小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

一蓮托生の息子

INDEX|18ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

「経済を回さないと」
 という理由で、全国に、旅行などのキャンペーンの促進ということで、大々的に、割引できるようにと、金をバラまき始めた。
 国民の税金をである。
 さらに、これから冬に向かうというのに、水際対策も、ザルのままであった。そんなことをしていると、案の定、クリスマス前後で、患者が急に増え始めた。ビックリした政府は、年明けの1月中旬に、またしても、
「緊急事態宣言」
 を発令。
 しかし、第一波の時のような、都心部がゴーストタウンになるようなひどいことはなかった。
 せめて、
「時短営業」
 ということであったが、ただ、飲み屋などは、営業ができない時間であり、さらに、アルコールの提供に制限を与えたのだ。
 要するに、
「アルコール提供は禁止」
 ということを、飲食店に要請したのだ。
 ここでいう要請というのは、緊急事態宣言というのが、
「強制をすることができない」
 ということであった。
 日本国憲法には、
「基本的人権の尊重」
 というものがあるため、個人の人権を制限することは、違憲になってしまうのだ。
 だkら、大日本帝国時代に存在した、
「戒厳令」
 というものがないのだ。
 つまり、
「日本には、有事は存在しない」
 という、平和憲法の考え方も影響しているということであろう。
 それを考えると、要請しかできず、罰則などを出すことはできなかったのだ。ただ、政府もこのままではいけないということで、緊急事態宣言の一つ手前となる、
「蔓延防止措置法」
 なるものを作ってはみたが、
「正直、効果のほどは、信憑性がない」
 と国民も思っただろうが、まさにそうだった。
「全国一律を、自治体任せにしただけだ」
 ということであった。
 もちろん、それぞれ感染の事情が違う状況で、国がすべての自治体の状況を把握できるわけもなく、それぞれの都道府県に任せるということにする法律だったのだ。
 正直な話として、
「それくらいのことは最低限のことなのに、そもそも最初の緊急事態宣言を作った時、政治家に平和ボケの精神があったからなのか、全国一律ということが無茶だったのだ」
 ということである。
 それだけ、甘く見ていたのか、それとも、その時は困っていなかったので、小手先で、ちょちょっと作って、体裁だけ整え、
「対策だけは打った」
 というような、
「やりました」
 という姿勢だけを見せるというだけのことだったのだろう。
 そんな状態で、国民の命が守れるわけもなく、慌てて第三波の時は、緊急事態宣言を出すには出したが、最初の時ほどの厳しさはなかったのだ。
 ただ、問題は、その夏の第四波であった。
 その時は、ウイルスも変異していて、最強と言われるウイルスになっていて、感染力もそれなりにあったが、それ以上に、死傷者の割合が爆発的に増えた。
 この時はさすがに医療ひっ迫を起こし、医療崩壊につながったのだ。
「救急車を呼んでもなかなか来てくれない」
 あるいは、
「救急車を呼んで、来てくれても、受け入れ病院が見つからない。そのため、救急車の中で亡くなる」
 ということを繰り返していた。
「そんな状態を、医療崩壊というのだろうが、政府は医療ひっ迫としか言わなかったのだ」
 という状態が続いた。
 ただ、その頃にはワクチンができて、順次国民に接種されていったが、政府の混乱からか、輸入が一時滞ったり、さらには、副反応の問題もあり、
「摂取するのが怖い」
 という人もいたりした。
 それでも、政府は、
「何とか接種率をあげよう」
 とばかりに、
「何かあった時は、国が保証します」
 という甘い言葉を発令し、摂取を急がせた。
 全国民が摂取するのだから、中には稀に、摂取で亡くなる人もいただろう。明らかに、
「摂取したことで、亡くなった」
 ということが分かっていて、元々は政府が、
「保証する」
 とまで言っていたくせに、
「摂取で亡くなった」
 という人に対して、
「因果関係が認められない」
 などという言い訳をして、なかなか保証に応じようとしない。
 そんな詐欺まがいのことを政府がするのだから、
「摂取反対運動」
 を起こしている人以外でも、接種をためらう人が増えてきたのは、当たり前のことであった。
 そもそも、接種率を上げたいという理由から、言葉巧みに誘導しておいて、
「保証する」
 とまで言っておいて、実際に亡くなった人を、
「死人に唾を吐く」
 というような態度で、
「因果関係がどうのこうの」
 という言い訳をするのだから、救いようがないとは、このことだろう。
 さらに、本来なら、前年に開かれるはずだったオリンピックが一年延期になり、
「さすがに、この状態でオリンピックはありえない」
 と国民のほとんどが思っていたのに、このバカソーリは、何と、強行したのだった。
「安心安全」
 という、何ら根拠のないことをいうだけで実施されたオリンピック。
 伝染病以外にもお粗末な問題が絶えず発生していて、
「汚名だけを残したオリンピックになってしまった」
 といえるだろうが、人材派遣の会社がかなりの、
「中抜き」
 で、ぼろもうけをしたというようなことに代表される、
「一部の人間の懐が潤っただけ」
 というものであった。
 そもそも、ワクチン問題で、
「因果関係が……」
 などと言っている政府が、
「安心安全」
 などとほざいて、誰が信用するかということであったのだ。
 そんな状態において、それでも、自然と終息していったことで事なきを得たのだが、考えてみれば、
「ウイルスに打ち勝ったわけではなく、ウイルスの特性として、自然に収束していっただけのことを、政府は、まるで自分たちの政策がよかったかのように思っているとすれば、大間違いだ」
 その証拠として、政府は、解析をしようとはしない。
「よかった。よかった」
 ということで終わらせようとして、経済問題に寄りかかろうとする。
 もちろん、経済復興も大切なことであるが、次の波が目の前に来ているのに、それを見て見ぬふりなどできるはずもなかろうに、実際に見て見ぬふりをするのが、政府というところなのだろう。
 結局、今のところ、強烈な波はそれ以降はないので、完全に経済に政府は移行した。
 その間に、衆議院が任期満了を迎えたことで、ソーリが変わった。最初は、期待したソーリだったが、実際には、
「長い者には巻かれる」
 という、腰抜けソーリだったのだ。
 しかも、国民を守るという意識が、これっぽっちも感じられない。
「マスクの装着も、表ではしなくてもいい」
 などという信じられないことを言い出したのだ。
 国民の一部はそんなバカソーリの口車に乗ってマスクを外しているが、バカソーリが言っていることは、
「政府は、国民がどうなろうが知らないので、あとは自己責任でやってくれ」
 といっているようなものだ。
「死にたい奴は、死ねばいいんだ」
 といっているようにしか聞こえないということであった。
 そんな状態で、またやってくる冬を超えられると思っているのか?
 本当に、ハッキリと言えることは、
「政府やソーリを信用してはいけない」
 ということだったのだ。
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次