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時代回顧

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「原価に利益が乗っかって定価になるのと同じ基準で、下部に行くにしたがって、定価が原価になり、さらに、そこで出てきた定価が原価になるということで、利益が膨らみ、その利益をむさぼる」
 というようなものを、
「中抜き」
 というのだ。
 当然、販売価格をそんなに上げらるわけもなく、そうなると、
「原価を落とす」
 ということしかできなくなり、原価を落とすことで出てくるのが、
「手抜き工事」
 である。
「あの恐ろしい震災を見ているのに、よくそんな恐ろしいことができるというものだ」
 というのが、人情なのだろうが、しょせん中抜きをする連中に、そんな、
「人間らしい情け」
 などがあるわけもない。
「そんなひどいことはない」
 というかも知れないが、耐震構造が基準を満たしていないということで、土建屋としてのプライドもモットーも、金のためならいくらでも捨てる」
 という金の亡者が住んでいるからであろう。
 そんなことを考えていると、
「世の中というものは、金のある者、権力のある者で成り立っているということなのだろうな」
 と思えて仕方がないのだった。
 そんな時代において、ネットのスペースは、結構楽しかった。
 仕事が終わってから、話をするには、ちょうどよかった。仕事は朝早くに始めて、つまりは、通勤時間がない分、その時間から始めれば、終わる時間も結構早くすることができる。
 一時間早くして、8時から始めれば、5時に終わることができるからだ。
 しかも、そこから帰宅を考える必要もない。
 もちろん、表に出ることもなければ、
「どうせ、コンビニとか薬局以外のお店はほとんど閉まっているんだ」
 というくらいで、駅前などは、ゴーストタウンもいいところであっただろう。
 だが、だからと言って、
「賑わいのあったものが、なくなった」
 という感じではない。
 最近の駅前というのは、どこの駅でも活気というのはなくなってきていた。
 特に最近の駅というと、以前から比べ、駅前も一緒に改装するところが多かったりするのだ。
 前述の、ビル改装と同じなのかは分からないが、老朽化や、耐震構造という意味でのものも少なくはないだろう。
 または、
「新幹線開通」
 であったり、
「高架への改修」
 であったりすることもある。
 そんな駅も、改修前は、それなりに、
「おらが町の駅」
 というイメージで、駅前と、商店街とがうまく絡んでいて、
「駅前風景」
 という感じであった。
 昼はアーケード街であったり、夜になると、そこから少し入った、
「飲み屋横丁」
 のようなものがあったものだ。
 しかし、駅前というのは、駅の建て替え構想の前から、商店街が先にすたれてしまっていて、昼間の時間帯など、半分以上の店がシャッターを下ろしたままで、
「貸店舗」
 あるいは、
「テナント募集」
 などという貼り紙が貼ってあったりするものだった。
 昔であれば、朝の通勤の人が商店街を過ぎ去った頃からであるから、ちょうど9時頃から、
「朝市」
 と称して、惣菜屋などが、アーケードの半分近くのところまで、出店形式にして売り出しを掛けていたものだった。
 徐々に主婦が集まってきて、賑わっていたのが、
「今は昔」
 ということである。
 しかし、それも、
「郊外型商業施設」
 のような大型スーパーに客を取られてしまったのだ。
 確かに考えれば、
「いまさら駅前商店街もないというものだ」
 といえるのかも知れないが、理由がないわけではない。
 まず、家族の在り方が変わってきたといってもいい。
 まず、
「共稼ぎが増えた」
 ということであろう。
 不況から、
「給料は減る。産業はない」
 などという旦那の稼ぎだけでは、とてもやっていけないということになるのだろうが、さらにいうと、
「企業が、正社員でなくともできることを、パートを雇ってやらせるようになった」
 ということも大きいだろう。
 会社や、店舗などで、主婦がパートやアルバイトをする。そんな人口が増えてきたのだ。しかも、子供ができると、保育園などに預けるようになると、夕方迎えにいかないといけなくなるので、時間も、少し短めという人も多いだろう。
 企業は次第に、
「主婦によるパート化」
 を進めるようになったが、そのうち、派遣会社を介して、人材を派遣するという、
「派遣型社員」
 というのが増えてきた。
 そんな、いわゆる、
「非正規社員」
 というのが、定着してきた矢先に、
「リーマンショック」
 なる不況がさらに襲ってきたことで、今度は、ある意味禁じ手ともいうべき、
「派遣切り」
 という手に出たことで、
「派遣村」
 などといって、街にあふれたホームレスなどに対して、炊き出しを行ったりするという問題も発生したりした。
 そんな非正規社員が増えたことで、奥さんが、昔のように、朝、
「お買い物」
 という光景は減ってきた。
 しかも、保育園に預ける人が多くなったりしたことで、車での送り迎えということになり、
「子供を迎えにいったついでに」
 ということで、大型商業施設で、買い物を済ませることが多くなると、
「完全に、駅前商店街が、すたれていくのは火を見るよりも明らかだ」
 といってもいいだろう。
 そうなってくると、駅前商店街も、
「じゃあ、商店街に、保育所を作って、そこに子供を預けられるようにすればいい」
 ということで、商店街が作った保育所もあったが、そこは、
「1日でも預かれます」
 という形の、一種の、
「簡易保育園」
 であり、無認可というところが多かった。
 何もない時はそれでも便利ということでよかったのだろうが、
「保育所の諸問題」
 つまり、子供が具合が悪くなっても、
「先生が気づかない」
 などという問題が頻発したので、母親が怖くて、
「無認可保育園には、預けられない」
 というようにあったのだ。
 もっとも、今の時代はもっとひどい。
 なんといっても、保育園どころか、幼稚園において、
「バスでの送り迎えにおいて、子供を置き去りにして、バスに閉じ込めたまま、数時間放置し、熱中症で死なせてしまった」
 などという事故が多発しているという、実に恐ろしい時代に入ってきたのだ。
 確かに、保育園や幼稚園というのも大変だということも分からなくもないが、
「ほとんどの幼稚園は、ちゃんとしているのだ」
 といえるからだ。
「いや、本当にそうなのだろうか?」
 と考えてしまう。
 今はまだ、数件しか、事件として挙がってこないが、少なくとも、昔から比べれば、頻発しているのだろう。
 そもそも、
「子供をバスに置き去りにした」
 などという話は、昔だったら、前代未聞と言われていたに違いない。
 だからこそ、社会問題として騒がれ、格好のワイドショーのネタにされ、裁判沙汰になるとそれが、いろいろな物議をかもすということになるのだろう。
 そんな時代を超えてきて、今は、
「去年、同じような事件があって、あれだけの社会問題に発展したのに、その舌の根の乾かぬ内に、何をまた問題を起こしているというのか?」
 ということを言われるが、これをただの、
「連鎖反応だ」
 ということで片付けてもいいのだろうか。
作品名:時代回顧 作家名:森本晃次