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一蓮托生の息子

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「そんな遅い中でも、日本というのは、どうにもならないところまできているということがやっとわかった」
 ということであろう。
「日本軍の残した証拠は一切なく、捕虜も全員抹殺した。焼いたか埋めたか、掘り起こされれば終わりなので、捕虜の焼却は間違いないことだったに違いない」
 というのが、蓋を開けて分かったことだった。
 だが、本当に何もないので、証拠としては一切何も残らなかった。そういう意味では、ナチスよりも、たちが悪いといっても過言ではないだろう。
 そんな部隊であったが、そもそもは、そんな、
「人体実験」
 というようなものではなかったのだ。
 当時の日本が、日清戦争から、明治の戦争を行ってきた中で、ほとんどが、朝鮮半島であったり、満州であったりしたことで、特に、水というものが、大きな問題だったりした。
 水というものの水質を調べたりしておかないと、実際の戦闘で戦死をするというよりも、現地の疫病に罹ってしまい、命を落とすという方が、実は結構多かったりした。
 特に日露戦争などは、そうだったかも知れない。そういう意味で、食事という意味も含めて、
「水の確保というのが、急務になった」
 そのため、
「関東軍防疫給水部」
 という舞台が、正式名称だったようだ。
 そもそも、関東軍というのは、
「日露戦争の際に、戦利品として得た満州鉄道の権益を守る」
 という名目で、軍を、満鉄敷設地域に配置した。
 それが、
「関東軍」
 という部隊であった。
 関東軍が、一番力を発揮したのは、満州事変の時であっただろうか。
「天下無敵の関東軍」
 と呼ばれた時代だった。
 1931年の9月18日、奉天郊外の、柳条湖というところで、夜の10時頃、満州鉄道が爆破された。
 それを関東軍は、張学良率いる、中国軍による仕業ということで、軍事行動に出て、そのまま奉天を占拠。さらに、陸軍本部や政府の制止も聞かずに、
「すでに作戦は続行中」
 ということで、関東軍の行動は、結局、
「日本政府の事後承諾」
 ということで、どんどん作戦は成功を重ね、半年ほどで、満州全土を制圧した。
 というのが、満州事変のあらましだといえるだろう。
 この事件を中国側が、国際連盟に提訴し、国際連盟から、調査団である、
「リットン調査団」
 が、満州で調査を開始し、結果、
「日本軍の自作自演」
 ということが、調査報告として挙がり、すでにできていた、
「満州国の承認」
 と決議したのだが、日本だけが、承認に賛成し、棄権数件以外は、すべて、反対に回ったということで、日本は孤立してしまった。
 当時の全権大使として国際連盟に参加していた、外務大臣の松岡洋右は、それを不服として、
「国際連盟脱退」
 を表明し、その会議場を、出て行ってしまったというのは、あまりにも有名な話だった。
 そこから、日本軍による、
「独断専行が始まり、いわゆる、泥沼の戦争に入り込んでいった」
 というのが、
「当時の歴史」
 というものの大まかな流れだったのだ。
 細かいことを言えばいっぱいあるのだが、本当に、日本軍の自作自演だったのかも知れないが、本当の理由としては、中国側の、
「抗日運動」
 というものの、行き過ぎが背景にあったというのも、仕方のない部分でもあったのだ。
 理由の一つが、いわゆる、
「安全保障」
 の問題であった。
 安全保障というのは、当時の仮想敵である、
「ソ連邦」
 であった。
 ただ、ソ連との問題には、満州鉄道を巡るあたりの防衛は必須であった。しかし、当時の中華民国の張学良は、日本の権益を持っている満州鉄道に並行して、支線をつくろうとしたのだ。
 そのせいで、満鉄は赤字となり、そのため、かなりの失業者を出した。
 さらに、中国側は、抗日対策ということで、
「日本人としての、実際の日本人や朝鮮人に対して、中国の土地を貸したり、売ったりすることは、売奴国ということで、厳しい処分を受ける」
 という法律が成立したことで、さらに日本人は、満鉄付近で、窮地に追い込まれる形になった。
 しかも、当時の満州は治安が悪く、毎月のように、日本人の暗殺、誘拐、強姦などの凶悪事件が起こっていたのだ。
 それらの問題を解決しないといけないということが一つ。
 そして、もう一つの理由が、日本本土にあったのだ。
 意外とこちらの方がもっと切羽詰まっていることだったかも知れない。
 というのは、
「当時の日本は、昭和恐慌であったり、東北地方の凶作というものが、農家を中心に、大きな問題となっていた」
 というのだ。
 さらに、当時の農家では、
「娘を売らないと、一家全員が飢え死にしてしまう」
 というほとだったのだ。
 要するに、当時の日本は、人口がどんどん増えていて、日本本土だけでは、国民を養えなくなっていた。
 そのため、満州という土地を手に入れて、そこに、移民を送り込むことで、
「国内の食糧問題を一気に解決させなければいけない」
 ということが、急務になったのだ。
 だから、当時の関東軍は、
「満蒙問題と、国内の問題を一気に解決するには、軍事行動に出るしかない」
 ということになったのだ。
 自作自演であっても、軍事行動を先に起こしてしまえば、いいというもので、その軍事行動の大義名分としては、
「居留民の保護」
 ということになるのだった。
「中国側から攻撃を受けたので、我々関東軍は、居留民の要請と、その保護のために、軍事行動を展開する」
 というものであった。
 相手が攻撃してきたから、攻撃するというのは、立派な防衛手段であり、居留民の保護も、立派な大義名分である。
 まんまと成功し、半年の間に満州全土を攻略し、さらに、諜略によって、上海から溥儀を擁立し、満州国を建国させる。
 つまりは、
「満州国は、立派な独立国家であり、皇帝を溥儀に据えることで、帝国ということになる」
 ということであった。
 だが、満州国というところは、独立国家の体裁は整っているが、あくまでも、
「大日本帝国の傀儡国家」
 だったのである。
 ただ、あくまでも独立国であるということは、国交という形でもできていた。公使館や大使館ができて、外交も行われていたのだ。
 特務総理であったりも、満州人が就任し、体裁は完全に、
「満州国の国」
 であった。
 しかし、閣議が行われても、特務総理には発言権がなく、初代の特務総理は、まったく発言をしたことがないということだったようだ。
 しかも、関東軍に少しでも逆らうと、すぐに更迭され、追放されるか、処刑されるということがあったようで、それが、
「傀儡国家」
 の正体でもあった。
 そういう意味では、傀儡国家の存在のいい悪いは別にすると、
「満州国建国が、本当に日本の自作自演で、他国から承認されない」
 ということになるのか?
 ということである。
 満州国というのは。確かに傀儡国家で、彼らに自由はないが、しかし、日本としても、あの土地を手に入れないと、食糧問題などを解決できず、しかも、中国政府の、明らかな、
「営業妨害」
 さらには、居留民に対しての、極悪非道な態度、そして、抗日運動としての、現地居留民に対しての土地を売らないなどの、悪法の制定を考えれば、
作品名:一蓮托生の息子 作家名:森本晃次