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平和な復讐

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 他の連中もそうなのか、まったく連絡をしてこない。会いたいと思えば、皆遠慮のない仲間だったこともあるので、誰かが声をかけてもいいはずだったのだ。
「やっぱり、皆、会社にどっぷり浸かっているんじゃないかな?」
 と思うと、
「これでいいんだ」
 と思うようになった。
 かといって、会社の同僚を部屋に連れてこようという気にはならなかった。
「会社を離れれば、一人になりたいだろうしな」
 という思いが強かった。
 それは、自分にも言えることなので、そう考えるうちに、
「会社の知り合いとは、会社の中だけの付き合いなんだ」
 と思うようになった。
 皆も同じようで、同僚連中が、どのような交友関係を持っているかも知らない。知るつもりもないのは。あくまでも、
「個人は個人だ」
 と思っているからだろう。
 そういう意味で、
「むやみやたらと友達を作り、ただ、挨拶だけの友達が、そのほとんどだった」
 という大学時代とは、そもそもが違っている」
 ということなのだ。
 大学時代は、
「友達の数」
 というものが、その人のトレンドのようなものだった。
「あいつは、あんなにたくさん友達がいる」
 ということで、まわりから羨ましがられる存在になることが嬉しかった。
 大学生活では、
「まわりから羨ましがられるような男になりたかった。大学生活というのは、見た目が勝負だ」
 とでもいう感覚だったといってもいいだろう。
 それは、回りから羨ましがられるような男になれれば、本当に自分が、自惚れたとしても、それが自分の実力になると思っていたのだ。
 高校時代には、皆が受験生で、敵だらけと思っていたところへ、大学に入ると、今度は、
「まわりから慕われたい」
 と、ゴロっと変わる感じであった。

                 引っ越し

 つまり、猜疑心が強かった人間が、そんなに簡単に人に慕われるような人間になれるわけはない。それは自分だけの問題ではなく、皆がそうではないだろうか?
 しかし、皆、誰かを中心に、一つの輪ができていて、誰もがその輪の中にいたいと思うことだろう。
 だが、それには、今までの自分では自信がないのだ。どうすればいいのか?
 ということを考えると、高校時代と違い、
「皆がオープンで、最初から友達に慕われているように見えるのは、なぜなのか?」
 ということで、それが、
「友達の数ではないか?」
 と思われた。
 というのも、友達の数を見ていると、
「よくもあれだけの数の友達に対して、同じように接することができるな」
 と考えたのだ。
 実際は、ピアノ線のように、見えるか見えないか分からないほどの細い糸で結びついているだけなので、その線が実際に見えていないので、
「まるで魔法使い」
 とでもいうように見えるのだった。
 その薄さがそのまま、友達関係ということであり、つまりは、
「毎朝、ただ挨拶を交わすだけ」
 という本当に薄っぺらい関係でしかないということに気づかない。
 何しろ、それだけ自分に自信がないということは、人を見る目もないということであって、実際によく見てみると分かることが、完全にピアノ線が見えないのと同じで、思い込みの激しさが、まったく視界を遮ってしまっているのだろう。
 そんなことを考えると、
「友達なんて、いらなかったのではないか?
 と考えるようになった。
 しかし、それを考えるようになった時、すでに大学を卒業していて、本当であれば、入学してから、挨拶を交わすだけの友達、ただの顔見知りを合わせれば、友達は、百人以上いたことだろう。
 しかし、卒業の頃になると、もう挨拶だけの友達とは、挨拶すらしなくなった。
 それは、
「意識して」
 ということではなかった。
 意識をしていない中で、相手もこちらも、いつの間にか挨拶をしなくなった。
「挨拶をしなくなった」
 ということすら、意識がない。
「友達じゃなかったんじゃないか?」
 と思ったのかも知れないが、意識としては、離れたという気持ちはないのだった。
 それが、
「冷めてしまった」
 ということになるのか、
「気が付いてしまった」
 ということになるのか、自分でも分からない。
 ただ、
「これでよかった」
 という意識はあり、その思いが、大学時代にはなかったのだ。
 いや、挨拶すらしなくなった気がしていたが、それは、
「面倒くさくなった」
 ということではないかと思うだけだった。
 挨拶というものが、どういうものなのか、少なくとも、友達という感覚を挨拶で証明しようとするには、何が証明されるというのか、わかるわけではなかった。
 社会人になって、
「学生気分のままでいてはいけない」
 と言われてもピンとこなかったのは、
「すでに、学生気分が抜けていた」
 ということだったからなのかも知れない。
 この新しいマンションに引っ越してきた時は、やはり、一番の望みは、
「閑静で、気分的な余裕のある快適空間」
 であった。
 そんな快適空間が、このあたりにはあり、
「引っ越してきてよかった」
 と、引っ越しの決断を本当に自分の手柄だと思っていた。
 その頃は、ここの入居者は、それほどいるわけではなかった、その証拠にマンションの入居者は、部屋の割には、半分にも満たなかった、その理由を考えると、
「やはり、都心部からの遠さと、駅からマンションまで、徒歩で30分近くというのは、ネックだったのだろう」
 と思うのだった。
 電車に乗ってから、都心部までにも、約30分。通勤エリアとしては、ギリギリというところであろうか?
 東京は大阪などに住んでいる人からすれば、
「1時間なんて、十分許容班にだ」
 というかも知れない。
 しかし、あれだけインフラが発達していて、電車の本数も、線も入り組んでいるほど多いのだ。どこかで人身事故でもあれば、迂回して通勤すればいいところは違った。
 もっとも、迂回しなければならなくなれば、混み方はハンパではなく、下手をすれば、出勤断念もありえるだろう。
 しかし、中途半端な都会であれば、いつもの路線で、人身事故などがあったとすれば、それが午前中であっても、まず、その日一日は、ダイヤが正常に戻ることはないだろう。
 それが、
「しょせんは、JR。30年経っても、いまだ国鉄根性が抜けていない」
 と言われるゆえんである。
 かといって、このあたりに私鉄がないわけではない、ただ、刑部の住んでいるあたりを通っているわけではなかった。
 だが、その私鉄も、いわゆる、
「殿様商売」
 をしていて、何しろ都心部と呼ばれるところの自治体が、ことごとく、この私鉄には頭が上がらないという。
 ビックリしたのだが、前のマンションの通勤では、私鉄も近かったこともあってのことだが、JRで、230円区間が、私鉄では、290円区間に相当するという場所があった。どちらも最寄駅なので、便利のいい方の定期を買おうと思ったところが、6カ月定期を考えていて、
「まあ、1万円くらいの違いであれば、6カ月で考えれば、それもいいかな?」
 と思った。
 そもそも、安い方の定期代は会社から支給されるので、あとは、手出しになるが、それでもいいかということであった。
作品名:平和な復讐 作家名:森本晃次