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辻褄合わせ

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 ということであった。
 戦艦数隻を相手に、対外戦争どころか、国内戦争すら想定していない幕府に、太刀打ちできるわけはない。とりあえず、
「協議をするから、1年後にまた」
 ということで、帰ってもらった。
 すると、1年後に約束通りにやってきた黒船に対し、幕府は何ら回答もなく、とりあえっず、書簡を受け取りはしたが、条約を結ぶかどうかは、結論が出なかった。
 しかし、アメリカ側から、
「清国にいた英仏の艦隊が日本を目指している。やつらがくれば、日本は、清国のように、植民地にされるだろう。だが、もしアメリカと条約を結べば、アメリカの通商国として、我々が、英仏軍を退去させることを約束しよう」
 というのだった。
 さすがにそこまで言われては、幕府も応じるしかなく、港を、
「長崎、横浜、函館」
 などと開港し、通商条約を結ぶことにしたのだ。
 ただ、幕府は朝廷の許しを受けているわけではなかった。
 そのこともあったので、その後、完全攘夷派である、
「外国嫌い」
 で有名な孝明天皇との問題が、攘夷論者の力が強くなってきたことで、京都は荒れに荒れ、
「新選組」
「見回り組」
 と呼ばれる、浪士が警察の役割を担う形で、暗殺などが横行したのだった。
 そんな時代が、今度は、
「弱腰の幕府を倒して、攘夷を行う」
 という、
「尊王攘夷」
 が主流にあった。
 しかし、尊王攘夷の中心にいた薩摩と長州は、
「生麦事件」
「関門海峡での砲撃」
 から、英国やその他の国と戦争を起こし、完膚なきまでにやられたことで、
「攘夷はかなわない。まず、強い政府を作って、外国と対等に渡り合えるようにしないといけない」
 という思いから、
「尊王攘夷」
 から、
「尊王倒幕」
 へと変わっていったのだ。
 つまり、この時代というのは、
「新選組」
 や、
「薩長の隊士たちや、坂本龍馬などの登場」
 によって、時代が変わっていったということへの興味。
 さらに、最初は、
「攘夷」
 というだけのところから、
「尊王攘夷」
 というものに変わり、さらに、
「尊王倒幕」
 というものに変わるという、スローガン自体がコロコロと変わる、流動的な時代だったといってもいいだろう。
 そのあたりが、歴史ファンを引き付けるのではないだろうか?

                 時間軸の歪

 さて、もう一つというと、
「武士のおこり」
 あたりから、
「承久の変」
 までという、平安末期から鎌倉初期の時代である。
 そもそも、武士の起こりというのは、平安時代というと、
「貴族の時代」
 と言われる、貴族だけが、歴史の表舞台に登場する時代だった。
 優雅な時代に思われがちであるが、実際には、貴族の間で、ドロドロとしたものが渦巻いていた。
 菅原道真の左遷に纏わる陰謀であったり、追手門が火付けに遭うなど、さらには、伝染病や、飢饉なども頻繁にあった。
 もちろん、他の時代にもあったことだが、
「平安時代というのが、それほど平和あ時代ではなかった」
 ということは、明らかに間違いだったのだ。
 何しろ、宮中文化というものが、国風文化として花開いた時代で、
「ひらがなの登場」
 であったり、
「枕草子や源氏物語」
 などの、小説や随筆が流行ったことで、平和に感じるのだろう。
 しかも、藤原摂関家の力が増大で、
「平安時代というのは、藤原摂関家の時代だ」
 といってもいいくらいであった。
 だから、荘園なども、ほとんどが藤原氏が抑えていたり、有力寺院が抑えていたりした。
 だが、寺院や一部貴族が、荘園を守る、
「武力警察」
 のようなもので自分の領地を守ろうとしたことで、
「武士」
 であったり、
「僧兵」
 と呼ばれるものが出てきたのだ。
 武士は、次第に、貴族間の争いであったり、藤原摂関家、さらには、天皇家の後継者争いにまで口を出すようになった。
 武士の反乱はそれまでにもあり、
「平将門・藤原純友の乱」
 であったり、
「東北清原家の内乱」
 などに端を発した、
「前九年、後三年の役」
 などというものがあったのだった。
 そしていよいよ、
「藤原摂関家の対立」
 と、
「天皇後継問題」
 とが重なって起こったのが、
「保元に乱」
 であった。
 そこで、平清盛と、源義朝側が勝利したことで、二人の権力が増大したが、実際には、平清盛の方が明らかな優遇を受けていたのだ。それに不満があった源義朝が兵を挙げたが、結果負けてしまったのだった。
 そのせいもあり、頼朝、義経と、源義朝の子供たちは流人となったが、その流人が平家を倒すことになる。それを、
「治承・寿永の乱」
 という。
 いわゆる、
「源平合戦」
 のことである。
 この戦いは、平家が、清盛の死によって、勢力が衰えてしまったことで、力も衰えたところを、木曽義仲に都を追い出され、
「源氏内部の同士討ち」
 というものが起こっている間、福原に逃れたが、福原では、兵を立て直すこともできず、結果、義経に追い込まれ、滅亡してしまう。
 しかし、その義経も、頼朝に排除され、鎌倉が、政治の中心になった。
 ただ、せっかく成立した鎌倉幕府だったが、頼朝の突然の死によって、荒れに荒れた。
 御家人同士の潰し合いというか、
「北条氏が、権力を握りたいがための、パワーゲーム」
 だったのだ。
「梶原景時」
「畠山重忠」
「二代将軍頼家」
「比企氏」
 さらには、
「和田義盛」
 と、怒涛の粛清劇だったといってもいいだろう。
 ほとんどの御家人を滅ぼして、北条だけになったといってもいい状態にしたのは、二代目執権であった、北条義時だったのだ。
 そして、最後に朝廷と幕府の全面戦争であった、
「承久の変」
 によって、朝廷が敗れたことが、この時代のターニングポイントになったのだった。
 これが三つ目の時代だが、この時代は、他の2つの時代から比べれば、少し地味であろう。
 しかし、某国営(?)放送の1年続く歴史ドラマでは、ほぼ、この3つの時代を繰り返しているといってもいいだろう。
 もちろん、違う時代もあるが、興味を持てるという意味で、なかなか、他の時代は1年のドラマとして描くのはなかなか。難しいものなのかも知れない。
 歴史というものを勉強するにあたって、どの時代を考察するかということを考えた時、この3つ以外を考えることはなかった。考えたとしても、あ飛鳥時代から奈良時代に続く、律令制度の時代が多いかも知れない。
 最近では、言わなくなった、
「聖徳太子」
 いわゆる、
「厩戸皇子」
 の話から、蘇我氏一族、馬子、蝦夷、入鹿の時代に続いて、入鹿の時代に栄華と誇った蘇我氏だったが、そこで、中大兄皇子と、中臣鎌足によって、
「乙巳に変」
 を起こされたのだ。
 その時代には、律令制度は、正直、確立していなかった。
 しかし、その後の天武天皇の時代になってだいぶ確立したのだが、その時代が、激動の時代であることを示しているのだった。
 その証拠に、
「大化の改新から、どれだけの土地に遷都したというのか?」
 ということであった。
「飛鳥に始まり、難波、さらに筑紫と、信楽にあった時代もあった」
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次