小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

辻褄合わせ

INDEX|5ページ/20ページ|

次のページ前のページ
 

「無から有を生み出すのは、何も芸術だけではない」
 ということだった。
 大学時代に、
「もう一度、絵画や音楽に挑戦してみよう」
 という思いを抱いのも事実だった。
 しかし、実際にやってみると、
「もう一度やってみたい」
 と感じたその時に戻って、
「お前にはできるわけはないんだ」
 と言ってやりたいと思う程の、
「黒歴史」
 といってもいいほどの、ひどい言い方をすれば、
「時間のムダだった」
 ともいえる感覚に、
「その時間を返せ」
 と自分が悪いということを棚に上げて叫びたい気分にさせられるくらいだった。
 ただ、逆にいえば、変に粘って、さらなる時間を浪費したわけではなく、結構あっさりと諦められたことはよかったかも知れない。
 だからこそ、別の趣味が出てきて、その趣味に走ることができたのも、
「早く諦めがついたおかげだ」
 といってもいいだろう。
 絵画、音楽、それらが一番の芸術であり、自分にできる、
「無から有を作り出すことだ」
 と思い込んでいたが、どうやら、自分の思い込み違いだったようだ。
 今まで気づかなかっただけで、
「忘れていた」
 といってもいいことだろう。
 それは、
「芸術」
 という言葉を必要以上に敏感に感じたことで、気付かなかったということかも知れない。
 それを感じさせたのは、マサツネという男が、
「歴史という学問が好きだった」
 というところから出発していた。
 歴史という学問は、中学の頃から好きではいたが、自分の中で、どうしても盛り上がってこないところがあった、
 中学高校時代に関しては、
「面白い学問だ」
 という認識はあったが、だからと言って、
「それ以上を深堀して勉強しよう」
 とは思わなかった。
 しょせんは、
「学校の一教科に過ぎない」
 というだけのことだったのだ。
「なぜ、そんな風に思ったというのだろう?」
 と考えてみると、そこに、一つの結論めいたことが頭に浮かんだのだ。
「そっか、暗記物の科目なので、無から有を生み出すという発想とはまったく結びつかないことで、興味はあっても、それ以上には進まなかったんだ」
 という、当たり前のことだというような思いを、いまさらのように感じたということを思い知った気がした・¥。
 中学時代の歴史は、時代を本当に時系列として、教えられたので、正直。
「これが学問なのか?」
 というように、100年単位が、1時間ほどで通り過ぎてしまうという展開に、驚いていたといってもいい。
 だから、余計に、時代が薄っぺらいものに感じられ、歴史という舞台のどこにクライマックスがあるのか分からなかった。
 高校時代になると、もう少し詳細な歴史を勉強するようになると、
「それぞれの時代が一つの歴史のように感じ、それが積み重なって歴史が作られる」
 と思うようになると、さらに、深いところ、つまりは、一つの事件が一つの歴史というところまで知りたいと思うと、昔から、歴史に詳しいやつに、造詣が深かったと思ったのだが、その理由が分からなかった。
 だが、歴史の深堀を考えていくうちに、かつて感じた、歴史に詳しい人に尊敬の念を抱く理由が分かってきた気がするのだ。
 ということであった。
「歴史というのは、時系列に繋がっているように思うが、そのところどころにターニングポイントがあって、そのポイントから、さかのぼってみたり、時系列に見てみたりするのが、歴史の醍醐味なのだ。だから、歴史好きといっても、この時代には詳しいが、他の時代はブラックボックスだという人もいるんだよ。私は、歴史は自由だと思う方なので、それはそれでいいと思うんだよ」
 といっていた先生がいた。
 確かにその通りで、歴史を勉強するというのは、楽しいこともあれば、きついこともある。だから、
「得意な時代、苦手な時代があってもいい」
 と思う。
 しかも、歴史は、
「ヒューマンドラマ」
 である。
 つまり、歴史を勉強するということは、いろいろなことを吸収するというより、一つ一つ理解していかないと、うまくいかない。時系列にしてもそうだが、人が織りなして、作られるものが歴史ではないか。つまり、歴史というものが、自由だというのは、そこから由来しているのだろうと、マサツネは感じた。
「今があって過去がある。逆に、過去があって今がある」
 どっちを言われたとしても、間違いではない。どちらにインパクトを感じるかということであるが、単独で言われれば、意識はどちらにもあることだろう。
 つまり、どちらも間違いではないということも言えるのであれば、一歩間違えると、
「どちらも間違いかも知れない」
 ともいえるだろう。
 これは、歴史に限って言えることではなく、他のことであっても言えることなのではないだろうか? 
 それを思うと、歴史を勉強することが、どれほど大切なのかを思い知らされるが、自由である以上。勉強しないのも自由。だから、余計に、歴史というものを勉強してみると、
「歴史が嫌いだ」
 という人を見て、
「実にもったいない」
 と思うのだった。
 ただ、歴史に興味を持つ人のほとんどが、3つくらいになるだろう。
 一番はなんといっても、戦国時代だといえるだろう。
「群雄割拠」
 という戦国時代には、今の時代ではありえないことが行われている。
 特にサラリーマンなどのように、今の社会にどっぷり浸かって、階段を昇っていくしか手がない世の中では、
「君主を倒して、自分が成り上がる」
 という、
「下克上」
 と呼ばれる世界は、魅力に感じることだろう。
 しかも、天下統一がなった後、秀吉が行った政策。晩年は、
「朝鮮出兵」
 であったり、
「秀次事件」
「利休事件」
 などの、悪名高きものもあったが、信長なき後、天下を統一するまでの政策は、見るべきものがあったといってもいいだろう。
 さらに、秀吉が死んでから。満を持して頭角を現した家康も、
「徳川家安泰」
 を基本として海外貿易、各大名の処遇、豊臣家の仕置き、さらに、
「幕府政権を、世襲で行う」
 というやり方をしていることは、260年という幕府による、
「天下泰平」
 の世の中の基礎を作ったという意味で、大切なことであっただろう。
 ここまでの、戦国期、織豊機、江戸初期が一つの時代となることだろう。
 その次の時代としては、
「幕末」
 ではないだあろうか?
 幕末というと、基本的には、
「黒船来航」
 ということになる。
 当時日本は、鎖国政策(諸説あり)を行っていて、それまでに、ロシアの船が通商を求めて、蝦夷地に来ていたことがあったが、松前藩などが、
「幕府の窓口は、長崎の出島である。長崎に行かれたし」
 ということで、長崎にいってもらうということで、事なきを得ていたのだった。
 しかし、この時んお黒船だけは、そうもいかなかった。
 というのは、アメリカ側が、
「大統領の親書」
 と認めていたからであった。
 しかも、戦艦数隻で来ていて、下田の奉行が、
「長崎にいってくれ」
 といっても、ペリー提督は、
「そうはいかない。こちらは大統領の書簡を持っているんだ。もし、幕府い取り次いでもらえないとすれば、我が艦隊で一戦交える覚悟だ」
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次