一蓮托生の息子
ということになり、あまり気にすることはないのだろうが、
「これこそが奴隷だ」
と思うと、背筋が寒くなってくる人も少なくはないだろう。
そんなこともあって、プロ作家への道は、早々と諦めた、吉松恭吾だった。
吉松は、中学の時に、
「小説家になりたい」
という思いを持っていたが、その気持ちを断念したのは、30歳の時だった。
今は、45歳になっているが、30歳というと、ちょうど、例の、詐欺商法事件のあった、
「自費出版社」
が、軒並み倒産していった時期だった。
その時に、
「小説家というのは、自分が好きなことをできるものではなく、金を貰うということで、完全に仕事なんだ」
ということを思い知ったからである。
自分が好きなように書いたり本を出したりできるのは、しょせん、自分のお金でしかないということに気づくと、
「作家として売れるから、本を書く」
ということが一般的であるが、
「本を、どういう形でも出した後、その本を見た人がどのように評価してくれるか?」
という方が、自分で好きなように書けるし、実際に、
「一冊でもいいから、本を出したい」
という思いと、
「あわやくば、たくさんの人に見てもらいたい」
という思いとが、折衷案という形であるが、バランスという意味では、一番いいのではないだろうか?
「なんといっても、自分の好きなようにできる」
という意味でも、言えることであり、そのことが、出版社の意向とは関係ないということで、気楽にできることだと思ったのだ。
だから、
「仕事をしながらの執筆」
という方が気が楽だし、何も、自分の信念を曲げてでも、小説家になりたいとは、思わないのだ。
そんなことをいえば、
「小説家になることから逃げる言い訳をしているだけだ」
と言われるかも知れないが、それでもいい。
何を意地になるというのか、小説家になるということは、
「自分の本が売れて、自分が小説家だということで、世間や出版社からちやほやされる」
ということを、望んでいるのだとすれば、大きな間違いだ。
プロになれば、なるほど、出版社の人は、作家を、
「先生」
といって、持ち上げてはくれるだろう。
それはあくまでも、小説を生み出すというだけのことであり、別に人間性を慕ってくれるわけでもない。下手をすれば、
「作家などという人種は、我々とは違うんだ」
ということだ。
そういう意味では、医者が相手のプロパーとは、かなり違っている。
医者が相手のプロパーは、半分、
「医者の奴隷」
という雰囲気があった。
今はどこまでか分からないが、
「医者のいうことは絶対」
であり、医者が、今すぐに来いといえば、飛んでいかなければいけない。
ゴルフの付き合いや運転手など当たり前、小間使いか、お手伝いさんと同じ扱いであった。
そんなプロパーと違い、作家相手の担当は立場が強い。締め切りのために、作家を見張っていて、逃げられないように監禁するのだ。
もちろん、担当もそれなりに気を遣って大変だろうが、見る限り、プロパーとは、随分と趣が違っているものだ。
それを考えると。
「作家というものは、本当に情けない人種だ」
と思わないでもない。
やはり、国家資格や、人の命を預かるという仕事上の立場の違いが大きいのだろうか?
あれはいつのことだったか、実に最近のことだったように思う。
吉松が、いつものように、小説を書こうと、馴染みの店に顔を出したことだった。
数年前くらいのことだっただろうから、集中力もしっかりしてきて、小説を書くということが、苦痛ではなくなっていた。
では、
「それまでは苦痛だったのか?」
と聞かれれば、答えは、
「イエス」
であった。
毎回毎回、小説のネタが浮かんでくるわけでもないし、同じスピードで、スラスラ書けるわけではない。
実際に小説を書いていると、詰まってしまったりなどということは、しょっちゅうだった。
それでも、小説を毎日のように、ルーティンとして書いていると、パターンのようなものが出来上がり、そのパターンに沿って、小説を書けるようになるというものであった。
小説を書くということは、そういうことであり、頭で考えていると、急に我に返ってしまうことで、そこまでいいリズムで書けていたことが、一気に冷めてしまい、続かなくなってしまう。
だから、
「スピードは重要だ」
と、思うようになってきた。
そうなると、次に考えるのが、
「質より量だよな」
ということであった。
量をこなしているうちに、書くことにも慣れてくるし、集中力の持続にもつながってくる。
だから、途中から、時間とスピードを意識するようになった。
「一時間に、何文字」
といった感覚で、スピードがある程度まで上がってくることを目指したのだ。
小説というものは、
「感性というものが必要だ」
と言われるが、それは、
「思考を超越したものではないか」
と思うのだった。
書いている最中、つまり集中している間に、気が散ってくると、我に返ってしまい、何を書こうと思っていたのか、さらに、そこまでうまくつないできたリズムを自らで崩してしまうことになる。
だから、
「集中力というものが、大切だ」
ということになるのだ。
だから、まわりで騒がれたり、うるさくされると溜まったものではなく、そんな思いをしたのが、
「数年前の出来事」
だったのだ。
その時は、馴染みのコンセプトカフェがあるのだが、よく吉松は、執筆に出かけていた。店は、
「1時間ワンオーダー制」
だったので、一時間で再注文すれば、いつまでもいてもよく、
「粘る客がいる」
ということで、鬱陶しがられることはなかった。
むしろ、客の少ない時などは、半分はサクラという意識と、店の人も。客がいる方が、気分的にも、
「寂しくない」
ということで、利害が一致していたのだ。
集中しているところ、一時間でコロコロ店を変えるなど論外で、集中していると、
「1時間が経っているのに、感覚的には、まだ5分くらいしか経っていない」
というのと同じで、集中力というのは、それだけ、
「時間の進みを感じさせない」
というものだったのだ。
その店では、お気に入りの女の子がいるのも、実は、入り浸っている理由の一つでもあったのだ。
そのお店は、コンセプトとして、
「医療関係」
というものであった。
ソフトドリンクは、ビーカーに載ってきたり、デザートなどは、ちょっとオカルトチックなタイトルであったりと、オーナーは店長の意向が結構入ったお店であった。
そんな店を気に入ったのは、オーナーも、芸術家で、本来は、
「工芸作家だ」
ということであった。
結構気さくなおじさんで、吉松のことを、
「先生」
と呼んでくれた。
「どうして、そういう呼び方をしてくれたんですか? 普通に嬉しいんですけど」
というと、オーナーは、苦笑いをしながら、
「だって、名前を聞いてないからね。作家の先生ということで、先生って呼ばしてもらったんだよ」
と言われたのを聴いて、それで、一気に距離が縮まったといってもいいだろう。