マルチリベンジ
悪いことは重なるもので、さすがに、5年目近くになると、焦りが出てのか、練習中に無理をして、肘を壊した。
医者の見立てでは、
「これは手術が必要だ」
というではないか。
昔だったらいざ知らず、このまま行っても、どうせ、どうにもならないのであればとばかりに、彼は手術に踏み切ることにした。
手術には、
「ひじの手術では第一人者」
と言われる、ジェイク博士に任せた。
ジェイク博士は、これまでも、エース級の選手で、いきなり肘を痛めたために、
「このままでは再起不能になる」
と言われ、他の先生が匙を投げるような投手を、自らの責任で治すとばかりに手術をし、有言実行にて、しっかりと再起させることに成功したことで有名な博士だった。
そもそも、
「ひじにメスを入れるなど、御法度」
と言われた時代に、最初に手術をしたレジェンドで、それまでの神話をいい意味で打ち破ったということで、神様のように慕われるようになったのだ。
それまでの神話というと、いいことが神話として言われていて、
「いいことの神話は、最近、やたら崩れかけている」
と言われていた。
その証拠が、バブル時代における、
「金融機関の倒産」
であった。
特に当時の日本は、バブル景気と言われていて、
「銀行に入社できれば、自分から辞めない限りは安泰だ」
と言われていたのだ。
「就職するなら、公務員か。銀行か」
と言われるほどの花形企業だったのだ。
銀行に入社して、いい方にうまくいけば、出世も望めるというもので、そもそも、何をやってもうまくいく時代。要するに、事業を拡げられるだけの力があるかということだけだったのだ。
そういう意味で、銀行を仲間五つけておけば安心だった。
だから、逆に銀行に睨まれると、何もできなくなる。
銀行の行員というだけで、ちやほやされ、逆らうことが許されない世界。
「バブルがはじけて世の中がおかしくなったのか、それとも、バブル自体がすでにおかしかったということなのか?」
と、感じてしまうのだった。
バブルがはじけてからというもの、冷静にバブル時代を思い出していると、気違いじみていた毎日が思いだされる。
あの頃は、毎日が、まるで、
「竜宮城にずっといるかのようだった」
といってもいいだろう。
竜宮城というところは、
「浦島太郎がいたのは、2,3日だったというが、地上では、700年以上が経っていた」
というではないか。
つまり、あのままいれば、果てしない毎日が繰り広げられていたということになり、
「乙姫様は、浦島太郎が本当はいつまで一緒にいてくれるということを望んでいたのだろうか?」
ということを考えてしまう。
乙姫様は、当然太郎のいた世界と、この世界の時間の違いを分かっていたはずだ。
分かっていて、いつまで一緒にいようと思っていたのかによって、太郎が戻るであろう地上の世界が変わっているはずだ、
「ひょっとすると、事情の世界がなくなってしまっている時代まで一緒にいてくれて、地上に戻ると、その場にこの世がなくなっていると知った時、もう戻ってくるところは、竜宮城しかないと思い、自分と竜宮城で一緒に暮らしてくれる」
というタカをくくっていたのかも知れない。
しかし、太郎は思っていたよりも早く、
「地上に帰りたい」
と言い出した。
太郎にほれ込んでいた乙姫が、
「太郎に嫌われたくない」
という一心から、太郎の進言に逆らえなかったのかも知れない。
ただ、これは、乙姫が想像していたシナリオではなかったはずだ。だから、乙姫は困った。
「こんな中途半端な時期に戻るなどというとは思ってもいなかった。どうすればいいんだろう?」
と感じていたのかも知れない。
そう思うと、乙姫は、誰かに相談したのかも知れない。そして出た結論が、
「玉手箱」
だったのではないだろうか?
その心が太郎に対しての想定外の想像に、乙姫自身少し、焦りがあったのかも知れない。
そして、
「懲らしめる意味を持って、玉手箱を持たせた」
という考えもあるかも知れないが、それよりも、他に含みがあったのかも知れない。
一つ気になるのが、
「乙姫は、本当に地上で生きていけるのだろうか?」
ということであった。
浦島太郎の本当のお話と言われているのは、本当はハッピーエンドだと言われている。
つまりは、
「地上の世界に戻った浦島太郎は、その変わり方と、知っている人がいないということにショックを受けて、玉手箱を開くと、おじいさんになってしまった」
というのが結末のように言われているが、本当は、その後、
「浦島太郎を好きになった乙姫が、太郎を追いかけて、カメになって地上に現れ、太郎は鶴になって、二人は、末永く暮らした」
というものであった。
ただ、一つおかしいと思うのは、
「なぜ、二人とも鶴なら鶴。カメならカメにならなかったのか?」
ということである。
確かにこの二匹の動物は、
「長寿で有名」
ということで、
「鶴は千年亀は万年」
と言われているではないか。
しかし、冷静に考えれば、
「鶴と亀は千年は、末永く仲睦まじく暮らしていけるかも知れないが、じゃあ、千年経って鶴である浦島太郎が死んだ後、カメである乙姫は、残りの九千年ずっと一人で生き続けなければならないということになるだろう」
ということである。
これは、拷問に等しいのではないだろうか?
それを考えると、太郎に玉手箱を与えたのは間違いで、本当は乙姫が玉手箱を持っていて。太郎が死んだあと、自分が玉手箱を開けて、年を取るということであれば、理屈が分かるというものだ。
しかし、もっといえば、
「二人とも、カメならカメ。鶴なら鶴」
ということで、
「同じものになれなかったのか?」
とも考えられる。
これは、
「乙姫の神通力が、竜宮城であれば、万能だが、この世では、ほぼいうことを聞かないということで、どちからにしか、それぞれなれなかったのかも知れない」
ということを考えれば、本当はもっと太郎に竜宮城にいさせて、帰り付いた村どころか、地上自体がなくなっていて、戻ってくるのが、竜宮城しかなかったとすれば、乙姫の目指したものは、達成されるというのではないだろうか?
そう考えると、
「玉手箱というものの発想」
「鶴と亀でどうして違うのか?」
「太郎が戻った700年後の世界という中途半端な時代設定」
というものへの疑問がすべて、解消されるのではないだろうか?
浦島太郎の話に限らずに、昔話というのは、いろいろ分からないところがある。
この浦島太郎の話であっても、そもそも、
「2,3日しかいなかった」
という世界から、カメに背中に乗って、海の底から、地上に上がると、そこは、
「700年後の世界だった」
ということである。
そもそも、
「水中に入るのに、アクアラングもつけずに、よく呼吸がもつものだ」
というのが、当たり前の発想なのだが、そんな違和感を、鈍らせるほどに、この話はおかしなところが多すぎる。
「1つのウソを、99の本当のことで隠す」
と言われるようなものではないだろうか。
この場合は、
「数にものを言わせる」