銀行が真っ先に、破綻してしまう時代だった。
銀行は、バブルの時代、金利を稼ぐために、
「過剰融資」
なる方法で、たくさん、民間に貸し付けていた。
しかし、それが回収できなくなると、すべてが、不良債権となり、一気に首が回らなくなる。
そうなると、お金が渋滞してしまい、社会が滞ってしまって、どうしようもなくなる。だから、企業も拡大していった事業を縮小し、
「収入が見込めないのであれば、経費を節減するしかない」
ということになるのだ。
そこで、人員削減、必要経費の削減、
「浸かっていない電機は消す」
などという、ちょっと前までは、
「そんなケチ臭い」
と言われていたようなことを、今度は、正義として行うようになったのだ。
もっとも、日本は、
「失われた30年」
などと言われ、いまだに不況から立ち直っていない。
企業の内部留保などと言われたが、実際には、政府のやり方がひどかったというのが、ほとんどだろう。
「聖域なき構造改革」
などといっていたソーリがいたが、そもそもが、人気だけはあったが、やっていることは日本経済を破綻に導くようなことばかりだった。
確かに、結果論かも知れないが、そいつがソーリをやっていた頃から、そのツケが全部その後の経済に、悪い方に影響したのである。
「(与党である)○〇党をぶっつぶす」
などとほざいていたが、結果は、経済をぶっ潰し、今の亡国を招いたのは、あのソーリからではなかったか。
その後のソーリにはロクな奴がいなかった。