小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

マルチリベンジ

INDEX|15ページ/22ページ|

次のページ前のページ
 

「俺って、悪運が強いのかな?」
 と感じるようになった。
 確かに野球において、肘を壊すまでは、性格的に、自信過剰であって、途中勝てなくなっても、
「今だけだ、研究されただけのことで、こちらが研究しなおして、相手の苦手なコースに投げ込めば、そんなに撃たれるようなこともなんだ」
 と思っていた。
 戸次投手の最大の武器は、豪速球だった、
 だからと言って、ノーコンというわけではない。コースへの投げ分け、変化球とのコンビネーションなども、他の投手並みにできたのだ。
 一年目は、それこそ、お互いに分からないところもあって、豪速球を投げ込むだけで、相手を抑えることができた。
 最近のプロ野球界で、新人のピッチャーが活躍する場合は、豪速球投手の場合が、ほとんどだった。
 だが、高卒ルーキーの活躍ともなると、もうここ10数年、いなかった。最後に高卒ルーキーが、二けた勝利を挙げたというのは、おおよそ、15年ぶりだったようで、勝ち星が、重なっていくごとに、新聞は、
「高卒ルーキーの大活躍」
 ということで、騒ぎ立てるのだった。
 デビュー戦は、開幕3戦目だった。
 高卒ルーキーが、一年目から一軍に台頭し、しかも、開幕ローテーションの中に入るなど、本当に久しぶりのことだった。
「高校野球で、優勝投手として、ドラフト一位で入団した選手は、なかなか活躍できない」
 と言われた時代だった。
 いや、過去のプロ野球の歴史においても、高卒ルーキーが二けた勝利を挙げ、その名前を刻んだ人の中に、
「優勝投手」
 というのは、ほとんどいなかった。
 しかし、高校で優勝投手になり、鳴り物入りで入団してきて、そのまま二けた勝利を挙げた投手は、最終的に、名球会に入っている人が多かったりした。
 名球会というのは、ピッチャーでいえば、200勝、そして、バッターで言えば、2000本安打を達成した選手に贈られる称号であった。
 名球会というのは、プロ野球協会というよりも、かつてのレジェンドのような選手が定めたものであり、最近の野球の変化から、その選定にも少し変化が表れてきた。
 特に投手が少し変わってきた。
「最近の野球は、昔のような先発完投が多かった時代とは違い、中継ぎ、抑えのピッチャーも多い」
 ということで、セーブの数も名球会入会への条件に加わったりした。
 さらに、これは投手に限ったことではないが、最近のプロ野球は、海外を目指す人が増えてきた。
 日本である程度の実績を上げて、その実績を手土産に、メジャーリーグを目指すというものであった。
 日本で、数年活躍し、海を渡って、向こうで活躍する。この流れは、今から、四半世紀前くらいからあったのだ。
 それまではというと、
「日本の野球と、メジャーの野球ではあまりにも差がありすぎて、同じ野球といっても、まるで別のスポーツのようだった」
 とまで言われていた。
 つまりは、
「日本は野球で、メジャーは、ベースボールだ」
 ということであった。
 だから、助っ人外人というと、ほとんどが、ホームランバッターであり、
「現役大リーガー」
 と言われる選手が、日本に助っ人としてきたりなどすれば、年棒も違えば、下手をすると、ロッカーも違ったりして、明らかな特別待遇だったりした時代だった。
 当然、契約も複数年契約で、日本の選手の足元にも及ばない額の金を、その選手一人に払っていたのだった。
 ただ、
「あたりもいれば、外れもいる」
 ということで、日本に来て、
「現役大リーガー」
 と呼ばれたその名前にふさわしい活躍をする選手もいた、
 しかし、中には、まったく振るわない選手もいた、鳴り物入りで入団し、スプリングキャンプでは、その打棒が連日報道され、
「さすが、現役メジャーリーガー。オープン戦で、ホームランを連発」
 などと新聞記事の一面を独り占めしていたものだった。
 だが、実際にシーズンに入ると、まったく打てなくなっていた。
 敵チームのスコアラーによって、選手の欠点が研究され、開幕から、まったく振るわないという状態に陥ることも少なくなかった。
「オープン戦にいくらホームランを連発してもなぁ」
 とばかりにいわれるようになった。
 開幕から、ずっと、4番を撃ち続けている。いくら不調でも、打順を変えることをしない監督もいる。
 もちろん、監督の信念に基づいている場合もあるだろうが、それよりも、
「オーナーの命令」
 が多い場合もあった。
 オーナーとすれば、
「最初は日本の野球に慣れていないだけで、そのうちに、慣れてくると、打ちだすよ」
 といって、監督に、
「決して、4番から外したり、ましてや、スタメンから外すなどもってのほか」
 と言われていたのだろう。
 だから、4番を撃ち続けることになるのだが、オーナーの指摘とは、実は正反対であり。ほとんどの選手は、
「慣れてくる」
 というどころか、それよりも、選手自体が、自信喪失してしまうことの方が多かった。
 メジャー昇格してから、ずっとホームランを打ち続け、その勢いをかって、いろいろな球団が食指を伸ばすことで、複数球団に籍を置いていたのだった。
 日本の場合は、
「他球団に移る」
 というと、一番の原因としては、
「トレードというもので、自分たちのチームの補強する部分の選手を獲得するために、放出する交換相手」
 ということで、あまりいいイメージがなかった。
 一般社会人としても、
「職を移る」
 というと、いいイメージがない。
 何といっても、当時の日本は、
「終身雇用」
「年功序列」
 と呼ばれるのが普通で、一つの会社で、定年まで勤めあげるというのが、当たり前の時代だったのだ。
 だが、アメリカ風の、
「実力主義」
 と言われ出して、企業による引き抜きなどが行われるようになると、年功序列、終身雇用というのは、幻のようになっていった。
 バブル経済が弾けたことも、大きな原因だっただろう、だから、
「会社には、仕事のできない人間はいらない」
 などという言われ方をして、
「リストラしやすくした」
 ということもあったのではないだろうか?
 元来リストラというのは、
「会社を合理的な運営をする」
 というポジティブな考えのはずなのに、いつのまにか、
「人員整理」
 というネガティブな考えに変わってしまったというのだろうか?
 ただ、幸いにも、戸次がトレードされることはなかった。選手によっては、トレードされることが、復活の兆しになる選手もいるが、戸次尾場合はそうではなかった。
 だが、彼自身にも、
「ずっと東鉄球団にお世話になる」
 という気はなかったようで、それでも、今はその気持ちを奥にひそめ、とりあえずは、復活しないことにはどうなるものでもなく、必死にリハビリ、そして復活を目指していたのだ。
 二軍での生活は、それほど苦痛ではなかった。
 それでも、なかなか一軍切符を手にすることができなかったのは、焦りにもつながっていたが、そのうちに、それほどきついものではなくなっていた。
「慣れというのは、怖いものだ」
 と感じたのも事実だったが、辛さから逃れるという意味では、嫌なことではなかった。
作品名:マルチリベンジ 作家名:森本晃次