平和な復讐
それを思うと。簡単には、部屋を引っ越すなどできるわけでもなく、当然、引っ越し先も考えないといけない。
引っ越し代もバカにならないし、それでも強行し、引っ越した先が、
「最悪の最悪」
だったら、取り返しのつかないことになるだろう。
その時になって初めて、
「動けば動くほど、悲惨なことになる」
ということが分かったとしても、後の祭りということである。
そういえば、転職をした先輩が話をしていたことがある。
「転職というのは、よほどのことがなければしない方がいいかも知れないな」
というのだ。
「どうしてですか?」
と聞くと、
「確かに昔と違って今は実力主義が増えてきたので、何とも言えないだろうが、募集する会社というのは、社員が辞めたから募集するんだよ。昔のバブルの時代は、事業拡大のための人員がほしくて、しかも、事業を拡大すればするほど儲かる時代だったから、待遇面もよかったのだろうが、今の時代はそんなことはない。社員が辞めた補充の意味での募集ということになると、その会社に入っても、いつまで自分がもつかということも考えないといけない。入った瞬間に、辞めたくなるような会社だってあるかも知れないしね」
ということであった。
なるほど、年から年中募集をかけている会社もある。
「誰も応募しない」
ということなのか、
「入社が決まっても、すぐに辞めていくからなのか?」
のどちらかなのだろう。
実際に、そういう会社のウワサはあまりいいものを聴かない。
「ああ、半年前の募集で入社した人。もう辞めたよ」
という話も平気で聞いたりする。
そんな話を聴くと、
「転職は、迂闊に考えられないな」
ということであった。
その人がどうして半年もしないうちに辞めていったのか、その理由にもいろいろあるだろう。
「給料が、思ったよりも安い」
「ハラスメントや、サービス残業、休日出勤しても、すべて給与のうち」
などというブラック企業の可能性は、かなりの確率であるといってもいいだろう。
「社員のことを考えない会社は、会社としての存在意義がない」
と思っていると、
「本当にそんな会社ばかりだ」
ということが、就活を考え、実際に会社を探してみると、すぐに分かってくる。
「こんな会社ばかりだったら、今の会社の方が、どんなにかマシだといえるだろう」
と思うのだ。
世間では、
「会社は実力主義だから、今の会社にしがみつくことなく、自分に合った会社を探せばいい」
などと、簡単にいうが、そんなのは理想論であり、実際にそんな都合のいいことがあるはずがない。
だったら、不平不満をいうこともなくなるだろう。
不平不満をいう社員は、それだけ、能のない人で、
「実力も才能もないくせに、自分を過大評価して、自分の言い分だけを、表に出そうとするので、そういうやつは、どこにいっても通用しない」
といってもいいだろう。
そんなことを考えていると、
「会社を選ぶなんて、百年早い。お前自身が会社から選ばれない社員だということを、もっと自覚しないといけないぞ」
ということになるだろう。
会社というものは、そういうものであるが、住まいであるマンションの契約も、それと似たところがあるだろう。
要するに、
「ここが嫌だと思って、衝動的に飛び出しても、今空いている部屋が、最高にいい部屋でなくてもいいが、今よりもひどい状態になるかも知れないということを、本当に分かっているか?」
ということである。
つまり、
「そういう覚悟があるか?」
ということなのだ。
確かに、今も最悪で、椎名君のような性格だと、どうしても、ノイローゼのようになりがちで、それでもかなり我慢していることだろう。
それでも、我慢できずに、引っ越してしまうということも当然のごとくありえることであろう。
そうなると、
「衝動的に出てしまったはいいが、その先のことは、ほとんど考えていなかった」
ということだって、あるかも知れない。
だから、そういう意味で、
「相談してほしかった」
のであるが、やはり、自分に的確なアドバイスができる自信がないので、
「相談してほしかった」
というのは、少し違っている。
自尊心をたかめ、自己顕示欲のようなものを感じたいという思いからであろう。
それはやはり、椎名君に対して、
「何もしてあげられなかった」
という思いが、自分の中に渦巻いているからなのではないだろうか?
そんなことを考えると、
「もし、次、どこかで椎名君と遭ったら、お互いに気まずいかも知れないな」
という思いであった。
ただ、気まずいと思うのは、椎名君の方であろう、何といっても、
「相談もせずに、黙って出てきてしまった」
という後ろめたさがあるからではないかと思った。
それでも、刑部の方にも、後ろめたさがないわけではない。
「相談されても、大した助言もできないと思っているのに、相談してほしいなどと、都合のいいことを考えた」
ということに対してであった。
刑部の方も、本当であれば、
「俺だって、こんな部屋、できれば出たい」
という思いがくすぶっていた。
何と言っても、うるさいのを耐えているという気持ちに変わりはない。しかし、前述の危惧を考えると、どうしても、簡単に出るわけにはいかない。もし、引っ越した先で、静かな部屋に入れたとしても、いつなんどき、隣がうるさい環境にならないとも限らないのだ。
環境面で考えるとすれば、
「今」
というピンポイントだけを切り取ってしまうと、
「次の瞬間には、どうなるか?」
ということをまったく考えていないということになる。
それを考えると、引っ越すことはもちろん、現状を自分でいかに切り抜けるかということを考えるのが、一番ではないかと思えた。
今自分でできることというと、
「耳栓をする」
あるいは、
「なるべく、部屋にいる時間を少なくする」
などということであるが、そんな消極的なことを考えると、
「まるで、相手に負けた」
という気になってしまうことが、自尊心を傷つけるということになり、簡単に容認できるものではないのだった。
それを考えると、
「耳栓をしてでも、何か自分で隣を意識しないで済むだけの、没頭できることを考えればいいんだ」
と感じたのだ。
「耳栓をしながらの、読書、あるいは、小説を書いてみるなどの、一歩先に進んだ趣味」
である。
刑部は、大学時代に文芸部に所属していて、
「小説を書く」
ということは、ずっとやっていた。
それをいまさら思い出してやってみようという試みは、少し憂鬱だった刑部に、一筋の光明を与えたのだ。
「そうか、小説か。俺も書いていたんだよな」
と、懐かしさと、その時の、忘れてしまった情熱を思い出すことで、新鮮さというものがよみがえってきた気がしたのだった。
「なるほど、これは、一石二鳥だ」
と感じた。
大学生の頃と違って、今は社会人経験もある。あの頃とはまた違った小説を描くことができる気がしてきた。
そう思うことが、自分の中で、小説家を目指していた自分を奮い立たせることができそうだ。