平和な復讐
私鉄側の駅にいって、定期券の値段を聞いたところ、思わず愕然とした、何と、差額が1万円どころか、2万円以上だったのだ。ほぼ3万円といってもいいこの違いは、
「ほぼ倍額」
ということで、相当なショックを受けた。
「JRが安いとは思えない」
ということで、
「私鉄がどれほど高いのか、それを誰も何も言わないのは、やはり、この私鉄にどこも頭が上がらないからだということなのか?」
ということであった。
実際に、
「どうして、これほど頭が上がらないのか?」
ということに、いろいろなウワサが飛び交っていた。
その中で信憑性のありそうな話として、
「今から、40年ほど前に、前竹刀を通っていた市電を廃止して、地下鉄を建造したのだが、市電を経営していた私鉄の跡地を、大げさではあるが、ただ同然で、市が買いたたいた」
ということであった。
だから、頭が上がらないというのだ。
もちろん、ウワサでしかないが、頭が上がらないのは事実。
もっとも、市長が、
「バカシタ市長」
と揶揄されるだけの、ただの主婦層に人気があるだけで、任期を伸ばしているという市長だった。
この市長にも、
「市長にあるまじき武勇伝がかなりあるようで、それを思うと、不倫のウワサも絶えない男だ」
と言われていた。
「さすが、元アナウンサー」
というタレント議員である。
今は、出がらしのような感じなのだろうが、
「じゃあ、他に誰がするの?」
ということだけで、市長の任期が長い。
ある意味、
「腐った行政」
といってもいいかも知れない。
そんな市を離れて、田舎に引き込んだのは、やはり、
「閑静で余裕のある生活をしたい」
という一心からだったのだ。
前述のように、半分も住民がいないと、閑静なものだった。たまに、近所の公園から、子供の奇声が聞えてきたが、我慢できないほどではなかった。
「まあ、それくらいなら、いいのではないか?」
ということだったのである。
両隣には、誰も済んでいない状況で、その隣に、同じような一人暮らしがいた。
前述のように、大学生の枯れ葉、苦学生だった。だから、自分で稼いだ金で部屋を借りているのだから、
「贅沢だ」
ということはできない。
一度、彼が近くの公園のベンチに座って、本を読んでいることがあった。刑部も、彼とは、
「一度話をしてみたい」
と思っていたこともあって、
「こんにちは」
と話しかけた。
相手は、こちらの顔を知る由もないような顔をしていたが、それも無理もないだろうと思った。
刑部は、最初からこの大学生を意識していたのに対し、大学生が、自分などを意識しているはずもないというのが普通だった、
それも、空室を一つあけての、隣人である、距離的にはかなり遠いという感覚を持ってもいいかも知れない。
案の定、訝し気な表情を浮かべたが、それも一瞬だけだった、
「こんにちは」
と向こうからも声をかけてくれて、安心したのだった。
「隣の隣に住んでいる、刑部というものです」
と自己紹介をすると、
「ああ、これは失礼しました」
と、やっと記憶の奥にあったものを、取り出すことができたようで、表情が明らかに和らいでいくのが分かった。
「僕は、椎名というものです。今はまだ、大学生です」
といって、前述くらいの情報は、その時、本人から聞いたことだったのだ。
「椎名君は、ここで本を読むのが好きなのかい?」
と言われた椎名は、
「ええ、でも、僕には読書の際に、僕なりのこだわりのようなものがあるんですよ」
というではないか。
「こだわりとは?」
と聞くと、
「本というのは、いろいろなジャンルがあるじゃないですか?ミステリーだったり、ホラーだったり、恋愛小説だったりですね。僕は、そのジャンルによって、本を読む場所を変えているんですよ。もちろん、ずっとそこでしか読まないというわけではないですけどね。たまたま今回読んでいる本が、この場所で読むジャンルだったということですね?」
と、椎名は言った。
ということは、彼の言葉の裏には、
「いろいろなジャンルの本を、自分は読んでいるんだ」
ということなのだろう。
「文学青年なのかな?」
と思ったが、そう思えば思うほど、そうとしか思えなくなってきたのも、無理もないことであった。
「今日は、どんなジャンルの本を読んでいるんですか?」
と聞くと、
「今日はSFですね、今日SFを読んでいるのは、公園で本を読みたいと思ったからですね。この本は、結構読みやすく、数時間で読破できるものだと思ったので、この間購入してきたんですよ」
ということだった。
ということは、
「今日の予定は、本を買った時点で確定していた」
といって、過言ではない。
「どの場所で、どの本を読みたいというのは、何か、その場所に理由があるんですか?」
と聞くと、
「最初は、あったんですよ。このジャンルならここってですね。でも、それは最初の場所だけで、そのうちに、ジャンルごとに分かれているというのが面白いと感じて、適当に読む場所を自分なりに変えてみると、結構嵌ったような気分になって、そのおかげで、いろいろな場所に行くようになったんですよ」
ということであった。
意外とそんなものなのかも知れない。
確かに、一つの法則の元になることが自分の中で決まれば、後は適当であっても、様になってくるものだった。
それを思うと、椎名君のいうことにも一理あると感じた刑部だった。
刑部も、大学時代には結構本を読んだと思っていた。
ただ、彼には偏りがあった。
読んだ本は、ジャンルとしては、ミステリーがほとんどで、しかも、現代ものではなく、昭和前半という、
「今では想像もつかないような時代背景を、想像、いや、妄想しながら読むのが好きだった」
ということであった。
その頃は、
「探偵小説」
と言われていた。
なかなか、探偵小説というと、
「海外からの輸入」
がそのほとんどだった。
当時の日本は、
「探偵小説黎明期」
と呼ばれていた。
今のように、出版業界に溢れているようなジャンルというわけでもなかった。
まだ、
「明治の文豪」
と呼ばれる人たちの小説の影響が強い時代で、純文学や、耽美主義の小説などが多かったようだ。
そもそも、時代が、
「激動の時代」
ということもあり、
「事実は小説よりも奇なり」
といっていた時代だった。
戦争は頻繁に起こり、軍が介入することも多く、首都を襲う、大震災という未曽有の大災害に見舞われたり、安全保障のための、国境線を確立したいということで、外国に派兵士、さらには、傀儡国家をつくるという、一見暴挙のようなこともしたりしていた時代だった。
そんな時代には、水面下で軍部が暗躍していて、実際には、
「派閥争い」
であった軍事クーデターが起こったり、さらには、国境線を超えて、列強の植民地化に乗り遅れた部分を取り戻そうと、特務機関の諜報員が、暗躍することで、相手国家にクーデターを起こさせようとしたりしていた。
現代でも、似たような国もあるが、当時の世界情勢は、ほとんどの国がそれくらいの暗躍は行っていた。