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時代回顧

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 の影響があったのだろう。
「このパンデミックは、至るところで影響を及ぼす」
 というもので、特に前述の。
「自粛警察」
 に大きく影響している。
 パンデミックによって、社会は、
「緊急事態宣言」
 というものが出され、それによって、日本においては、
「強制力はないので、要請程度のものである」
 ということであったが、流行り出した当初は、
「どんなものなのか分からない」
 ということであったり、
「毎日のように、人が死んでいく」
 という状態になれば、まだワクチンも特効薬も何もない時だったので、政府のいうように、
「行動制限や、休業要請」
 などといった対策に従うしかなかったのだ。
「他県への移動は控えてください」
 などと言われたが、
「会社が他県になるんだ」
 という人もいたであろう。
 しかし、そもそも、どうして他県への移動というものをあそこまで厳しくいうのだろう?
 考えてみれば、
「隣の県に移動すれば、必ず伝染病に罹るとでもいうのだろうか?」
 ということである。
 伝染病なのだから、
「隣の県に行くのも、隣の家に行くのも、空気が違うわけでもないのだから、何をそんなに気を遣うというのか?」
 ということであった。
 これが、
「海外から」
 というのであれば、当然、検疫が入って当然のことであるが、同じ国内で、
「しかも、陸続きの隣の県への移動くらいで何を騒ぐのか?」
 ということである。
 ということを、その時は、
「おかしい」
 と誰も思わなかったのだろうか?
 サムは、実は気づいていた。気づいていて、その理由を自分なりに分かっていたつもりだったが、それを口にする気はしなかった。
 実際には、ツイッターで呟いたことはあった。
 その内容というのが、
「緊急事態宣言というものが出て、他県への移動は控えるようにというお達しが出ているが、一体どういうことであろう? 陸続きで、県境など、ハッキリしたものがあるわけでもなく、しかも、行政が勝手に決めた境ではないか?」
 と書き始め、
「同じ空気を吸っているのに。まるで別の土地との移動で、ウイルスが蔓延するというのはどういうことなのだろう?」
「考えられることとしては、自治体も面目ではないか? つまりは、毎日のように、国に一日の感染者数を報告し、それを国民に発表される。どの県が多くて、どの県が少ないというのは、もちろん、その県の事情によっていろいろあるだろう。だから増やしたくない。そうなった時、隣の県との境で見わけのつかないような人まで自分の県に加算されてはたまらない」
 という思惑があるのではないだろうか?
 考えすぎかもしれないが、
「なるほど、これだったら、理屈は分からなくもない」
 と思うのだ。
 隣の県との移動にここまでこだわるのは、それ以外には考えられないであろう。
 そう考えると、
「緊急事態宣言」
 などというもの、さらには、
「国家の発令する注意勧告」
 というのも、結局は、
「自分たちの都合でしかない」
 ということに違いないのだろう。
 そう考えてくると、
「しょせん、自治体同士の数を増やしたくないという思いと、国家の面倒臭いことになるのが嫌だ」
 というような意識が交差したことで、こんな訳の分からない注意喚起になったのだろう。
 ただ、問題はそんなことではない。その理屈を誰も分からずに、
「ただ、国家がそういうから」
 ということで、何も考えずにスルーしている人ばかりだということではないだろうか?
 もちろん、実際に緊急事態宣言中は、自分の身を守るという意識があることから、そこは、何も言えなかったのだろうし、考えが及ばなかったのも、無理もないことだと思えるのだが、宣言終了後もまだ、危機が去ったわけではない。
 世間では、
「感染者が相当数減り、緊急事態宣言が解除されたことで、危機は去った」
 と思っている人が大多数ではあっただろうが、中には、パンデミックというものが、
「何度も波がやってくる」
 ということを分かっている人もたくさんいる。
 逆に、
「これから、本当に増えてくる時期がそのうちにやってくるのは分かっているので、短い間からも知れないが、遊ぶとすれば今しかない」
 ということで、感染者が減ったという事実から、それが、
「半年くらいは続くのか?」
 あるいは、
「1カ月くらいで、また次の波がやってくるのか?」
 ということで、分からない中でも、少しでも遊びたいという気持ちがあるからこそ、宣言が切れたことを真剣に喜んでいるという人も少なくないだろう。
 だが、本当に、
「やった。宣言が切れたんだ。これで、危機は去った」
 と本気で思っている人もいるだろう。
 ただ、そんな連中は、正直にいえば、
「救いようのないバカ」
 といってもいいかも知れない。
 そんな連中は、死んでも自業自得なのだろうが、厄介なのは、モノが伝染病なので、そんな連中が死ぬのは構わないとして、
「そいつらが、死ぬまでに、何人の罪もない人に移しているか?」
 ということである。
 せっかく、自分でできるだけの予防をしていても、身近にそんなバカがいたために、殺されたとなると、死んでも死にきれないというものだ。
 しかし、伝染病というのは、
「どこで罹るか分からない」
 つまりは、
「誰から、いつ感染したのか分からない」
 ということであり、もし、これを犯罪と考えたとしても、それを立奏することができないのだ。
 以前、自分がその伝染病に罹っているのが、PCR検査にて分かったということで、その男が、
「死ぬかも知れない」
 ということで、感染している状態で、風俗に行き、そこで一人の女性を感染したというニュースがあり、本人も死亡していたのだが、結局、
「被疑者死亡」
 ということで、起訴されたということがあった。
 もし、被疑者が死亡していなければ、有罪となっていた可能性は否定できない。
 かつて、致死率が決定的に高い伝染病で、
「罹ればほとんど、死んでしまう」
 と言われていた頃、同じような事件があり、その人が有罪になったという判例があったので、今回だって、判例に基づけば、有罪の可能性は高かったことだろう。
 かつては、
「不治の病」
 と呼ばれていたこの病気も、今は特効薬があるのか、かなり助かる人もいるということだ。
 ただ、相変わらず、致死率は高いのは間違いない。そういう意味で、罹らないように注意するのは、どんな伝声病でも同じだということである。
 今回のパンデミックも、流行し始めてから、翌年には、ワクチンが完成し、徐々に摂取できるようになり、
「2回の摂取」
 くらいまでは、国民の8割くらいの人が行っていただろう。
 ただ、残りの2割というのは、副反応を恐れて、摂取しないという人がほとんどだということである。
 何しろ、ただでさえ、
「未知のウイルス」
 なのだ。
 それを1年やそこらで、解明し、ワクチンを作るところまで持っていき、そして、治験も十分に行って……。
 などということが、本当に可能なのだろうか?
 と感じるのであった。
 ワクチンを打つというのは、
「重症化をしないため」
 というのは主たる目的であり、
作品名:時代回顧 作家名:森本晃次