小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

一蓮托生の息子

INDEX|16ページ/21ページ|

次のページ前のページ
 

 国の対応は、いつものごとく、かなり遅れた。報道が結構増えてから、国民も、
「どういう形になるか分かりませんが、やるなら徹底的に」
 という答えをしていた人がいたのに、そこからまた2週間ほど経って、やっと宣言を出すというお粗末さであった。
「学校閉鎖の時は、いきなり出したくせに」
 ということであった。
 贔屓目に見れば、
「いきなりやると、それぞれの業界での混乱が大きい」
 ということになるのだろうが、それだけではないようにしか思えなかった。
 何といっても、
「国家として、混乱のないように」
 と思ったのかも知れないが、一番、スピードを求められるといっている時に、政府自身が混乱していて、収めることができないというだけのことではないのだろうか?
 ということであった。
 しかし、実際には、確かに世間では混乱はあっただろうが、
「どうしようもないことで、後は政府に任せるだけだ」
 という人も多かっただろう。
 というよりも、何がどうなっても、それしか方法はないのだ。
 国のやり方が気に入らないといって抵抗しても、まわりは従っているのだから、
「自分だけ」
 というのは、自分で自分の首を絞めるようなものである、
 それを思うと、
「最後には国家が決めるもの」
 つまりは、それだけの責任を負える政府を作らなければいけないということになるのであって、
「すべての責任を負えるだけの政府でなければ、政府を名乗ってはいけない」
 ということになるのだ。
 しかし、
「この政府、本当に大丈夫なのだろうか?」
 と考えた。
「政権は長期政権であるが、疑惑に塗れた政府であり、しかも、10年近く前に一度政権を投げ出したではないか。あの時は、確か、病気が悪化したので、病院に入院するという理由で」
 と言ったが、何と、今回も、結果的に最後は、まったく同じように、病院に逃げ込んで、政権を投げ出すことになった。
 しかも、
「最長の長期政権」
 という称号ができた瞬間に、さっさと病院に逃げ込んでしまったではないか。
「また、同じことをするなんて」
 と、よく国民もそれで許したというものだ。
 しかも、退院してからは、今度は、
「派閥のドン」
 として君臨し、まるで、大日本帝国における、
「元老」
 のような形で、その地位で、大きな影響力を持っていたのだ。
 ちょうど、そんな緊急事態宣言が出されたその頃に、
「皆、関心がそっちに行ってしまったので、地味に近づいていた新たなウイルスの存在に、気付く人は誰もいなかったのだ」
 ということであった。
「本当に、誰も気づかなかったのだろうか?」
 と感じたが、
「誰も気づかなかった」
 という方が、もっともらしいことであった。
 そのウイルスの存在に気づいた人が一人いた。その人は、鹿児島博士という人で、元々、小児科の先生であったが、最近では、他の専門にも、顔を出すようになった。
 人の邪魔をするわけではなく、自分独自の研究ということなのだが、その研究の矛先が、今は、
「眼科」
 というところに向いていて、小児科ということもあってか、本当は、そんなに長く研究をするつもりはないつもりだったようだ。
 だが、下手に医療お現場に戻ると、
「医療従事者ということで、伝染病の治療をさせられる」
 という懸念があった。
 鹿児島博士は、年齢的には、もう70歳を超えていた。普通の会社であれば、とっくに定年を迎えていて、定年後の延長勤務でも、すでに引退していて不思議のない年齢だった。
 鹿児島博士は、今回のパンデミックを、かなり用心して考えていた。
「たぶん、最低収まったという宣言を出せるまでには、5年はかかるだろう」
 と思っていたし、実際に、その間に、十数回のピークはあるだろうと思っていた。
 しかも、マジな話として、5年間で、十数回のピークとなると、正直、医療崩壊が何度起こるかということになるわけで、本来なら、
「国家の壊滅」
 に近いものがあってしかるべきであろう。
 そう考えると、一番怖いこととして、
「もし、その状態になったとしても、国家が持ちこたえているとすれば、勘違いする国民やマスゴミが出てくるのではないか?」
 ということである。
 つまり、
「俺たちが、ウイルスに勝った」
 という勘違いである。
 ただ、もし勝つとすれば、医療関係の開発者が、特効薬を開発するからであって、確かに、
「医療従事者や国民が耐えたから何とかなった」
 ということも言えるだろう。
 ただ、そうなると、国民は、次第に、ウイルスというものを舐めてくると言えないだろうか?
 そうなってくると、問題としては、
「オオカミ少年」
 という問題にならないかということである。
 つまり、
「オオカミ少年」
 というお話は、
「ある街で、少年が悪戯で、オオカミが来たといって、村人を脅かして、村人が慌てふためくのを見て喜ぶというものだった。しかし、そのうちに、誰もオオカミが来たと思わないようになったのだが、そのうちに本当にオオカミが来て……」
 という話である。
 ラストがどうだったのか、二つ考えられる。
「オオカミが来た」
 ということを聞いて、
「村人は誰も気づかなかったので、オオカミに村全体が破壊された」
 という結末と、
「オオカミ少年が、オオカミに襲われても、誰もウソだと思って少年の言葉を信じなかったので、少年が食い殺された」
 という結末だ。
 実際にはどっちだったのか忘れてしまったが、どちらであっても、教訓としては、大きなものである。
 つまり、新しいウイルスが生まれても、
「俺たちなら普通に生活していても、ウイルスに負けることはない」
 という、まるで、
「不敗神話」
 のようなものがあったとすれば、それは、実に厄介な考え方であった。
 それだけ、人間というのは、
「自惚れが激しい動物なんだ」
 ということなのであろう。

                 予言

 今回のパンデミックの中で見つかった病気というのは、実は今になって出てきたものではない。普通によくある病気なのだが、それがなぜ今問題なのかというと、
「この病気は、老人になるほどかかりやすく、若年者というのは、稀にしかいない」
 と言われるものであった。
 しかも、その病気は、目の病気であった。だから、
「このウイルスを発見したのが、鹿児島博士」
 というのも、納得がいくというものだ。
 しかし、
「なぜ、このウイルスが発見されなかったか?」
 というと、一つには、
「まさか、子供にこの病気が関係してくるなどということを、思いもしなかったから」
 ということである。
 これが、前述の、
「オオカミ少年の逸話」
 と似ているもので、
「人間というものは、思い込みというものがあると、その考えで凝り固まってしまうので、見えるものも見えてこない」
 ということである。
 また、このウイルスは、眼下では見つけることは難しかった。
 老人相手の病院で、その老人が、
「少し目がおかしいんだけど」
 といって、違和感を自己申告してこない限り、わかるものではなかったのだ。
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次