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平和な復讐

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 つまりは、まわりの騒音がうるさく、夕方など、部屋にいて、勉強しようとしている時に、近所の公園から聞こえてくる、わめき声であったり、マンションの他の住民の子供の声であったりが、相当鬱陶しいと思っているようだ、
 かといって、公園に行って、騒音を聴いても、
「それは別に意識はしない」
 と言っていた。
 それはそうだろう。自分が集中していて、そんな時に、罪もないといえばそうなのだが、それだけに、まわりのことを気にしないというのは、
「非常識という言葉だけで片付けられるものではない」
 ということではない。
 とはいえ、自分たちが子供の頃だって、公園に行けば、まわりを気にせずに、ギャーギャーわめいていたのだから、自分たちと同じくらいの世代の人が親になった時、
「それを子供に推しつけるというのは、いかがなものか?」
 といえるだろう。
 だが、さすがに、うるさいことに変わりはなく、迷惑を被っていることも間違いない。
「クソガキが」
 と言いたくなるのも、無理もないことである。

                 管理人の公務員性

 そんな、刑部だったが、自分と同じような気持ちに、椎名君もなっているとは、最初は思っていなかった。
「椎名君のような、勧善懲悪な性格だったら、自分が我慢しなければいけない」
 と思うだろうと感じていた。
 しかし、実際には、刑部よりも、その根は深そうだった。
「勧善懲悪で、正義の味方だと思っている椎名君でさえ、子供に対しての怒りがひどいということは、俺が子供を鬱陶しがるというのは、至極当然のことなんだろうな」
 と刑部は思った。
 何しろ、勧善懲悪ということがどういうことなのか? そして、ガキどもがギャーギャー騒いでいるのが、どういうことなのかを考えてみた。
 そもそも、感じたこととして、
「親はどうしたんだ?」
 ということである。
 自分たちが子供の頃を思い出して、叱るに叱れないのだろうか?
 普通に考えれば、
「子供というのは、善悪という前に、自分たちが騒いでいることが当たり前だと思っているので、そこで叱られると、わけもなく、自分たちが叱られたということで、普通はおとなしくなる」
 と考えないのであろうか?
 確かに、中学生くらいになれば、体格も大人顔負けにあり、思春期というのは、心も身体も中途半端ではあるが、大人に近づいているのだ。
 だから、その時期の前に、少しでも、子供が考えるべきことを教えておく必要があるのだろうが、
「君子危うきに近寄らず」
 ということで、自分の子供であっても、
「危うき」
 と思うのか、それ以上、何もできないという状態にあることもあるだろう。
「何もしていないのに、これ以上も何もないものだ」
 と思うが、おそらく、親は見守っているだけで、役目を果たしていると思っているのだろう。
 確かに、
「親の役目は子供を見守ることだ」
 といえるかも知れないが、見守る中で、ちゃんとした方向に導くというのが一番大切なことであろう。
 そのうちに、椎名君は、
「公園までの散歩」
 をやらなくなった。
 理由を聞いてみると、
「学校の勉強が忙しくなって」
 ということであったが、その様子が披露気味だったので、
「その言葉にウソはない」
 ということで、気にしなくなっていた。
 しかし、顔色が少しよくなってきたと思っていた頃、よく玄関先で一緒になることが多くなった。どうもお互いに精神的によくなってきた時、会うことが多いようで、この間の顔色が悪い時は、
「たまたまの偶然だった」
 ということなのかも知れない。
 椎名君の大学は、マンションからは結構あるようで、
「一人暮らしをしている人では、ここまで遠い人は珍しいかも知れない」
 といっていた。
 彼の大学は結構マンモス大学といってもいいところで、全国とまではいかないまでも、下宿や一人暮らしの、マンション、アパアート暮らしが多い大学だということであった。
「大学前」
 という電車の駅も最近は、多くなってきていたが、椎名君の通っている大学は、結構昔から、大学前という駅が存在していたのだろう。
「そういえば、最近。大学前という駅が多いよね?」
 と話をすると、
「確かにそのようですね。平成あたりから、スタジアムなどで、命名権のようなものの譲渡があるという話はよく聞きますが、駅名に関してはないようですね。知らんけど」
 といっていた。
 椎名君が、言葉尻に、
「今年の流行語なるものを付け加えて話をするほどに、刑部に対して、信頼を置いているようだ」
 ということであった。
「知らんけど」
 という言い方は結構昔からあったが、それがなぜいまさらのようにノミネートされることになったのか、正直分からなかった。
 話は戻って、確かに、駅名の命名権の問題という話は聞かない。
 しかし、以前の駅名から解明して。
「〇〇大学前」
 という駅はかなり増えた。
 中には、
「他の地区に似たような名前があり、旧国名、藩名のようなものを頭につけて、差別化を図っていたのだろうが、それでも、やはりややこしいということで、若干の問題になったりもするということも理由としてはあるだろう」
 といえる。
「だったら、大学があるんだから、大学名をつければいい」
 ということだ。
 大学側とすれば、名前を冠した駅名というのはありがたいことで、
「では、鉄道会社側にメリットはあるのか?」
 ということであるが、何かしらあるのだろう。
 その証拠に、大学名が変わったり、大学が移転したりして、もうその場にない場合でも、その駅名をそのまま使っていることもある。
 大学ならまだいいのだが、遊園地や、テーマパークを駅名にそのまま使用していたところもあり、その施設が廃業してから、数年経つのに、まだ、その施設の名前が残った駅名が存在しているのだ。
「一体どういうことなのだ?」
 といってもいいだろう。
 存在しない施設の駅名だけが存在しているというのは、まるで、
「電気が通っていない冷蔵庫のようなものではないか?」
 と、いえるのではないだろうか?
 実際にそんな状態の駅が、日本には、私鉄、旧国鉄と、いたるところに存在しているようい思えてならない。
 椎名君は、毎日、遠い学校に通っているのだった。
 通学時間を聞くと、
「3時間くらいかかるんじゃないですかね?」
 ということだった。
 ここから駅までも結構あり、歩いて30分弱と、まずはそれだけで疲れてしまう。
 しかも、電車に乗って一本でいければいいのだが、途中の乗り換えが、4回ほどあるというではないか。
 途中、旧国鉄、私鉄、さらには地下鉄と、
「鉄道会社、オンパレード」
 といってもいいだろう。
 このあたりは、東京、大阪、名古屋などほどの大都会ではないが、私鉄も、地下鉄も通っている。
「平成の市町村合併」
 というもので、さらに都心部が大きくなり、政令指定都市には前からなっていたのだが、
「このあたりの地域一番」
 という大都市になったのであった。
作品名:平和な復讐 作家名:森本晃次