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一蓮托生の息子

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 子供は、自己申告をしてくるといっても、いつも、結膜炎のようなものであったり、一般的に、
「子供が罹る病気」
 の裏に隠れているので、その症状を把握することができないのだった。
 この病気自体だけでは、大げさなことになることはない。しかし、他の病気と併発すると、なかなか厄介だ。
 それも、目の他の病気である。老人であれば、発見も困難なことではないが、子供の場合は、元々の病気というものの印象が深いので、このウイルスが関わってきても、その存在すら分かるのは困難だったのだ。
 しかも、今の時期は、
「世界的なパンデミック」
 の真っ最中である。
 まだ、そこまで患者が急激に増えておらず、医療崩壊というのも見えてきていない時期だったので、それほど、大きな問題ということではなかった。
 しかし、そのうちに患者が多くなり、その分、死亡者も増えてくる。最初の頃は、患者が判明すれば、約2週間は、医療施設で監禁状態であった。
 軽症者の場合は、
「自治体が認めた、宿泊施設で、同じように隔離」
 であった。
 隔離の際には、24時間、医者と看護婦が常駐しているということで、これも、患者が少ない時はまだよかったのだ。
 とは言っても、医療従事者の苦労はかなりのもので、辞めていく人もいたことだろう。
 何と言ってもひどかったのが、
「誹謗中傷」
 であった。
 医療従事者の家族が、会社や学校でハブられることになる。
 会社にいけば、家族に伝染病患者が出たわけではないのに、
「お前のところ、奥さんが医療従事者だな?」
 と言われ、
「はい、そうですが」
 といってしまうと、
「お前、会社にしばらく来なくてもいい」
 などという仕打ちを受けることになる。
 要するに、患者と四六時中接している家族がいるということになると、そのウイルスが伝染し、
「本人も、伝染病患者ではないか?」
 と言われ、
「出社を断る」
 ということになりかねない。
 子供にしても、そうだ、
 学校に行って、先生から、
「しばらく学校に来なくてもいい」
 などと言われることが多いということだ。
 確かに、会社や学校の立場とすれば、微妙なところであろうが、少なくとも医療従事者として、患者を診てくれている人の家族を、まるで、バイキンでも見るかのような態度を取るというのは、偏見であり、それ以外の何者でもない。
 今のように、ハラスメントや、コンプライアンスにうるさい世の中であるくせに、こんな仕打ちがまかり通っているということになると、いつも言っている、
「コンプライアンスを守らなければいけない」
 という言葉が、まったく薄っぺらいものになるのではないだろうか?
 そんなことを考えると、
「今の世の中、この伝染病だけで、社会がパニックになっている」
 といえるだろう。
 パニックになってしまったことで、子供はトラウマになってしまい、不登校になったり、するのではないだろうか?
「子供を守るはずの学校が、いわれのない誹謗中傷を子供に与えるというのは、一体どういうことなのだろう」
 というものだ。
「お前はバイキンだ」
 といっているようなものではないか。
 会社だってそうだ。
 会社で上司が、
「明日から、しばらく休暇を取りなさい」
 といって、強引に休暇を取らされる。
「嫌です」
 とは言えない。
 理由を聞くと、さすがに先生よりも遠慮深い。学校の先生は、普段から生徒のことを、
悪い意味で、
「教え子」
 とでも思っているのか、社会人の上司と部下の関係というよりも、もっと厳格なもので、ほとんど、先生の命令に近いものだった。
 しかし、会社では、上司が部下を説得するには、それなりのコンプライアンスをしっかりと守る必要がある。
 いくら、伝染病の問題とはいえ、簡単に、
「君は会社に来なくていい」
 とは言えないだろう。
 それを言うには、それなりの確固たる理由が必要だが、ハッキリと言葉にするのも難しく、
「ほら、このご時世なんだから……、察してくれよ」
 と完全に、言葉を濁しているのだった。
 それを思うと、
「会社というものは、こんなにもむごいものだったのか?」
 ということを思い知った。
 確かに、早期退社などのリストラを言い渡された時などは、覚悟があっても、かなりつらいものだ。
 しかし、この場合のような理不尽さがあるわけではない。
「リストラに遭うということは、それなりに、理由があるからだ」
 と思えなくもないので、ある意味、諦めがつく。
 しかし、伝染病の場合は、まったく自分に落ち度はない。それどころか奥さんは人命救助の立場ではないか。
「あんたが、病気に罹った時、こいつだけは、診なくていいと、言っといてやるよ」
 というくらいの皮肉を含めた言葉を吐き捨てたいという気持ちが漲ってくるのだった。
 家に帰ると、奥さんはくたくたで、
「一歩も動けない」
 という感じであろう。
 しかし、そこにいるのは、トラウマとストレスで精神的にボロボロになっている家族である。皆お互いの事情を分かってはいるはずだが、自分のことで精いっぱいということになる。
 そうなると、後は悪い方にしか進むことはなく、
「どうしていいのか分からない」
 ということになるであろう。
 そんな時代だったので、医療関係は、この伝染病に罹り切りで、
「まずは、こっちを何とかしないと、大変なことになる」
 ということであった。
 幸いにも、第一波と呼ばれるものは、緊急事態宣言発令のおかげで、6月くらいまでで終息することができた。
 しかし、それはあくまでも、
「人流の抑制の効果」
 ということと、
「ウイルスが増殖する季節ではない夏になってきた」
 ということ、さらには、
「暖かくなり、換気をするようになった」
 ということなどの要因がいい方に重なり、第一波が終息したのだった。
「第二波は、寒くなる頃に来るだろうから、それまでに、少しでも対策を考えなければいけないんだろうな」
 と、考えていたが、思ったよりも第二波というのは、早くやってきた。
 時期的には、7月中旬くらいからだったので、
「下手をすれば、第一波が就職しきれていなかったのではないか?」
 ということもあり、
「緊急事態宣言が解除された時、それまでの抑制から放たれた一部人たちが、これまでのように、いや、それ以上に開放感から、バカ騒ぎのようなことをした」
 というのも原因の一つだっただろう。
 ただ、一つ言えるのは、
「まったく正体も分からない。当然、ワクチンなどがあるわけではない」
 というものに対して、ほとんど丸腰なのだから、用心に用心を重ねるほかはないのであった。
 そんな状態で、
「開放感などありえない」
 と、有識者団体は、バカ者たちに、苦言を呈していた。
 第二波は、それでも、盆明けくらいには、なぜか自然終結した。まるで、ウイルスの自然消滅のようにである。
 もちろん、理由も分かっていない。その時は、人流抑制や、政府の宣言もなかったからだった。
 ちょうどその時、ソーリが変わり、というよりも、
「病院に逃げ込んだ」
 ことで、新たなソーリになったのだが、この男もさらにひどい男で、何と、第二波が終息した時点で、
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次