一蓮托生の息子
これは波にも言えることではないのかと思うのだが、水面が、さざ波の時というのは、どこまで言ってもさざ波だ。だが、考えてみれば、面白いもので、海などの場合、果てしなく、どこまでも続いているものを海だという。途中で途切れたりすれば、そこまでは大きな湖ということになり、カスピ海のような、大きな塩湖ということになるだろう。
だが、いわゆる、
「七つの海」
は広がっているのであるが、まあ、そこまで大きな範囲を考えるまでもなく、日本を考えてみても、わかるだろう。
例えば、瀬戸内海と、玄界灘や、太平洋などである。
瀬戸内海から、玄界灘に抜けるには、狭い範囲であるが、関門海峡というものを抜けることになるが、玄界灘のように、九州と朝鮮半島の間の海と、瀬戸内海の本州と四国との間であれば、当然のように、幅が誓うことで、海における、波の勢いは、いかにも違っているというものである。
しかし、海は繋がっているもので、関門海峡という狭いところを隔てているといっても、玄界灘の勢いが、瀬戸内海に、影響しないわけではないだろう。
やはり力が作用するには、関門海峡というのは狭すぎるというものだというのであろうか?
ただ、空気には、そういう作用はない。よほど、建物が密集している大都会でもなければ、夕凪の、
「無風になる」
という影響を妨げることはできないだろう。
逆にいえば、
「大都会のような、ビルの谷間のようなものさえ作れば、無風を遮ることができち」
ということになる。
ただ、実際には、
「沈みゆく日の光」
というものの影響から、
「モノクロに見える」
ということになるのだから、果たして、
「無風と言われるものと、光の加減における、目の錯覚によるモノクロに見えるという感覚と緒間に、何かの因果関係があるのか?」
ということになる。
もし、因果関係が認められれば、目の錯覚というものを、どうにかできるものとなるのだろうが、今のところ、それを研究しているところがあるとは聞いたことはなかった。
だが、科学者の中には、この因果関係を、実しやかな都市伝説のようなものとして受け止め、
「いずれ、どこかで研究してみたい」
と思っている人もいるかも知れない。
いまでこそ、あまりにも、因果関係の証明の難しさと、因果関係が認められても、それが、事故との関係、つまりは、目の錯覚への証明となるのかは、未知数であった。
ただ、目標はそこではない。先に進むことで。
「では、その証明されたことに対して、どのように対処すればいいかのか?」
という傾向と対策であったり。危険を回避するための、何かのアイテムというものを開発しなければならないということであろう。
そういう意味で、今のところ、
「夕凪に逢魔が時と呼ばれ、事故が多いのは、光の角度なのか、沈んでしまう際の弱さの微妙なコントラストなのかの影響で、ものが、モノクロに見えてしまう」
ということが影響していると言われている。
そのことが、まずは、証明されることから、
「無風となる」
ということへの影響と、問題に影響してくるのだろうということであった。
錯覚というのとは少し違っているかも知れないが、あるアマチュア作家が、毎日のように、小説を書いている。
その人は、ずっと、パソコンを持ち歩いていて、ずっと喫茶店やカフェを使って、そこで執筆をしていたのだ。
最初の頃、つまり、まだ小説を書くということができなかった時、まだ、パソコンもまともに普及していなかった時代のことであるが、
「執筆はなかなかうまくいかない」
と、思ったので、元々、自分の部屋の机の上で、原稿用紙を広げて、普通の人がしている体勢で執筆をしてみたが、全然進まない。
そこで考えたのが、
「環境を変えてみよう」
ということであった。
まず考えたのが、
「図書館でやろう」
と思ったのだが、静かではあるが、その静けさが逆に苛立ちとなって、落ち着かないのだった。
そして今度は、
「原稿用紙が悪いのだろう」
と考え、原稿用紙をやめて、ルーズリーフやノートで書くことにした。
この利点は、横書きというところにあった。横書きにすることで、それまでと違い、少しは筆が進むようになったので、自分の中で、
「もう一息だ」
と考えるようになった。
実際に、筆が進んでいくと、毎日少しずつではあるが、書ける時間が長くなっていた。
しかし、そこに限界があり、15分以上は、どうしても、書けなかったのだ。
「もう一つ何かが必要だ」
と考え、やってみたのが、
「場所を、ファミレスや、喫茶店のようなところに変えてみよう」
と思ったことだった。
すると、急にそれまでは
「俺には書けないんだ」
と思っていたことが、急に、
「俺にもできるかも知れない」
と感じるようになった。
というのも、まわりの人の動きというものを、今までは紛らわしいもので、
「気が散る」
と考えていたのだった。
しかし、気が散るわけではなく、逆に、
「動きというのはあって当たり前であり、その動きが、自分の感性と結びついたりして、流動的な意識が、執筆のアイデアに火をつけるというものではないか」
と考えるようになった。
夕凪の無風状態に、新しい風が吹き込んできたかのようなものだった。
しかも、皆が動いているのを見ていると、
「何か、パターンがあるような気がする」
と感じたことで、人の動きを観察することが、
「執筆のための、文章能力の進歩に繋がる」
と考えた。
要するに、
「執筆、つまりは、小説というものは、人間物語であり、人間の動きを観察することである」
と考えることから始まるというものであった。
おかげで、次第に小説を書くことを続けられるようになった。
その頃から、一日1時間ずつでも毎日書けるようになり、今では、一日に数時間書いても、苦痛ではなくなった。
ただ、一つ苦言を呈するとすれば、
「充実感が薄れたことかも知れない」
というものであった。
ただ、執筆に一番大切なものが何かということが分かったのはよかった。
「集中力」
この一言に尽きるかも知れない。
そのアマチュア小説家は、そのことを今、ひしひしと感じているのだった。
そのアマチュア小説家であったが、それから少しして、自分のペースで書けるようになってきた。
そして、次の目標としたものが、
「書き上げること」
だったのだ。
これは、小説家として、プロであろうが、アマチュアであろうが、
「避けて通ることができない」
という、一種の関所のようなもので、皆が目指すものだった。
逆にいえば、
「書き上げることができれば、これからも小説を書き続けていけるということへの、一種の登竜門のようなものであり、逆に、それができなければ、永遠にその登竜門すら見えてこない」
ということになり、
「最初の関門だ」
といってもいいだろう。
できなければ、そこで終わり、しかし、できたとしても、あくまでも、最初の峠なので、先はまだまだ長いということで、厳しい道であることは、当たり前のことだといえるのだろう。