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マルチリベンジ

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「誰か真剣に好きになった相手と付き合うならいいが、中途半端なことをすると、ロクでもないことが自分に返ってくるぞ」
 とまわりからは言われていた。
「そんなことは分かっている」
 とばかりに口にはしていたが、そのことがピンとくるというほどではなかった。
「ファンは相手にするものではない」
 とばかりに、マネージャーや広報に任せていたが、実際にそれが正解だったようだ。
 だが、今は、もうそんなファンもいない。マスゴミですら、寄ってくることもない。
 この間のスラッガーがいう、
「苦手な投手」
 ということで名前が挙がったので、
「ひょっとしてインタビューくらいあるのではないか?」
 と思ったが、そんなこともなかった。
「まあ、しょうがないか」
 と落胆したが、その気持ちも悪いものではなかった。
 だから、まわりが自分のことをあまり意識しなくなってくれたことは、却って頭を冷やすという意味ではよかった。
「そういえば、小学生の頃、まだ、スポーツを始めてすぐくらいに、よく足が攣って、痛かったのを思い出すな」
 と感じた。
 その時の痛みは尋常ではなく、息のできないくらいで、必死になって足を揉もうとするのだが、身体を動かすことができない。
 そんな時、まわりに意識されることを嫌って、本当は誰かにさすってもらいたい気分でありながら、
「気づかれたくない」
 という思いが強くなっていた。
 気づかれると、心配されることが分かっている。心配されてしまうと、こっちも気を遣って、
「大丈夫だ」
 と強がりを言いたくなってしまうことで、却ってこの痛みが耐えられないものになるということを、自分で分かっていたのだった。
 痛みに耐えながら、人に気にされるところ嫌っていると、
「大丈夫なのか?」
 と自分でも考えてしまうが、その気持ちがどこまで続くのかということに疑問が生まれてくる。
「痛みというのは、一人で耐えているから耐えられるというものではないか?」
 というのが、戸次少年の考えであった。
 その思いは子供の頃だけではなく、大人になってからもあった。
 しかも、自分が、野球をやっている間、絶えず頂点にいた気がした。頂点というのは、誰にも邪魔されない世界にいることで、特に、ピッチャを目指し始めてから、その気持ちが強かった。
 ピッチャーというのは、マウンドという少し高いところから見下ろすという、
「他のポジションでは感じることのできない、優越感」
 というものを感じることができ、
「ピッチャーが最初にボールを投げなければ、何も始まらない」
 ということで、特にフランチャイズだと、自分が一番最初にまっさらなマウンドにいるという思いを十分に感じることができるのだった。
 マウンドから投げ下ろす感覚は、誰にも分からないだろう。
 しかし、戸次がピッチャーを目指した理由はそこにあったわけではなかった。その理由として一番思いつくところは、
「野手であれば、ボールが飛んでこなければ、出番はないが、ピッチャーは、すべてにおいて主導権を握っている」
 というものであり、ちょうど、その当時流行っていた野球漫画で、
「ピッチャーというのは偉いんだ。だから、誰からも後ろ指を指されないようにしないといけない」
 ということで、
「ピッチャーを志す人の中でも、一番の心意気を持っていないといけない」
 という話をしていた。
 確かに、
「熱血根性もの」
 という感じであるが、まさにその通りであった。
「ピッチャーをやっていて、実際にそれくらいの気持ちでいなければ、簡単に打たれてしまう」
 という気持ちを、中学時代に実際に感じたのだ。
 だから、高校になって、本格的に野球をするようになると、
「妥協はしたくない」
 という思いから、少々の練習で根を上げるようなことはなかった。
「戸次のやつは、大成するぞ」
 というウワサも聞いたことがあったが、なるべく有頂天にならないようにした。
 戸次が、高校時代に一番よかったこととして、
「けがをすることがなかった」
 ということであった。
 少々無理なことをしても、十分に通用したし、ケガもなかった。他の人に言わせると、
「あんな練習をしていたり、無理をしていて、ケガをしなかったのは、運がよかったという以外にはないのかも知れないな」
 と言われたものだった。
 そういう意味で、ケガをするまでの戸次は、完全に前しか見ていなかった。
「ピッチャーというのは偉いんだ」
 ということをスローガンにやってきた。
 そんな戸次の考えを、監督もチームメイトも分かっていた。分かっていて、誰も畑井意見を述べなかったのは、それだけ戸次の覚悟が深かったことと、まっすぐだったことが大きな原因だろう。
 同じような考えを持っている人もいたようだが、彼ほど徹底したものではなかったのか、途中、ケガをしてしまうと、そのまま野球を辞めてしまったのだ。
 人によっては、彼のことを、
「偉くなれなくなったことで、潔く辞めちゃったんだな」
 といっていたが、戸次は別の考えを持っていた。
「再度復活する姿を見せてこそ、ピッチャーは偉いと言われるんじゃないか?」
 と思っていたことが、
「石にかじりついても復活する」
 という気持ちに結びついたのだろう。
 監督が、
「もういい加減に諦めて、違う道を模索した方がいいんじゃないか?」
 という姿は思い浮かばないと、高校時代の監督を思っていたが、プロに入って、ケガをして、
「これからもがくことになるかも知れない」
 と感じた時、
「しっかり、頑張れ」
 といってほしいと、監督に連絡を入れたことがあった。
 その時、監督から、
「お前は十分にやった。もう少し努力をしてダメだった時は、潔く野球を辞めて、俺のところに戻ってこい」
 といってくれた。
 最大の励ましという意味だったのだろうが、この言葉は一歩間違えると、
「心が折れる」
 という結果を招いたかも知れない。
「野球を続けるということは、一度ケガをしてしまうと、今までと違って、ネガティブな気持ちが生まれてくる。今まで前しか見てこなかった人間には、これは非常につらいことだ。お前にそれが耐えられるか?」
 ということだっただろう。
 それを思うと、
「監督の優しさが感じられる」
 というものなのだが、その時の戸次に対しては、
「余計なことを言わないでほしい」
 という意識だったのだ。
 そう、脚が攣った時、放っておいてほしいと考えていたあの時に似ているのだ。
 というのも、
「本当は、励ましてほしいのに、ネガティブなことをいうと、余計に不安が募ってきて、頑張って耐えないといけないと思っているところを、自分で自分の首を絞めるようなことになるのではないだろうか?」
 と思うのだった。
 自分にとって、監督というのは、
「支えになってくれる人」
 であって、くじける方に進むための人ではなかった。
 もし、くじけることで誰かを必要とするのであれば、それは監督ではなく、親であったり、かつてのチームメイトなのだろうと思う。
「どうしても、いつまでも応援していてほしい」
 と思う人には、
「超えてはいけない一線がある」
 ということなのだと思う。
作品名:マルチリベンジ 作家名:森本晃次