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時代回顧

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 しかし、昔のホームページの時代を知っている人は、
「あの時代はよかったな」
 と思うことだろう。
 自分で好きなようにレイアウトをきめて、コンセプトによって、何でもできるからだ。
 自称、
「素人芸術家」
 なる人たちにとっては、天国のようなものだったのではないだろうか? 自分の作品をネット上で、公開できるものを公開すればいいのだった。
 絵であったり、文章であったり、画像であったりを、公開し、
「作品発表」
 というページにしてしまえば、どんどん、立派なホームページが出来上がり、それを見に来てくれる人とのリンクを貼ることで、お互いに、仲良くできる土台ができるのだ。
 そうやって行き来しているうちに、友達が増えてきて、アクセスカウンターも増えてくる。
 いろいろな感想を表現してくれる人もいると、励みにもなる。
 そういう意味での掲示板というものではないか。それが、今のツイッターと同じだと思ってもいいだろう。
 作品発表のサイトは他にもいろいろある。
「小説やマンガの投稿サイト」
「写真の投稿サイト」
 などもあるだろう。
 そこだけでは、掲示板の機能としては、そのサイトだけということになるので、他の趣味の人で頑張っている人とのつながりはまずないだろう。そうなると、ツイッターのようなSNSが、
「他種趣味の人たちとのコミュニティセンター」
 という役割を果たしてくれるのだ。
 そう思えば、
「SNSというのは、ホームページのリンクのようなもので、その機能をさらに、自分の趣味趣向にあったものだけに特化して繋がれるようになっているのが、ツイッターというSNSだ」
 ということになるのだ。
 SNSというのは、本当は、
「コミュニティだけが目的ではない」
 ということなのかも知れないが、他のサイトやSNSとリンクを使ってうまく使えば、
「1足す1が2」
 というような、単純なものではなく、
「3にも4にもなる」
 ということなのであろう。
 だから、最初は、
「SNSは、面白くない。昔のホームページの方がよほど楽しかった
 と思っていたのだが、使い方によっては、昔のホームページほどの新鮮さはなくとも、自分で楽しみを見つけるくらいのものがあったのではないかと思うようになってきたのだった。
 だから、
「SNSが多岐にわたっているということは、ありがたい」
 と思うようになったのであって、作品発表の場の機械を、却っていっぱい作ってくれているように思う。
 ただ、やはりオリジナリティの部分で、
「俺が作ったんだ」
 という感はなくなってしまっていた。
 だが、それは、新鮮さと、自己満足の世界であり、
「あるならあるで、これ以上の感動はないのだが、ないならないで、いかに楽しみを見つけるか?」
 ということが一つだったのだ。
 もちろん、メインの趣味があり、ホームページを作っての趣味の展開というのは、
「メインの気分転換でもあり、自己満足を持つことで、さらにメインの幅を広げることができる」
 というものであった。
 メインの趣味の気分転換という意味では、SNSのいろいろな機能を使っての気分転換もできる。
 いろいろな人のところに回ってみるのもよかったし、他の人のところを見ると、結構絵を描いている人が多かったのだ。
「自分には、絵は描けない」
 と思っていたのだが、その理由が分からなかったが、理由というほど真面目なものではなかったが、自分を納得させられる結論には至った。
 それは、
「人物画が下手だ」
 ということであった。
 これは人に聞いた話であったが。
「風景画や人物画などいろいろあるけど、人物画だけは、才能やコツがいるのか、うまくなれない人はどうしてもなれないものだ」
 と言われている。
 つまりは、
「人物画というものが描けなくても、風景画だったら、何とかなるかも知れない」
 ということであった。
 それを聴いた時、ピンと来て、家の近くにある名所旧跡を巡って、写真を撮ってくるということをするようになったこともあって、その写真を元に、
「絵を描いてみよう」
 と思い立ったのだ。
 絵を描いてみると、意外とうまく描ける気がした。
「これだったら、公開しても恥ずかしくは会いかな? もし、何か言われれば、最近描き始めたと言えばいいんだ」
 ということであった。
 確かに、最近、描き始めたにしては、まあまあ描けていると、自分でも思うようになったので、それほど、嫌な気はしなかった。
「これだったら、大丈夫さ」
 と友達も言ってくれたので、公開してみることにした。
 この友達というのは、近くの写真を撮っていると、
「私もなんですよ」
 と仲間意識からか話しかけてくれた人で、その人は写真をアップすることにかけてはベテランで。
「ネット上で、知り合った人も結構いるんですよ:
 と、すでに、ツイッターにかなりの画像を上げていると、自分でも言っていたのだった。
「ネットで友達になると、オフ会といって、たまい近くの人同士で、飲み会などをもよおしたりしてね。近くだったら、馴染みも深いので、一緒に飲みに行ったり、たまに会ったりするのも、十分にありなんですよ」
 というのだった。
 さらに、最近、描き始めた絵を描いている時であっても、ボイスチャットであれば、意識せずに描き続けることができる。
 これはメインの趣味ではできない。集中力を必要とし、特に会話を聴きながらなど、できるはずもないが、絵画ではできるというのであるから、気分転換に最適だというのも、無理もないことだった。
 つまり、
「絵を描いていても、ボイスチャットをしていても、どちらにしても、気分転換にはなるというものだ」
 ということである。
 だが、果たして、
「絵を描いていなければ、ボイスチャットに辿り着けなかっただろうか?」
 と思う時もある。
 そもそも、絵を描いていたことで、そこに興味を持った人が、
「いいね」
 という反応であったり、フォローしてくれたり、さらには、リツイートしてくれることで、拡散してくれたりと、自分の努力だけではないところから、反応が生まれ、自分という知名度が生まれてきたのだ。もちろん、それはサムという名前の自分であり、いわゆる、リアルな世界における、
「中の人」
 ではないのだ。
 その架空の世界での自分という存在が、実際にはいいのかも知れない。
 自分が、架空の存在であるということを考えてみると、
「実際の中の人との違いはどこにあるのだろう?」
 と考えるのだ。
 そもそもツイッターというのは、前からあまり意識をしていなかった。
「なぜツイッターをするようになったのか?」
 というと、ハッキリと理由は簡単で、
「人からかなり遅れ、ずっとガラケーを使っていたものを、最近になって、スマホに変えた」
 ということが一番の、直接的な原因であった。
 それまで、ケイタイというと、会社からの連絡機能であったり、
「いつどこから連絡があるか分からない」
 ということでの、
「もしものため」
 ということで、ケイタイを持っていたのだ。
作品名:時代回顧 作家名:森本晃次