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マルチリベンジ

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「やっぱり、一番いい時期に1軍に上がってきたのかも知れないな」
 と思うと、監督やコーチの目が間違っていなかったということを感じたのだった。
 そう思うと、後半はあっという間に過ぎていき、最後のイニングは、3人で簡単に終わることができた。
 何と、完投勝利を上げることができたのだ。
「1軍では、3年ぶりの勝利、いかがでしょうか?」
 と、ヒーローインタビューで聞かれ、
「えっ、そんなにしていなかったんですか?」
 と大げさに答えたが、正直、このお立ち台も久しぶりだと感じはしたが、そんなに昔のことだとは思わなかった。
 むしろ、手術にリハビリという、最近の苦しかったことが、はるか昔だったように思えるくらいで、
「悦びって、こんな感覚だったんだ」
 とその思いに浸っていたのだった。
「野球をできる喜び」
 というものは、前から知っているつもりだったが、実際には、できていなかった。
 それは、学生時代から、
「努力すれば、何でも叶う」
 ということだったから、
「野球はできて当たり前」
 と思っていたのだ。
「挫折などというものをまったく知らずに、一生を終えられる」
 という人は、実際にいるはずはないのだ。
 当たり前のことであるが、その挫折が、人によってまったく違う。人それおれに性格だって違えば、考え方も違う。行き着く先が同じであれば、それこそ、皆同じであればいいだけではないだろうか?
 人によっては、
「他の人と同じでは嫌だ」
 と考える人がいる。
 何が違っていて、どこが同じであればいいというような正確なビジョンを持っている人もいるだろうが、
「基本的に同じ人はいないだろう」
 という考えが一般的なのではないだろうか?4
 今回の戸次が考えた結論は、
「一度挫折したからこそ、得ることができた考えではないだろうか?」
 といっていいだろう。
 インタビュアーから、
「この喜びを誰に一番伝えたいですか?」
 と聞かれ、いきなりの質問だったので、思い浮かばなかった。
 今回の勝利を手に入れることができたことで、そういう相手がいるということになるのだろうが、結局は、
「自分に限界というものを教えてくれた人」
 ということになるだろう。
 だが、さすがにいきなりだと、
「両親ですね」
 と答えた後、
「しまった」
 と感じた。
 しかし、それをファンがその質問の意味を分かったとして、本当に、戸次に、
「両親と答えてほしかった」
 ということなのかであった。
「今だったら、監督であり、コーチなんだろうな」
 と思うが、こちらもありきたりだと思い、それ以上、他に考えられない自分の限界を、ひょっとすると、
「情けない」
 と感じることであろう。
 ただ、もう一つ頭をよぎった考えとして、
「もし、これ以上勝てなくなったらどうしよう」
 というものだった。
 普通に考えれば、行き着く先だった。
「あくまでも、今回の勝利はまぐれであり、相手も研究してくるだろうから、喜びを一日喜べるとして、一日で終わってしまう可能性がある」
 ということになるだろう。
 だが、豪速球を投げられることが、現役を続けるうえでのモットーであった。
「先発は難しいのではいか?」
 という声があったが、豪速球ということになると、抑えの方が必要である。
 球団の事情から、
「個性のある選手の集まりがあればいい」
 ということになり、それと、実績とを天秤に架ければ分かるのだろうか?
 ちょうど、カムバックの時期としても、よかったかも知れない。
 シーズンも、いつものごとく、
「最下位にはならなかったが、優勝もできなかった。もちろん、Aクラスの入れないので、ペナントレース終了とともに、シーズンも終了」
 という感じであった。
 だから、復帰戦も、ほとんどが、
「消化試合」
 の様相を呈していた。
 優勝もできないし、それどころか、Aクラスにも入れない。
 そうなると、ファンも、
「ああ、今年も終わったな」
 という感じで、冷めたものであった。
 もっといえば、Aクラスになったチームでも、クライマックスシリーズで敗退すれば、もう、普通にシーズンも終了して、自分の生活に戻っていく。
 さらに、日本一になったチームも、ある程度は、浮かれた街ではあるが、次第にその熱も冷めてくると、
「街には、ゴミしか残っていない」
 といってもいいくらいになってしまっていることだろう。
 それを思うと、
「野球シーズンって、こんなにもアッサリしたものだったんだ」
 と、ファンも思うことだろう。
 野球少年などであれば、シーズンが終わって、野球放送がなくなると、急に世界が変わったかというくらいに、気持ちが意気消沈してしまうのだろうが、大人になってくると、確かにファン心理は、シーズン中は変わりなく応援するきもちは、 子供の頃と変わりはないのに、シーズンが終わると、ここまで心境が変化するというのは、自分でも理由が分からないと思っていた。
 しかし、逆に、大人になると、野球シーズンが終わると、
「普通に季節の風物詩が終わったというだけのことで、その後も、野球程盛り上がりはないが、静に、この季節には、この行事があるとして、気持ちが受け入れるということで、子供の頃ほどの、のめり込みがなくなっていることに、ショックのようなものを感じることもないのだった」
 と感じた。
 そんな野球シーズンの終わり頃に、監督が上げてくれたのは、一緒の、
「温情のようなものではないか?」
 と最初は思ったが、
「あの監督がそんな甘い人ではない」
 ということは分かっていたので、
「戸次を使うのは、温情ではなく、あくまでも来シーズンの戦力として考えているだけであり、だからこそ、今まで、少々の活躍をしても、決して一軍に上げようとしなかったのが、そういうことだったのだ」
 ということが分かるのだった。
 野球をやっていると、監督の気持ちが分かる時がある。
 それは、考えていることがテレパシーに載って分かるような感覚である。
 一試合だけのことではなく、チームとしての試合の大切さというものが分かってくるからであって、
「一試合一試合という単位だけではなく、ペナントレース全体を見なければいけない監督と、自分のことだけで大変な選手との間に、溝ができてしまうと、選手が、監督が思っているような働きをしてくれないだろう」
 と感じた。
「いくら監督が優秀でも、選手が、監督の意を汲んで、動こうとしてくればければ、それは個人競技となってしまい、結果、試合をぶっ潰してしまい、選手だけではなく、ファンまで置いてけぼりにしてしまうことになるのではないか?」
 ということになってしまうだろう。
 それを思うと、
「野球というものであっても、他のスポーツであっても、クラブチームである以上、選手と、チーム側の思惑が違うのは当たり前で、それをうまく橋渡しするのが監督であり。コーチだったりするのだった」
 ということになるだろう。
 そういう意味では、戸次のまわりのチーム感覚は、
「結構いいチームなのだろう」
 ということであった。

                 奇妙なボール

 何とか復活できるようになったことで、
作品名:マルチリベンジ 作家名:森本晃次