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一蓮托生の息子

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「もう一人の自分というものが、果たして同じものなのか?」
 あるいは、
「同じところを出発点にしているものなのか?」
 という考えなのかということが頭に浮かんでくるのだった。
「ドッペルゲンガーというものは、その人の行動範囲以外に現れることはない」
 と言われているが、このこと一つを考えても、
「まるで影のような存在だ」
 ともいえるだろう。
 しかし、これはあくまでも、
「言われている」
 ということであり、果たして、
「本当にあったことなのか?」
 ということになれば、
「後付けで、結果から、原因を導いているという、帰納法的な考え方になるのではないか?」
 といえるかも知れない。
 そう考えると、どちらの考え方にも一理はあるが、信憑性に欠けるところがある。そういう意味では、
「決定的な証拠としては、帯に短し、たすきに長しだ」
 といえるのではないだろうか?
 人間というものには、影がある。
 これは、
「影がある」
 という結果に対して、
「どうして影があるのか?」
 ということを考えた時に、
「太陽の方角と反対方向に伸びているからだ」
 と、今の人はすぐに理解できるが、それはあくまでも、
「影というものが、光が何かに当たって、その後ろにつくものだ」
 という理屈を分かっているから、
「どうして、影があるの?」
 と、小さな子供から聞かれた時、
「太陽の光が……」
 と言い出したとしても、そのこと自体を理解していない子供に、わかるはずがない。
 算数でも、掛け算などを教える時、自分たちであれば、
「掛け算は、足し算の延長」
 として理解しているから、当然のごとく、その解釈で教えようとするだろう。
 しかし、果たして、その子は足し算というものを分かっているのだろうか?
「一足す一が二」
 ということを、本当に理解しているのだろうか?
 最初のそこから分かっておらず。足し算というものを、最初から躓いた状態で、分かったふりをしているとすれば、絶対にそこから先に足を踏み入れることはできない。
 これと影や、さらには、そこから派生する、
「二重人格」
 という話が、展開できるわけはないのだ。
 それを思うと、
「世の中というものは、自分が思っていることが必ずしも、正解ではない」
 と言われることを、
「最初から分かっていないかも知れない」
 と理解したうえで、当たらなければいけないだろう。
 その時に、学校の先生などは、
「分からない子が分かるまで、教育するのが当たり前のことなのだろうか?」
 それとも、
「先に進んでいる子供を放ってもおけないので、その子たちを中心にして、分からない子は放っておくしかないのか?」
 ということが問題であった。
 ただ、日本という国は、
「民主主義国家」
 である。
 民主主義というのは、
「多数決の世界」
 ということなので、落ちこぼれか、先に進んでいる生徒のどちらが多いかということを考えるべきなのだろうが、どうしても、先に進んでいる子を放ってはおけないということに終始するだろう。
 学校の都合というのも出てくることで、そうなると、教育というのは、
「多数決や、人情では、行うことのできない」
 ということになり、結果、
「営利」
 というものが、優先されることになるのだろう。
 あの失礼な男はどうだったのだろう?
 二重人格の、
「悪」
 の方が顔を出したということで片付けていいのだろうか?
 元々、善などというものはなく、
「勧善懲悪」
 と呼ばれる人間からすれば、それは、悪でしかない人間の存在を認めるということになるのであろうか?
 勧善懲悪といえば、もっと、とんでもない悪党を見たことがあった。
 住んでいる街には、少し大きな城が昔あったようで、天守のようなものは残っておらず、復興もされていないが、天守台は残っていた。その大きさから、結構な規模の天守が聳えていたという想像は巡らせられるのだが、いかんせん、その資料が、ほとんど存在しない。実際に、関ヶ原の論功行賞により、この地に転封された領主が、この土地に城を構えてから、大阪の陣によって、
「元和堰武」
 と言われ、幕府による、
「平和宣言」
 が行われたことにより、お城は不要なものだということで、一つあればいいということになり、いわゆる、
「一国一城令」
 というものまで出された。
 そこで、幕府からいらぬ嫌疑を抱かれないようにということで、せっかく建造した天守を、取り壊したという話が伝わっている。
 もし、天守があったとして、その存在期間として、長くても、八年くらいではないかと思われるのだった。
 しかも、遺構のようなものも、そこまでたくさん残っているわけでもない。ただ、城郭ファンの人たちにとっては、
「貴重なものがたくさん残っている」
 といって、結構人気があるようだ。
「お濠や石垣、本丸、二の丸、三の丸などの敷居であったり、さらには、門が二つに、二階建ての櫓が一つ、さらに多門櫓なども残っている」
 ということで、それぞれが、重要文化財となっていて、貴重なもののようであった。
 そんな中において、かつては、
「裏門」
 として大きな役割を示した門があるのだが、そこを通りかかった時、たまたまであったが、そこで、タバコに火をつけるとんでもない輩を見つけたのだ。
 ちょうど、距離的に結構離れていて、自分が、門を撮ろうとして、スマホを構えているところに現れての暴挙だったので、相手はもし、こちらの行動に気づいたとしても、
「門を撮ろうとしているのだろう」
 と思い、因縁を吹っかけられることもないだろう。
 そもそも、まわりを気にするようなやつなら、誰かがいるそんな場所でタバコに火をつけたりなどしないだろう。しかも、こちらがスマホを構えているのに、その恰好は、まったくこちらを気にしている様子はなかった。明らかに、
「どうでもいい」
 とでもいうような様子だった。
 その後タバコがどうなったのか分からないが、
「どうせ、あんなやつだから、足元に落として、脚でもみ消したんだろうな」
 と思ったが、ここまで無神経なバカであれば、そのまま足でもみ消すこともないかも知れない。
 火事になったわけではなかったので、事なきを得たのだから、
「よかった」
 ということでいいのだろうか?
 その門のことをネットで調べてみると、何と、20年くらい前に、不審火で、一度燃え落ちているというではないか。
「タバコの火の可能性もある」
 と書かれている。
 これを知ってしまっては、このまま、放っておくわけにもいかない。この城の管轄は、市だということだったので、早速市の、経済環境課を訪ねてみることにした。
 その市の環境庁に行ってみて、さっき撮った写真を見せて、
「ここでタバコに火をつけているのが分かるでしょう?」
 といって見せると、
「ええ、そうですね。でも、あそこには、防犯カメラとスプリンクラーが設置してあるので」
 と言い出した。
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次