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マルチリベンジ

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 さらに時代は進み、母親が共稼ぎをする時代が出てくると、その時間、
「家には誰もいない」
 という時も増えてきただろう。
 ただ、時代はバブルがはじけ、旦那は残業がなくなり、母親も夕方には帰ってくるようなパートくらいになると、ある意味、普通の家庭になってきたのかも知れない。
 だが、それは、普通の時間に家にいるというだけのことで、雰囲気は、少し異常ではないだろうか?
 食事にしても、家族が揃って食べるということもないだろう。それぞれに同じ家にいても、それぞれに用事があるのか、会話すら皆無になった家庭だって多かったはずだ。
 心の中では、
「寂しくなったものだ。何とかしたいものだ」
 と昭和の家庭を知っている人は思うかも知れないが、ある意味、どうすることもできない。
 たまに一緒に食事を摂るようになっても、会話などないという、重苦しい時間であれば、何も一緒に食べる必要などないのだ。
 しかも、その時代になると、テレビは一家に一台などというわけでもなく、息子の部屋にもあったり、夫婦の寝室にもあったりする。
 さらに、ビデオなどの録画装置もあれば、
「何もその時間に、その番組を見る必要もなく、録画したものを、自分のタイミングで見ればいいだけのことだ」
 ということであった。
 だから余計に、家庭内でバラバラの行動になる、
 しかし、それを家庭崩壊といえるだろうか?
 その当時はどこの家庭もそんなもの、だから、平和が保たれていたのかも知れない。もっとも、一触即発の状態だったのかも知れないが、それでも、波風が立たずにその日が終わっただけで、ホッと胸を撫で下ろすという人も少なくないだろう。
 そういう意味で、テレビを見るのが楽しみな人というのは、減ってきた。
「じゃあ、何を楽しみに生きていたのか?」
 と聞かれると、正直分からない。
 一人一人違っていたということなのだろうか?
 昔のように分かりやすく、
「家に帰って、ひとっぷろ浴びて、ビールでも飲みながら、野球を見る」
 などという時代は、今は昔だったのだろう。
 人それぞれの楽しみ方があったのは、多種多様な趣味があったということなのか、それとも、無関心な時代だったということなのか、正直、ピンとこなかった。
 今は完全に時代は変わってしまった。
 テレビすら、見る人が完全に減ってきた。時代はパソコンから、ケイタイ、さらには今のようなスマホの時代になってきた。
 テレビというのも、番組が様変わりしてきたのには、大きな転換期があった。
 その理由として一つあるのは、問題の、
「ゴールデンタイムにおける野球放送であった」
 今では、まったく見ることのなくなった野球放送、そもそも、全盛期だった頃から問題があったのだ。
 そのすべての問題の起源は一つであり、
「放送時間の問題」
 だったのだ。
 野球というスポーツは、時間で勝負がつくスポーツではない。サッカーやバスケットなどは、決まった時間の中で、
「よりたくさんの点を取った方が勝ちだ」
 ということであった。
 しかし、野球はそうではない。延長戦に入らない限り、プロ野球は、どんなに点数が離れていようが、必ず、九回までは行う。
 その理由は明白であった。
「サッカーやバスケットと違い、野球は完全に、攻守が別れていて、片方が攻撃している間、片方は守備に就いている」
 というのが、野球だからである。
 だから、攻守が目まぐるしく入れ替わるサッカーなどは、ハーフタイム45分という感じで、時間が決まっている。
 しかし、野球の場合は、何点取ろうが、スリーアウトになるまでは、1時間でも2時間でも1イニングを行うのだ。
 だから、試合時間も早ければ、2時間ほどで終わるが、長い時は、5時間を超える時もある。
 そういう意味で、野球は、なかなか終わらないスポーツということで、9時に放送が終了ということになれば、問題は、
「延長放送をするか?」
 ということであった。
 実際には、
「30分延長」
 というところが多かった。
 だから、市販のビデオ機の機能には、
「延長放送機能」
 なるものがあって、
「前の番組が野球などで、放送が延長になる可能性がある時は、開始は9時かあになるが、終了は予定時間の30分後まで録画する」
 という機能だった。
 つまりは、実際に延長が行われた時、録画したものを見ると、最初の30分には、野球が入っている。しかし、延長がなかった場合には、最初から自分の見たい番組は入っているだろうが、最後の30分には、それ以降の、別の番組が入っているということになるのだった。
 それでも、まだ延長機能があるからよかったが、それがなければ、見たい番組が、最後まで見れないということになり、実に悶々とした気持ちになるだろう。
 昔であれば、野球延長のため、後続番組が遅れることで、11時には終わり、そこからお風呂にでも入ろうと思っていた主婦は、そこから30分後ろにずれ込むのは、溜まらないことだっただろう。
 何しろ、昭和の頃の主婦というのは、
「朝が早い」
 というのは当たり前のことで、それくらいのことができなければ、主婦とはいえないというほどだったのではないだろうか?
 つまり、ゴールデンタイムにおける野球放送というのは、それだけ家庭の中で占める割合が大きかったということである。
 ただ、これは、
「野球終了後の番組を見る主婦に対してのこと」
 であるが、肝心の野球を見ている人にとっても、30分というのは中途半端だった。
 基本的に野球の試合というと、平均して3時間というのが、相場だったような気がする。途中から、プレイボールが夜の6時くらいからに繰り上がったようだが、前は6時半というのが、どの球場でも当たり前のことだった。
 だから、終了時間も平均で9時半くらい、そうなると、今度は、
「一番のクライマックスが見れない」
 ということである。
「九回2アウト、満塁」
 などというシーンにおいて。
「まことに残念ながら、あと30秒で、お別れすることになりました」
 などと言われると、実にたまらない。そうなると、そこから先、放送局に多数の苦情電話が殺到するであろうことは、当たり前のことだっただろう。
 とはいえ、放送局にもどうすることもできない。なぜなら、放送局が番組を製作するためには、
「スポンサー」
 というものの存在が絶対不可欠だからだ。
 どこかの、某国営風放送局であれば、
「受信料」
 などという、わけの分からない方法で、国民からまるで税金のごとく集金に回ればいいのだが、民間は、CMなどを流したりして、スポンサーになってくれた人が、コマーシャル台として出してくれた金で番組を作るので、番組は、
「スポンサーのもの」
 ということになる、
 だから、スポンサーが、
「ダメだ」
 といえば、放送局にはどうすることもできない。
 だから、野球も、いくら抗議の電話が入ろうとも、決定が覆ることはない。
 そこで、出てきたのは、
「スカパー」
 と呼ばれるような、
「有料放送」
 であった。
 彼らの言い分としては、
「野球中継は、試合開始から、終了まで行う。さらにmヒーローインタビューから、勝利のイベントまで行う」
作品名:マルチリベンジ 作家名:森本晃次