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時代回顧

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「いろいろなオリジナルなページを作成することができ、凝ったものを作ることができる」
 ということになるのだ。
 ちょっとだけお金を出すだけでいいので、ソフト代を、高いと思うか、安いと思うか。それは、その人の感じ方一つということである。
 実際にホームページのソフトはそれほど難しいものではない。
 これは、一般的なパソコンソフトなどの、表計算ソフトであったり、ワープロ機能のような知識があれば、普通にできるものである。
 逆にそういう知識しか持っていない人にでも、十分にできるように開発されているのである。
 また、もう一つの開発の方法としては、
「開発言語からの作成」
 というものである。
 これが、本来であれば、一番プロっぽい作成になり、
「自分で作った」
 という自己満足に浸ることができるものだといってもいいだろう。
 開発言語として、
「HTML」
 というものが基本であり、
 そこから派生した言語もいろいろあったが、アルファベットの羅列といってもよく、そこに記号を組み合わせて、表示させるという機能なのだ。
 表計算ソフトでいうところの、
「関数」
 であったり、
「マクロ」
 と言われるようなものであり、基本ホームページを作るには、いくつかの組み合わせでできるものであった。
 実際に、処理を動かす、
「プログラム言語」
 というものと違い、こちらは、
「表示させる」
 あるいは、
「リンクで飛ばす」
 というイメージのものであり、表示するにも、相手の番地のようなものに飛びことで、可能になるという画期的なものだったのだ。
 作り方としては、本を買ってきて、まずは、メモ帳のようなもので言語を書いていくことから始まる。少し慣れてくると、他のページの言語を表示させ、そこからコピーしてくるという方法もあるようだが、慣れていないと難しいところもある。最初はやはり、
「自分で、本を読みながらでも作っていく」
 という方が、自分でも勉強になるし、間違いがなくていいのではないだろうか?
 そんなホームページの作り方が、案外といい味を出しているのかも知れず、当時は、ネットで何らか携わっている人は、個人のホームページというものを作っていたということが多かったことだろう。
 何といっても、
「コンセプトがしっかりしている」
 あるいは、
「自分独自のオリジナルを出すことができる」
 ということで、ネット入門という意味で、
「楽しみながら作れる画期的なツール」
 ということだったのだろう。
 そんなホームページの時代が、4、5年はあっただろうか。
 次第に、ホームページを作るという人も少なくなってきた。
「ホームページを作ろうとする人の数が減ってきたのか?」
 それとも、
「ホームページの提供サービスというものが少なくなってきたからなのか?」
 どちらなのか分からないが、ホームページを個人的に開設するという人が少なくなってきたのだ。
 だから、ホームページというのは、企業が作るののだということになってきたりして、そんなホームページを作るための、
「ホームページ提供」
 という業者が増えてきた。
 企画からデザイン、それを、依頼者と相談しながら組み立てていくというもので、ネット販売であったり、実践的なことに結びついてくることが多くなった。
 つまり、
「個人が一方的に発信するだけではなく、個人が注文したり、情報を共有したりなどというサービスが求められるようになってきたのだろう」
 といえるのではないだろうか?
「では、個人が発表したり、コミュニケーションをしたりする場というのは、どうなってしまったのだろう?」
 ということであるが、
「発表という場は、かなり減ってきていて、そのかわり、個人で日記をつけるというような形でのものが出てきた」
 という時代であった。
 その代表例が、
「ブログ」
 と言われるもので、
 これは、ホームページのように、オリジナリティは、まったくといっていいほどなかった。
 プロバイダーが提供していたホームページの、
「簡易版」
 というようなもので、
「ホームページの中の日記」
 の部分だけが、独立した形だと言えばいいだろうか。
 検索機能などはあるので、気に入ったジャンルのブログを見たりすることはできるので、これも、個人でつけている人は結構いたが、それよりも、どこかのお店であったり、集会の募集であったりと、
「宣伝効果」
 のような機能が大きかったのではないだろうか。
 それらの機能として、今も残っているものとして、
「口コミ」
 などが、そうなのだろうと思われる。
「食べログ」
 などというものもその一つではないだろうか?
 これは、やはり、企業のホームページが充実してきたことが大きいかも知れない。
 ただ、ホームページのようなオリジナリティがなくなってきたのも寂しいことで、
「コンセプトが定まらず、作ったはいいが、何もできずに、そのまま尻すぼみで、放置状態になってしまう」
 ということが結構起こったりしていた。
 それを思うと、
「ホームページというのは、コンセプトがないと、なかなか運営が難しい」
 ということである。
 何しろ、ホームページの制作者で、運営している人を、
「管理人」
 ということからも、それぞれで管理しているという感じだ。
 それにくらべて、ブログは、運営会社が管理者であり、個人のページは、
「ただ、日記を書いている」
 という、その程度のことになっているのであった。
 そう思うと寂しいという思いは、
「そこまで何もできない連中がネットで幅を利かせているのか?」
 という一抹の寂しさを感じさせられるのだった。
 ホームページが本当に、
「コンセプト」
 というものを大切にしているから、ネットを好きになってやっていた人もいたはずなのに、
「なぜ、ブログのようなものを流行らせることになったのか?」
 と思っている人も少なくないだろう。
「ネットが難しいという人のために、ブログを作ったということであれば、ぜっかくのホームページをなくすというのは、どういうことか?」
 といっている人の話を聴いたこともあるが、ある意味、
「ホームページ人口」
 と呼ばれる絶対数が減ってくるということは、一人頑張って、ホームページを開設していても、誰も来てくれず、
「アクセスカウンターもまったく伸びることもない」
 といえるだろう。
 アクセスカウンターというのにも、いろいろ種類があった。
「誰かが入ってくれば、文句なしにカウントが上がるもの」
 あるいは、
「同じ、IPから入ってきた場合は、6時間はカウンターがアップしない」
 というもの。さらに、
「別のアクセスがない限り、いつまでも、カウントが上がらない。つまり、別の人が何度も出入りしても、さらに別人が入ってこないと、絶対にカウントしない」
 というものである。
 最初のカウンターは論外で、実際のカウンターとしての意味をなしていない。ただ、機械的にカウントしているだけということになる。
 二つ目は、一番まとものようである。三つ目と比較すれば分かるのだが、三つ目というのは、
作品名:時代回顧 作家名:森本晃次