時代回顧
「人の出入りを中心に考えたもので、同じ人が入るかどうかということを中心にしている」
ということで、二番目はそれに対して、
「一人の人が、どうだったかということで、他人を意識していないというもの」
といえるだろう。
2、3番目ともに、それぞれの特徴があるので、一長一短はいえないが、いい発想だといってもいいのではないだろうか?
どちらにしても、カウンターの性能にされたとしても、結構似たようなところで落ち着くような気がする。
そもそも、ホームページの場合はアクセスカウンターの性能によって、カウント数が変わるのだから、
「他人と比較してはいけない」
といえるのではないだろうか?
つまりは、
「オリジナリティがある分、自由すぎて、比較にならない」
という実用性の問題があるのかも知れない。
そんなことを考えると、
「本当にホームページが優秀なのかということが、分からなくなってきた」
といってもいいのではないだろうか?
ブログの場合は、完全にシステムは共有化され、
「この形で運営するので、それでいいなら、会員になってください」
というスタンスであった。
「押し付けられたシステム」
といってしまえばそうなのだが、そういってしまうと、身もふたもないといえるのではないだろうか?
ブログにおける日記は、ブログの機能により検索したりすることで、今でいう、
「拡散」
というものを、行うためのものである。
世間では、個人情報保護法なるものが決まっていて、あまり、
「自由」
という風潮が薄れてきている気がする。
そういう意味では、
「世知辛い世の中になってきた」
ともいえるが、決まったフォーマットの方が安心なのかも知れないのであった。
そんなブログの時代から、今度は、趣味の人のための、
「投稿サイト」
などというものが出てきたりしたのは、一つは文芸ものが、
「紙媒体から、電子書籍などに変わっていった」
ということもあるだろう。
そこに来るまでに、
「自費出版社系の詐欺会社」
という問題があったのも事実であった。
「本を出版したい」
「作家になりたい」
などという、アマチュア小説家の人たちを言葉巧みに騙し、数百マ円というお金を騙し取られるという事件である。
もっとも、人に言わせると、
「普通に考えれば、詐欺ということは分かりそうなものだ」
という人もいるが、実際にはその通りであり、
「お互いに出資し合って本を出す」
という触れ込みの見積もりで、定価と部数を掛けた値段よりも高い金を要求してくるのだから、そこで分かりそうなものである。
そもそも、定価というのは、原価に、利益を足した分で形成されているものである。宣伝費、人件費、出版費用と、それだけの莫大費用が掛かっても利益を生まなければならないわけで、原価とすれば、
「八掛け、七掛け」
と言った感じが普通なのに、それを、定価の1.5倍を出せといってくるのだ。本当であれば、1,000の本であれば、共同で費用ということであれば、どんなに高くとも、400円がいいところなのに、
「1,500を出せ」
というのだ。
そして言い分としては、
「有名書店に、一定期間置かれる」
ということが大きな触れ込みだったのだ。
その触れ込みを聴いて。筆者は、
「それならば」
と思うのだろうが、有名書店に本が並ぶなどありえないだろう。
有名書店に、そもそも、その出版社のコーナーがあるというのだろうか?
まず、ありえない。出版社のコーナーでもなければ、そんなパッと出の出版社の本を、並べるわけはない。
有名書店というのは、絶対に売れる本でなければ並べない。そもそも、売れる本が並んでいるかというのも疑問である。
昔であれば、
「有名作家の売れたシリーズの本を置いておけば、一定数は売れるであろう」
ということで、並んでいることがあったが、最近では、有名作家、たとえば、直木賞、芥川賞作家の本でも、ほとんど置いていない。
自分の名前の文学賞を冠しているような、
「そのジャンルでは、大御所」
と言われるような作家の本でも、数冊置かれている程度である。
しかも、かつては、本棚の一列を占拠するくらいに並んでいた本であっても、今では、そのほとんどが、廃版となっていて、図書館か、古本屋くらいでしか手に入らないだろう。
それほど、本というのは、絶望的な状態になりかかっているのに、
「素人の名もない作家の、しかも、無名の出版社の本」
を誰が好き好んで並べるわけもない。
そんなことすら分かっていない素人作家が、どうしてコロッと騙されるのか、正直信じられないのである。
確かに、
「騙す方が悪い」
というのは、当然のことなのだが、後から冷静に考えれば、
「騙されるやつがいるから、騙すやつが出てくる」
ということだ。
騙された人はまだ、
「自業自得」
で済むわけだが、家族などで、
「お前が作家デビューできるということであれば」
といって、お金をねん出したりした親もいれば、お金を貸した人もいるだろう。
その人も正直、被害者だといえるかも知れない。
ただ、この人たちも本来なら、お金を出すわけだから、もっと冷静になって、どういうことにお金を使おうとしているのかということを考えれば、
「こんな詐欺まがいのこと」
ということが容易に分かったのではないだろうか。
そういうことを考えれば、悪い言い方なのかも知れないが、
「お金を出した連中も同罪だ」
ということになるだろう。
だから、化けの皮が剥がれた出版社は、詐欺行為で裁判に掛けられ、結局、経営破綻に追い込まれる。
それは当然である。
「本を出したい」
という人を集まることで、お金が回るわけだ。
いわゆる、
「自転車操業」
である。
「騙された」
といって、裁判を起こされた時点で、すでに、評判が落ちることは分かっている。
中には、
「怪しい」
と思っている人もたくさんいただろう
それを思うと、本を出したいという人が、この会社を利用するということもなくなる。
いくら宣伝しても、
「裁判を起こされている会社じゃあね」
ということになる。
そうなると、本を作っても、どこにも置いてもらえるわけではない。そうなるとどうなるかというと、
「本を作った分、すべてが、在庫」
ということになるのだ。
しかも、売れる見込みがまったくない本である。
「ゴミ同然だ」
と出版社は思っていることだろう。
そうなると、
「もう、どうしようもない」
ということで、在庫すら、その維持費に莫大な金がかかるわけだ。
作者に、
「買い取ってくれ」
というバカなことを言い出したわけだが、それは、弁護士に相談し、破産宣告をしたうえで、
「民事再生法」
を適用したのだから、まわりからの、債権を放棄させるということになるので、それも法律的に仕方がない。
確かに本を出した人に、
「買い取らなければ、捨てるだけだ」
といえば、作者は可愛そうだということになるのだろうが、そもそもは、
「騙された方も悪い」
ということである。
そういう意味では、
「どっちもどっち。痛み分け」