一蓮托生の息子
といって、話していることは、どこかニアミスのように、どこか分かり切っているところが違っているようで、それこそ、
「息子は自分の分身のように見えるのだが、息子が分身だったら困るんだ」
と思うのだった。
どういえばいいのか難しいところではあるが、息子の言っている、
「私は親父の息子だから、研究ができた」
といっていることだけは間違っていることではなかった。
「俺にとっても同じことさ。この研究をできるのはお前しかいないと思ったからだ」
といって思わず涙ぐむと、息子も涙ぐんでいて、
「この喜びを最初に伝えたいのは父親です」
といっていた。
「鹿児島博士の無念なところを、先生が継がれたわけですね?」
と記者に聞かれ、
「いえ、父は無念ということはなかったと思います」
と答えていた。
それを聴いて、
「息子はよくわかっている」
ということを思い、息子が自分の遺影を抱いているのが見えた。
「博士の勇気には、我々人類は感謝しかないです」
といっている。
「そっか、俺は、実験台になったんだった」
ということを思いだした。
「同じ死ぬなら、実験台で」
ということであった。
博士は、がんに罹っていて、伝染病に罹る可能性が高かった。そこで、息子のために、自分たちが開発した薬の実験台になったのだった。
「一蓮托生の息子のために」
というのが、博士の遺言だったのだ……7。
( 完 )
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