平和な復讐
実際に、友達付き合いが嫌いだったわけでもないが、一時期、五月病に似た症状になったことで、本当は、一人寂しいという思いから、一人の友達に連絡を取ったことがあったのだ。
しかし、その人が、
「俺、今忙しくて」
と、本当に忙しいのか、どうなのか、わからなかったが、そういわれてしまうと、こちらとしても、
「ああ、連絡なんか取らなきゃよかった」
と思ったのだ。
連絡を取ることが、億劫というよりも、その時の相手の態度に、何か冷めたものを感じ、我に返ったと言った方がいいのか、
「しょせん、学生時代の友達なんてそんなものなんだ」
と思った。
その友達が嫌になったわけではない。
「俺だって、同じような気分の時だったり、本当に忙しい時は、人になんかかまっていられないだろうな」
と考えると、自分が、友達の立場だった可能性も否定でいないことで、
「そんな思いをするくらいなら、キッパリと、断絶した方がいいんだろうな」
と思っていると、不思議と誰も、刑部に連絡を取ってくる人はいなかった。
実際に、誰も大学の友達が連絡を取ってくる人はいなかった。忙しいのか、それとも、鬱陶しいと思っているのか分からない。
だが、刑部はそれでいいと思った。死後とも覚えなければいけない今だから、本当にこtrでいいのだ。むしろ、
「皆同じだ」
と思うと、気が楽になってきた。
だから、小説を書くこともキッパリとやめた。
「これから、一切小説を書かない」
などという思いがあったわけではないので、
「そのうちに、気分転換で書くこともあるだろうな」
と、趣味程度の発想だったのだ。
小説をまた書くようになるまでに、思ったよりも、時間はかからなかった。
再度執筆の再開をしたのは、27歳の時だった。大学を卒業し、就職してから。4年目くらいだっただろうか。
仕事も3年もやれば、結構落ち着いてできるようになり、現場全体も見れるようになったことで、
「やっと、精神的に楽になってきた」
といえるだろう。
執筆をしていると、小説を書けるようになったことに、楽しみができてきて、この楽しみは、学生時代のものとは、一風変わったものだった。
「いや、これが、本当の悦びなのかも知れない」
と感じたのだが、学生時代には、大学生という、一種のぬるま湯の中に浸かっているということに、不安があったのだ。
しかし、就職すると、少し自分の立場が見えてくる。入社後すぐというのは、さすがに、不安がいっぱいだったが、次第に仕事を覚え、会社全体がおぼろげでも見えてくると、自分の目指しているものが分かってきた気がして、学生時代の不安が、やっと少し解消されてきたのだ。
そのおかげで、どこか、それまでになかった余裕が生まれてくる。
学生時代に小説を書いていて、
「何か、中途半端で、自分の限界が見えるはずもないのに、感じられるというのは、どういうことなのだろう?」
と感じていた。
それは、社会に出るということも分かるはずもないのに、将来へのビジョンという何段階の節目があることを分かっていて、その一つ一つを思い浮かべると、まったく先が見えてこないという感覚が怖かったのだ。
その思いが、どこに結びつてくるというのか、実際に分かっていなかったのだ。
だから、漠然とした不安だけが頭にあり、小説を書いていても、
「社会の中の一部しか知らない自分が、小説などを書いてもいいんだろうか?」
という小説を書くということへの不安のようなものがあったに違いないのだ。
だから、自分が書く小説のジャンルというのは、SFであったり、ホラーのようなものが多かった。
大団円
実際の世界を知らずとも、妄想や、想像の世界で完結することができると思っていたので、安直に、そっちに走ったといってもいい、
「そういえば、大学時代の仲間が書いている小説には、ホラーやSFが多かったな」
と思った。
最初は、
「ただの偶然だ」
と思っていたが、そうでもないようだった。
その証拠に、
「自費出版社系」
と言われる。
「詐欺出版社が引き起こした社会的な問題」
から、作家志望や、本を出したいという人のほとんどは、執筆活動から離れていき、残ったのは、
「本当の昔からの作家志望と言われるような人ばかりだ」
ということであったが、その人たちが次に流れたのが、ネットでのいわゆる。
「投稿サイト」
と呼ばれるところであった。
最近では、かなり減ってきたようだが、一時期、無料、有料を含めて、かなりの投稿サイトというのが、ネット上にはあった。
その中で、それぞれに、
「このサイトは、SFが多い」
などというような、
「ジャンルによって、どのサイト」
という形に分かれているものだった。
ただ、自費出版関係に騙された人は、年齢的に、年配が多かったりした。お金を持っている必要があっただろうからなのだが、投稿サイトの方は、ほとんどお金がかからないということと、その時代の混乱を詳しくは知らない、未成年であったり、高校生中学生が多いというのも特徴だった。
時代としては、
「ラノベ」
と呼ばれるライトノベルが多かった。
芥川賞などに、女子大生が書いたケイタイ小説などと呼ばれるものが、入賞したりして、作家の平均年齢が結構下がったりした。
しかも、読者も若い人が多いとなると、彼らの年齢に合わせた小説が、おのずと人気が出たり、ブームになることで、
「新人賞も狙いやすい」
とも言われた。そんなジャンルの文学賞も増えてきたのだから、本当に、
「ブーム」
だったのだ。
そのジャンルというのが、
「異世界ファンタジー」
と呼ばれるもので、そんなジャンルが、小説界で、彗星のごとくクローズアップされるようになった。
しかし、門戸は広がったとしても、
「猫も杓子も異世界ファンタジー」
ということになってしまうと、
「分子が増えても、分母が増えると、結果同じことである」
といえるのではないだろうか?
しかも、そんなことを若い連中は分かっていないので、まるで、
「甘いものに群がっているアリ」
の様相を呈していたのだ。
異世界ファンタジーなどは、自分はいくら売れるからも知れないという理由で書こうとは思わなかった。
「自分には書けない」
という気持ちもあるし、
「書きたくない」
という気持ちもある。
好きでもないものを書いて面白くないというよりも、そんな、猫も杓子ものようなものを書いて、ミーハーと思われたくないという気持ちの方が強かった。
そこで走ったジャンルが、
「椅子テリー」
だったのだ。
学生時代には、
「自分には絶対に書けない」
と思っていた。
理由は、
「自分にはトリックなど思いつかない」
という、最初から諦めの心境だったのだが、実際に書いてみると、意外と思いついたりするものだ。
もちろん、ベストセラーになるほどのトリックが思いつくはずもなく、最初から考えたことは、
「トリックのパターンは、もうとっくに出尽くしているのだから、後はバリエーションだけだ」
という思いだけだった。