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一蓮托生の息子

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 とでもいいたかったことだろう。
 しかし、今はすっかり丸くなっていて、息子が自分の後を継いでくれたかのようで、嬉しかった。
 実は息子には、自分が研究していた例の、
「子供だけが罹るという伝染病」
 のことを、ハッキリとは言っていないが、ヒントとして与えておいた。
 だから、息子はヒントから、いろいろ察することに掛けては、自分よりも優れていると思っていたことで、
「いずれ、わしが目指したものを、息子が研究してくれる」
 と思ったのだった。
 実際に、息子の研究は一定の評価を受け、
「鹿児島博士の息子」
 ということで、それなりの地位をえていたようだ。
 人によっては、
「親の七光りと言われるのが嫌だ」
 という人も結構いるのだろうが、息子はそんなことにはこだわらなかった。
 こだわる人も、こだわらない人もそれぞれに意地というものがあり、考え方があることだろう。
 息子の性格が自分に似ていると分かっていることから、
「人に飽きられないようにということを、まず考えているんだろうな」
 と思うと、
「まわりを必要以上に意識しない性格なんだろうな」
 と感じたのだ、
 ある意味、一歩間違えると、
「変人」
 というレッテルを貼られる。
 鹿児島博士の場合は、
「そんなことは一向にかまわない」
 と思っていた。
 人が何を考えているのかということにこだわるくらいなら、最初から、父親と同じ道を歩むようなことはないに違いない。
 そう思うと、息子の考えていることが手に取るように分かってきて、
「わしが得た知識を漏れなく与えてやろうとも思ったが、それに関しては、頑なに拒否るに違いない」
 と感じたのだった。
 息子の性格を見ていると、今度は、自分が躁鬱だったことを思い出した。
「熱しやすく冷めやすいというのは、そこから来ているのかも知れない」
 と感じるのだった。
「世の中において、似た人間が三人はいる」
 と言われているが、それはソックリさんということなのか、それとも、
「もう一人の自分」
 という意味での、ドッペルゲンガーという発想から来ているのか、どっちなんだろう?
 と思うと、
「自分の二重人格性は、もう一人の自分を証明していることではないか?」
 と感じると、
「ジキルとハイド」
 を思い出すのだ。
 どちらかが表に出ている時は、決して意識することはなく、夢を見ているようだ。そんな人間が、ドッペルゲンガーと言われるもので、
「もう一人の自分だ」
 ということになるのだろう。
 だから、似た人というわけではない、似た人というのは、
「似て非なるもの」
 であり、似ているだけで、決して自分というわけではない。
 だから自分に似た人を見付けることはできても、もう一人の自分を見つけることはできない。
 それが、
「ドッペルゲンガーを見ると、近い将来、死に至る」
 というものなのだろう。
「世の中には、自分と似た人間が三人いる」
 と言われる人たちは、あくまでも、
「似た人間」
 であり、
「もう一人の自分」
 ではない。
 もう一人の自分というのは、ドッペルゲンガーと呼ばれるもので、少なくとも、
「本人の行動範囲以外で出没することはない」
 と言われているのだった。
 つまりは、知らない人と行動を共にするというのは、
「ドッペルゲンガーであっても許されない」
 ということなのだろう。そういう意味で考えれば、
「もう一人の自分は、この世にいるのではなく、別の世界。ただ、その世界は、異次元ではなく、並行宇宙と言われる、パラレルワールドのようなものに存在しているのではないか?」
 という考えであった。
 異次元というのは、時間の進み方も、時間自体も違っているものであるが、パラレルワールドはあくまでも、同一時間に存在する別の世界なので、同一時間という考え方が、元々なければ、成り立つ考えではないといえるだろう。
 そのことを考えると、鹿児島博士は、
「自分の身体の中に、パラレルワールドへの入り口がある。一種のワームホールだ」
 と思っているのかも知れない。
 たまに、自分がこの世に存在しているはずなのに、急に
「まるで、異次元から、この世を他人事のように見ている自分がいるような気がする」
 と感じていたことがあった。
 その思いが、まるでバイオリズムのグラフのように、
「同じ動きをしているのだが、リズムが微妙にずれているので、いずれ、三つが重なる時があり、その時が不吉なことが起こりそうな気がする」
 というものであった。
 この発想が、躁鬱症であったり、二重人格というものに、どのような影響を与えているのかが難しいところであろうか?
 鹿児島博士が、今フラッと現れたのだが、雲隠れしていたと思われる時期、誰も、鹿児島博士のことを気にしなかった。
 しかし、鹿児島博士が現れたその時、
「博士、一体どこにいってらしたんですか?」
 と言ってくる人が結構いるのがおかしかった。
 ただ、博士としては、
「私は雲隠れなんかしてませんよ。別に見つからないようにしようなどという意識もなかったし、別に話しかけられれば気さくに話をしたはずだからね」
 といっていた。
 これは、別に強がりというわけではなく、本心だったのだ。
 確かに今までの博士からすれば、どこか、かまってちゃんのようなところがあったようにも思うが、こういうところでウソを言ったり、言い訳をしたりということはなかったはずだ。
 だから、雲隠れしていなかったのは、本当だろう。
 息子も、
「親父がいる場所は聞いていたから」
 といって気にもしていなかったのは、今までの博士がいなくなった時でも、下手に探したり構ったりすると、却って怒られたくらいだった。
 今回のようにいきなりいなくなったからといって気にするというのは、どこかが違うのだった。
 そう、博士は、その時々で考え方が違った。
 それこそ、
「まさしく、二重人格だ」
 ということなのかも知れない。
 そんな中において、自分の息子が、最近、自分が投げ出すことになった子供が罹るウイルスの特効薬の開発に成功した。
 あの病気は、博士が提唱していた通り、
「今までは大人にだけしか罹らない病気だということであったが、実は、今度の病気は完全に子供だけなんです。そのことに気づくと、特効薬のヒントはそこに隠されていて、そのおかげで、何とかできるようになりました」
 といって、プレス発表していた。
 そして、その質問の中で、父親の話が出た時、息子がいうには、
「親父は、皆さんから大きな誤解を受けているようですが、私に研究の橋渡しをしてくれたのが、父親だったんです。ハッキリとした資料を残してくれていたし、私にやり方まで伝授してくれていました」
 というではないか。
 博士はそれを見て、
「おいおい、そんなことはない。私はお前のためになどと思ったことはない。この研究を辞めたのだって、自分だけの手柄になりそうにないと思ったからだぞ」
 と、つい漏れてきそうな本音が頭をよぎり、ビックリして、それ以上いうのを辞めたのだ。
「私は、お父さんが考えていることが分かる気がします」
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次