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時代回顧

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 であったり、写真を見ることで、きれいなものを愛でるという感覚としての、
「インスタグラム」
 などがあるのだった。
 ユーチューブに関しては、前述での、
「迷惑ユーチューバー」
 と言われる連中がいることで、どうしても、好きになれないという人もいるだろうが、そんな迷惑な連中ばかりではない。
 きちんと、モラルに基づいて、企画から編集までされた、ちゃんとした番組としての体裁が整っている、素晴らしい作品もたくさんある。
 つまりは、元来、ユーチューブというのは、
「自分の表現したい世界を、映像などによって表現するため、企画、編集を行って、豹変するということ」
 であるのだ。
 そういう意味では、
「迷惑ユーチューバーと言われるような連中は、そもそも、ユーチューバーではなく、ただの迷惑な輩でしかない」
 といっていいだろう。
 直接迷惑を被っている人もいるが、実際には、真面目にルールを守って、最高の映像作品を作り上げようという人たちが、一番迷惑をしているといってもいいだろう。
「あんなやつらに、いくら、迷惑という言葉がついているといっても、ユーチューバーなどと、勝手に語らないでほしい」
 と思っているに違いない。
 ユーチューブというものは、個人的なものであるが、公共の目に触れるために、世界に発信し、誰もが見ることができるものである。
 それを勝手に、せっかく存在している、
「クリエイティブな場所」
 というものを、踏み散らかして、さらに、評判を落としているのだ。
 表だったあ被害者がいない場合であっても、これだけで、重大な罪であり、真面目な人たちが、白い目で見られることがどれほど理不尽なことなのか、どうせ、迷惑ユーチューバーと呼ばれる連中に、分かるはずなどないということであろう。
 そういう意味では、
「社会貢献しているSNS」
 おいうことで、ふさわしいと思われるのは、
「インスタグラム」
 なのではないか?
 というのが、内輪の話であった。
 よく使われるものとして、おいしそうな食事を写真に撮って、もちろん、店主の許可を取ってのことであるが、
「拡散してもいいですか?」
 ということで、許可が出れば、拡散する。
 それを見た人が、
「行ってみたい」
 と思い、一人でも、それを見て来店すれば、その効果は少なくとも集客という意味で、「立派な効果を表した」
 といってもいいだろう。
 しかも、来た客が、
「このSNSを見てやってきました」
 と言われれば、店主もその効果に感動し、パネルにして、
「インスタグラムに紹介されました」
 という宣伝をすれば、近所の客で、今まで行きそびれていた人も、入店してくれるかも知れない。
 それが、SNSの、
「相互効果」
 なるものなのではないだろうか?
 もちろん、口コミの文章などに、
「行ってみたい」
 と思わせるものがあったとすれば、宣伝効果としても、インスタグラムの趣旨であるところの、
「相互フォロー」
 という意味でも、
「十分な実力を発揮している」
 といってもいいだろう。
 その時、店主も客もが、自分のインスタを見て、
「映像だけでも、ここまで相手に伝えられる力を持っているということを表現できる、インスタグラムというのは、何と素晴らしいSNSなのだろうか?」
 と思うのだった。
 ユーチューブも、迷惑な連中さえいなければ、同じような、いや動画なだけに、その可能性は無限だったはずなのに、バカな連中が、その可能性の目を摘んでいるということで、またしても、その罪の深さというものが、立ち塞がっているといえるのではないであろうか。
 そんなことを考えていると、またしても、迷惑ユーチューバーのことが考えられて、ムカついてくるのであった。
「やはり、あんな連中に、ユーチューバーなどと名乗ってもらいたくはない」
 といってもいいだろう。
 あんな連中がいることで、
「SNS」
 というものの品位が下がり、ひょっとすると、ツイッターなどにおける誹謗中傷と言った悲惨なことが生まれる土壌を作っているのではないか?
 SNSというのは、それぞれによさが感じられたからこそ、それぞれのアプリが開発され、スマホなどの機能として定着したはずではなかったか。
 それぞれに良さも悪さもある中で、まったく正反対であったり、似たようなといってもいいような道を歩み始めていたりして、
「今後のSNS、いや、ネット業界というものが、どのような方向になっていくのか、見ものである」
 といってもいいだろう。
 SNSはまだまだこれから増える可能性もある。
「まだ過渡期には至っていないのではないか?」
 ということなのかも知れない。
 そんなSNSでも、それぞれにいろいろな機能が含まれてくるようになった。
 全体に対してのツイート、個人同士の会話での、DM機能。さらには、最近では、フォロワーどうして音声チャットのようなものができる、
「スペースなるものが出てきて、結構賑わっている」
 といってもいいだろう。
 こちらは、一種の、
「音声チャット」
 のようなものである。
 最近では、
「世界的なパンデミック」
 などというものが起こってからというもの、
「リモートワーク」
 と言われ出して、自宅から会社のネットワークに入り、そこで、仕事をするという形が固まり始めた。
 もっとも、このようなことは、元々から構想に入っていた。
 特に大企業などは頭の中にあったことだろう。
 というのも、平成の頃からであるが、昔は、都心部に事務所を借りていたりしていた大企業も、郊外に物流センターなどを建設することで、そちらに本社機能を移して、営業しているところもあったと聞く。
 だから、いまだに都心部に小さな事務所を置いているところは、
「いずれは、事務所を廃止して、リモートワークで」
 ということを考えているところもあるようだ。
 実際に、パンデミックが起こる前から、
「全国の営業所の3割を削減し、リモートワークでできるようにする」
 というのを、3か年計画くらいで打ち出しているところもあったりしたものだ。
 そんなリモートワークだttが、さすがに、パンデミックが起こってしまってから、
「緊急事態宣言」
 に対しての対策は早めに打てたが、本来の目的である、
「営業所の廃止」
 ということまでは、手が回るはずもなく、計画は、当然延期になったのだ。
 そんな時代になっているにも関わらず、ある地方の中心都市で、
「ビックバン」
 と称して、おかしなことをやっている自治体があった。
 都心部のビル群が、
「老朽化による建て替え」
 ということが迫られているということで、最近になって、徐々に取り壊しから建て替えという流れが進行している。
 だから都心部のビルは、歯抜け状態になり、入っていたビルからは、テナントが撤退したり、少し離れたところで営業し、新しくできたビルに優先的に入るという話をしているのだと聞いた。
 離れて営業しているところは、本屋であったり、CDショップであったりするのだが、一昔前までであれば、
「1軒もなくなると、街の光景が一変する」
 と言われ、絶対に必要なものだと言われていたが、今では、
作品名:時代回顧 作家名:森本晃次