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一蓮托生の息子

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 正直、先生と呼ばれることが嬉しくて仕方がない。
 先生というのは、憧れであり、ありがたさが、身に染みる思いだった。
 だから、最初の常連になるきっかけがそれだったのだ。
 そのお店は、
「病院がコンセプト」
 ということで、医療関係のものが結構あった。話を聴いてみると、
「ネットオークションで購入した」
 というものがほとんどだった。
 人体模型の人形であったり、大きな手術室にあるような丸い照明であったり、食器類も、前述のビーカーや、膿盆、医療関係のものも多かった。
 話を聴くと、
「薬事法に違反しないかどうかも、入念に調べて、営業しているんですよ」
 と、当たり前のことではあるが、そこまでしてコンカフェの営業をしたいと思うのは、第一には、
「オーナーの個人的な趣味」
 であり、
「遊び心が満載な人だ」
 ということになるのだろうが、それだけではなく、実際に、それだけの努力を絶えず考えている人だということであろう。
 そんな努力に塗れた店は、フォローに値するだけのことはある。
 しかも、店の半分を、
「個展を開きたいが、お金がない」
 あるいは、大きな会場しか借りられない」
 と、素人のこじんまりとして個展であっても、ここであれば、格安でできるのである。
 搬入も、自分が手伝えば、割引もしてくれるというような、アットホームな環境で、
「こういう店を常連にしているというだけで、自分のステータスになるような気がするよな」
 と、吉松は、そう感じていたのだった。
 吉松にとって、このお店は、そういう意味で、
「芸術家の集まり」
 といえるだろう。
 自分の作品は、文学作品なので、絵画や彫刻のように、展示作品というわけではない。それでも、他の芸術家の人たちと、
「芸術家仲間」
 として、その輪の中にいられるというのは、
「ありがたいことだ」
 という意味で、この店の空間にいることで、
「何か有頂天になれるような雰囲気を与えてくれる」
 と感じていたのだ。
 店の女の子も、密かにお気に入りで、普段から、気さくに話ができるのもありがたかった。
「常連になれるようなお店ができて、実に嬉しい限りです」
 というと、
「そういってくださるとうれしいです」
 という言葉が返ってきた。
 本当にありがたいことであった。

                 二重人格

 店の常連になってからというもの、店の女の子からは、
「小説を書いているという人の話は、結構聞きますよ?」
 ということであった。
 しかし、実際に、本当に執筆をしている人というのを、この目で見たことがなかったのも事実で、
「小説を書いている人、本当にいるのか?」
 と聞いてみると、
「ええ、いるのはいるみたいですよ。中には、自分の本だって言って、持ってくる人もいますからね」
 ということであった。
「そうなのかな?」
 と、若干、不信感を抱きながら、相変わらず、店で執筆をしている時のことだった。
 それまで馴染みの常連さんが帰った後、ちょうど入れ替わりくらいで自分が来店したのだが、注文して、作業を始めようと思いパソコンを開いたくらいに、ちょうど、他の客が入ってきた。
 自分と同じくらいの年齢だっただろうか。どうやら初めての客のようで、どうやら、結構遠くからの来店ということだった。
 コンカフェということもあり、店では、来店時に、いつもの顔でなければ、
「初めてですか?」
 と聞くようにしている。
 というのも、初来店の際には、来店の理由を聞くようにしている。
 要するに、
「口コミなのか、ネットなのか、他の媒体なのか?」
 という、一種の、
「アンケート」
 のようなものであった。
 それが、集客のデータとして、今後に生かそうということなのだろう。どうしても、コンセプトカフェというと、ヲタクだったりの、一癖も二癖もある人の来店ということになるので、そういう情報がかなり重要だったりするのだろう。
「私は初めてですね。前に雑誌で見たことがあったので」
 ということであった。
 ちょうど、他に来客はなく、吉松とその男だけが唯一の客だった。その男は、吉松を見つけて、
「小説を書かれているんですか?」
 と聞いてくるので、
「ええ、そうですが」
 と答えると、その男は満足したように、自分の席に戻り、
「自分も作家なんですよ」
 と言い出すではないか。
 それを聴いて、店の女の子は興奮して、
「そうなんですか?」
 というと、待ってましたとばかり、
「この店の内容を話しにしたりもしました」
 と、満を持していった。
 それを聴いて、あざとさが感じられたが、
「まあいいか?」
 と思って聞いていたが、女の子がその話に飛びつくと、今度は、
「自分は、声優関係のプロデュースもするので」
 などと、明らかな自慢話に入ってきた、
 すでにその時は、皆興奮状態で、こっちが集中していることなど、まったく忘れてしまっているかのようであった。
 その客に載せられて、まんまと店の女の子は、完全に前のめりになっているのだ。
 吉松も、人がいなかったり、作業をしている人がいなければ、声が大きくなることもあった。
 しかし、そんな時、女の子から、
「もう少し、声のボリュームを下げて」
 と言われたもので、そのたびに反省をしたのだが、その反省を促した女の子が、一緒になって大声を出すとは、まったくもって許しがたいといってもいいだろう。
 ただ、それも、
「相手に煽られた」
 と思えば、むげに文句をいうのも、まずいだろう。
 こういう言い方はまずいのかも知れないが、
「どうせ、うるさい声を出しているやつは、その時だけで、もう二度と会うことはないだろう」
 といえるのである。
 しかし、店の女の子は、これからもその店に行く限り、会うのである。天秤に架ければ、どちらを優先するかは、おのずと知れているだろう。
 だが、逆に考えれば、この時の男が、吉松と同じような発想であれば、どうなのだろうか?
 ということである、
 つまり、相手も、
「この人とは、もう二度と会うことはない。だから、ここで嫌われようが別にかまわないと思っている可能性もある」
 ということである。
 つまり、
「そう思っている相手に、無理に突っかかっていっても、どうなるものでもない」
 ともいえるだろう。
 そうなってくると、
「俺が、文句をいうことで、却って相手を煽って、その場の雰囲気を壊すことになれば、いつもは優しくて、自分に気を遣ってくれる女の子にも深いな思いをさせることになるのではないか?」
 ということになれば、
「自分の本意ではない」
 ということになるであろう。
 そう思うと、
「ここで、ことを荒げるのも、大人げない」
 と思うのだった。
 ただ、普通の人だったら、
「そんな回りくどいことを考えずに、一直線に、この結論になるのではないだろうか?」
 と感じるのであった。
 だが、どうしても許せないところがあった。
 というのは、
「この男、最初から計算ずくでやっていたのではないか?」
 というあざとさを感じたからだ。
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次