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一蓮托生の息子

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「はあ? だからなんだっていうんだよ。実際にスプリンクラーも作動していないし、警報ブザーだって鳴ってない。防犯カメラだって、何かがあって確認することになるわけで、結果、火事で燃え尽きた時に、犯人を割り出すためだけのものじゃないか。スプリンクラーだって、作動した時には、もう時すでに遅しだろうに」
 と思ったが、グッと口に出すのを堪えた。
 こっちは、確かに時間があったからここまできたのだが、
「わざわざ教えに来てやった」
 という自負があるのだ。
 それなのに、
「茶を出せ」
 とまでは言わないが、自分は用事をしながら、片手間での作業をしているだけだ。
 まったくこちらのことを考えようとしているわけではなく、むしろ、
「面倒なことを持ってきた、厄介な客」
 とでも思っているのではないだろうか?
 そんな風に考えると、
「確かにタバコを吸っているやつが一番悪いのだが、それと同等で、役所の人間も、意識が最悪というべきか、少なくとも、通報者に対しての礼儀すらないとは、これがいわゆる、お役者仕事というものか?」
 と思い知らされた。
 先ほどのタバコを吸っている人間にしろ、この役所の係の人間にしろ、
「二重人格の悪の方が出た」
 といってもいいんだろうか?
「いや、こういうやつらは、普段から、ずっとこんなやつなんだ」
 ということである。
 タバコを吸っていた輩だってそうではないか?
 人がいるのに、悪びれる様子もない。カメラを構えているのに、堂々と火をつける。常識では考えられない。
 しかも、役所の人間だって、こちらのことを考えているわけではない。
 すべてが投げやり、いきなりの言葉として伝わってきたのは、
「スプリンクラーと防犯カメラを設置しているから、大丈夫」
 といっているということ。
 何が大丈夫なものか、大丈夫というのは、
「火事を起こした犯人を捕まえることができる」
 ということであり、実際に火事になった門のことを考えていないのだ。
 もし、本当にカメラやスプリンクラーの設置を、
「抑止力」
 と考えるのであれば、
「防犯カメラ、スプリンクラー設置中」
 ということで、主要な部分に、貼り紙をしていてしかるべきだ。
 それでも、見ずに火をつけたのであれば、しょうがないといえるかも知れないが、正直、目立つところどころか、貼りだしている気配もないのであれば、救いようがない。
「職務怠慢だ」
 といっていいだろう。
 もし、燃え尽きてしまったら、どうする気なのか?
 そのまま、再建しないということであれば、容赦しない連中が抗議に訪れるだろう。
 逆に、
「再建する」
 と言った場合には、完全に市民の税金が使われるということになるわけなので、これが、
「やむを得ない火の不始末」
 という不可抗力であれば、しょうがない。
「次回から、しっかりとした再発防止を」
 ということになるのだろうが、今度の場合は、その再発なわけである。市民はまず納得しないだろう。
 当然、環境課の責任者の更迭。さらに、
「通報してきた人の助言を無視して、防犯カメラと、スプリンクラーだけに頼っていたのだ」
 ということになれば、その罪の大きさは、
「タダでは済まない」
 というものである。

                 予期せぬ病気

 そんな事態に関して、誰が責任を取るというのか、何とも言えない虚しさのようなものを感じた吉松だった。
 カフェでの失礼なやつは、二重人格なのかも知れないが、お城でタバコに火をつけるやつ。さらに、役所での、完全な職務放棄というこの連中に限っては、
「二重人格の悪の方が顔を出した」
 というものではなく、
「裏表というものがない、真性の悪だ」
 といってもいいだろう。
 真性ということなので、完全に、
「病的な悪だ」
 ということである。
「この連中に正義というものはない」
 と思うと、いろいろ考えてしまう。
「生まれ持って、正義というものを持っていない、一種の突然変異のようなやつなのか?」
 あるいは、
「生まれてからの育った環境などから、正義という感覚が消えてしまった」
 というものなのか?
 そのどちらなのかを考えてしまった。
 ただ、そのどちらにしても、
「同情の余地はない」
 といえるだろう。
 もし、同情したり、容赦をしてしまうと、自分たちがこいつらのために、被害を受けてしまう。
 タバコの火を、
「危険なものだ」
 という基本的な認識が欠如しているのだから、例えば自分の住んでいるところでタバコをポイ捨てしても、まったく意識しないことになる。
「逃げ遅れて、火事場から数名の遺体が」
 などというニュースの遺体が、自分にならないということを誰が言うことができるというのだろう。
 いわゆる、
「殺され損」
 ということで、
「死んでも死にきれない」
 とはこのことだ。
 さらに、役所の方だが、もし、重要文化財が燃えたことで、再建するとなれば、使われるのは、血税である。
 本来なら、将来のたくわえであったり、福祉費に回るはずのものが、使われるわけなので、自分の老後などを考えると、まったく容認できるものではない。
 重要文化財の再建ともなると、かなりの時間も要するだろうし、その時間を金に換算し、実際に修復費用という莫大な金額を考えると、
「ああ、建て直すための税金しようなら、しょうがない」
 などと一口で言えるものではない。
 どうせ、市の方では、
「不可抗力による不審火」
 として、自分たちにはまったく落ち度はないということを、言いまくるに違いない。
 何しろ、タバコを吸っている人間の存在を握りつぶしたということを認識している人は、数少ないからだ。
 しかし、もし、吉松が、
「俺はちゃんと忠告したのに、市がまったくいうことを聞かなかったのだ」
 ということを声を大にして言ったり、あるいは、マスゴミにリークして、大げさに記事を書いてもらい、大問題にしてもらおうと考えていたら、どうするつもりだろう。
 もっとも、マスゴミも暇ではなく、
「それくらいのことで、記事にはできない」
 ということを言えば、どうなるというのか。
 確かに、記事になる可能性は低いかも知れない。
 しかし、マスゴミも市の態度に据えかねるものを持っていて、
「何かあれば、それを契機に、一気にまくし立ててやろう」
 とでも思っていたとすれば、これは、完全に、
「飛んで火にいる夏の虫」
 の状態で、彼らも待っていることだったかも知れない。
 市や県の行政というものは、マスゴミにとっては、結構、
「おいしいニュースソース」
 になりかねないような気がする、
 マスゴミによっては、
「警察番」
 という人間だけではなく、
「役所番」
 と呼ばれるような人がいて、実際に何かあったら、その人が、役所をディスる記事を書くということになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「市役所ものんびりもしていられないのではないか?」
 と普通なら思うのだろうが、それでも、普通に仕事をしているとすれば、よほど肝が据わっているか、
「バカだ」
 ということになるのだろう。
 普通に考えれば、
「後者しかありえない」
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次