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辻褄合わせ

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 と呼ばれるようなことを、神話などで後付けで解釈することで、今の世の中があるというような形である。
 そういう意味で、ニムロデ王の愚かな行動に対して、
「天に唾するものは、自分の返ってくる」
 ということになるのだろう。
 そういう意味で、すべての不思議というものを解決するのに、絶対に不可欠な存在として、
「神の君臨」
 というものがあるのだろう。
「神がいなければ、説明がつかない」
 ということであれば、なるほど、神を崇めるという宗教が流行り、いつまでもなくならないはずである。
 その中に、
「本当に人間を救ってくれるという神というのは、本当に存在するのだろうか?」
 というところに行き着くことになるのだ。
 プログレというジャンルの音楽が70年代前半だったとすれば、後半は打って変わって違うジャンルの音楽が流行っていた。
 その音楽を、
「キャンディポップ」
 と呼んでいた。
 その時代は、
「歌いやすく、口ずさみやすさがあった」
 といってもいいだろう。
 ビートルズサウンドを彷彿させるものもあれば、
「ひょっとすると、プログレバンドの人たちが目指したポップスという音楽を突き詰めると、こういう音楽になったのかも知れない」
 と言えるものだったのかも知れない。
 日本でも結構カバーされたりして、日本のアイドルだったりが歌っていたりした。ただ、こちらも、そんなに長くヒットしたというわけでもなく、プログレと同じく、5年ももったわけではなかった。
「というより、5年ももてば、もった方ではないか?」
 と言えるのではないだろうか?
 ビートルズはもう少し長かったかも知れないが、一つの音楽の流行りを考えると、5年がいいところなのかも知れない。
 80年代に入ると、いわゆる、
「ブリティッシュロック」
 というものが流行った。
 しかし、この頃になると、他の音楽も並列して流行っているという雰囲気もあった。だからなのだろうか、ブリティッシュロックは、ブームとしては、プログレや、キャンディポップのように、
「そのジャンルだけが突出していた」
 というよりも、
「違うジャンルの曲も流行っていた」
 ということもあってなのか、
「熱しやすく冷めやすい」
 というわけではなく、
「熱くなりにくいが、その分、急激に冷えることもない」
 ということで、その後も、地味になってはくるが、ジャンルとして消えることもなく、一つの音楽ジャンルとして確立されたものになっていったといってもいいだろう。
 それが、80年代に入ってからのことだった。
 マサツネは、まだ30歳なので、その頃の音楽を知らない。しかし、今の音楽を聴いていて、次第に、
「過去にさかのぼって聴いてみよう」
 と思うようになった。
 特にブリティッシュロックやユーロビートと呼ばれるものに興味があり、どんどん遡っていくうちに、80年代前半に辿り着いたのだ。
「今から40年前の、僕の生まれる前というのは、こんな音楽を聴いていたんだな」
 と思うと、何かこみあげてくるようなものがあった。
 それがどこから来るものなのか、自分でもよく分からなかったが、心の奥からこみあげてくるものがあったのは確かで、特に、
「ミュージックビデオ」
 昔でいうところの、
「プロモーションビデオ」
 と一緒に見ると、結構迫力があり、音楽だけを聴いていても、ピンとこない世界観を感じることができるのだった。
 何しろ生まれてもいない時代で、歴史の授業で、普通に、
「現代史」
 として出てくるレベルのものである。
 そういう意味では、80年代を知っている世代というと、自分たちの親世代が、まだ学生時代くらいの頃ではなかっただろうか? 
 一番音楽を聴いた時代に流行っていた音楽を、息子世代がまた聞くことになるとは、思ってもいなかっただろう。
 ただ、日本の音楽よりも、外国の曲の方が入りやすいかも知れない。
 日本の音楽であれば、あまり音楽に興味のない人でも、友達との話題であったり、テレビやCM、さらには、街中で流れている音楽などを聴くことで、育ってきた中での、
「流行の音楽」
 を肌で感じるということになるであろう。
 だから、これは、音楽だけに限ったことではないのだが、
「古いものが、劣っている」
 というような認識を、無意識のように感じているのかも知れない。
 余計に、新しいものを求めるということでは、少しは必要なことなのかも知れない。新しいものを求めるということが、探求心に繋がり、新たなものを生み出していく。特にマサツネは、
「何もないところから、新しいものを生み出す」
 ということが好きだったのだ。
「無から有を生み出す」
 という意味で、クリエイティブな趣味を模索した時代があった。
 それが、大学時代であり、芸術など、いろいろ手を出したものだった。
 その中で、最初に興味を持ったのは、音楽だった。
「作詞作曲などをしてみたい」
 と思いから、音楽を聴いていたというのも、間違いではない。
 ただ、意外と早い段階で音楽は諦めた。
 そもそも、小学生の頃から音楽は嫌いだった。これは、音楽に限らず、芸術的なことは、すべて嫌いだったといってもいい。
 音楽の場合は、まずは、小学校で教わる楽器が大の苦手で、
「何でこんなことをしなければいけないのか?」
 と思ったくらいだ。
 特に、マサツネは指が短かったことで、縦笛などのような、指で穴をふさぐような楽器は、不利だったのだ。
 それなのに、学校では、
「そんなことはおかまいなしに、強制的にやらせている」
 と思うと、本当に理不尽だと思うと、音楽という授業自体、すべてが嫌になったのだった。
 小学校の授業は、そういう意味で、図工の授業も嫌だった。
 元々、あまり器用ではないマサツネに、繊細なタッチを必要とする、絵画などできるはずもなかった。
 特に絵の具がいつも身体や服にべたべたついて、気持ち悪いだけでしかないと思っていたのだった。
 教える側は、そんなことはお構いなしだ。
「学校なんだから、やらなきゃいけない」
 といって、教育という隠れ蓑の後ろで、ほくそえんでいるように見えるのは、先生が自分を苛めているかのような錯覚にさえ陥らせたのだった。
 そんなことを考えていると、
「俺は芸術的なことには向かないのだ」
 と思うようになった。
 しかし、その頃から、
「無から有を生み出す」
 ということに関しては、特別な思い入れがあったことは自分でも分かっていた。
 だから、それが何に将来的に結びつくのかということが、見えてこなかったことで、無意識ではあるが、
「ジレンマのようなものに陥っていたのではないか?」
 と思えるのだった。
 だが、そのくせ、作曲家であったり、画家や彫刻家のような人たちに憧れていた。
「自分には到底なれない」
 と最初からあきらめていたこともあって、
「手の届かない存在だ」
 ということを感じると、余計にそ人たちが偉大に感じられるのだった。
 だから、大学時代になると、憧れが沸騰してきたのだ。
「なれないという思いと、なりたいという願いとの葛藤」
 というものが、マサツネの中で渦巻いていた。
 ただ、大学時代に感じたのは、
作品名:辻褄合わせ 作家名:森本晃次