辻褄合わせ
「趣味の合う人間だけで、会話をしたり、話題を盛り上げたりできるというのも、SNSの醍醐味であり、魅力だ」
といえるのではないだろうか?
ツイッターをやっていると、自分が選んだカテゴリーのツイートしか出てこなかったりするので、会話もスムーズだ。フォローをすれば、その人の記事が中心に出てくる。
人によっては、フォロワー数を増やすことだけを中心にしている人もいるようだ。
もちろん、それも立派な運営方法なのだろうが、実際にコミュニケーションをしようと思うと大変ではないだろうか? たくさんの人のツイートが出てくるので、本当に会話をしたい人のが一目で見るのも、難しくなる、
当然、それらを一括りにしてみることもできるのだろうが、それも増えてくれと、結局、また混乱が生じる。そういう意味で、マサツネは、
「あまりフォロワーをむやみに増やすのは、得策ではないかな?」
ということで、一定のフォロワーをキープしていた。
そもそもが、
「コミュニケーションが目的だ」
と思っていたので、フォロワー数を増やしまくるのは、趣旨に反するといってもいいのではないだろうか?
そんな中で、アツシとの会話は楽しかった。たまにDMで話をしたり、音声チャットでは、お互いに、まわりの人の意見と、ガチでぶつかる時でも、ガチで会話をしているのはどちらかだけで、片方は、もう一人が窮地に立たされた時、一緒に煽るのではなく、逃げ道の一つとなって受け入れるような形を取っていた。
それも自然に受け入れる形なので、安心して、ガチな会話ができるのだった。
受け入れた方も、
「いつものことだね」
といって、笑っているが、受け入れられた方も、見えないとはいえ、声だけで、相手が苦笑いをしていることを理解していた。
最初の頃は、お互いに少し違った意見を持っていて、意見が衝突しているのだろうと思っていたが、
「実は、考え方が似かより過ぎていることが、却ってそのことを分からないようにしているのではないか?」
ということに気づいて、口にしたのは、アツシの方だった。
マサツネも、二人の関係を、
「いい関係だ」
と思っていたが、それよりも、衝突する内容に違和感を感じていて、
「嫌ではないんだけど、たまに、とげのようなものを感じることがある」
と思っていたのだ。
「そうか、似かより過ぎているということまでは、考えなかったな」
というと、
「俺もやっと最近気づいてきたんだよな。お互いに惹き合っているのに、どこか、相いれない考えがあるんだってね。譲れないところが同じだから、お互いに、違いが微妙であればあるほど、見えているものが見えなくなっているような感じといってもいいかな? まるで遠視のような感じかな?」
とアツシは言った。
適度な距離は一番よく見えるが、今度は近づきすぎると、焦点がぼやけてしまって、見えているはずのものが見えないという感覚である、
まさに、今感じていることではないかと思うと、
「実にうまい表現をする」
とばかりに、感じるのだった。
そういう意味で、
「お互いに近づきすぎないようにしないといけないな」
という気持ちは無理もないことであり、
その時に感じたのは、普段からお互いに考えている、
「時系列のずれ」
というものだった。
「時って、皆、規則的に刻んでいるものだと思っているようだけど、本当にそうなんだろうか?」
と、音声チャットでアツシが口にしたことがあった。
「また、変なこと言い出したぞ」
と、周りが感じるのではないかと思い、空気を読もうとしたが、しょせん、声だけの世界、そんなに簡単に分かるもののはずはないだろう。
マサツネは、そう思いながら、とりあえず、アツシの会話を黙って見守ることにした。
「時間というのは、誰が考えたのか分からないけど、実際に規則的に刻んでいるでしょう? 今のように時計がある時代はいいけど、機械的な時計のない時というのは、日時計などのように、自然の力に頼ることになる」
とアツシは言った。
アツシが何を言いたいのかということまで、正直すべて分かっているわけではない。だが、少なくとも考え方が同じであることに変わりはないのだった。
「確かにそうだな」
と、会話の中で誰かが相槌を打った。
誰かが打たないと、ガチな会話が、固まってしまうように感じたからだろう。
ガチな会話は固まってしまうと、本当に、そこで誰も口を出せなくなってしまい、その場が壊れてしまうだけではなく、それぞれに小さなトラウマを植え付け、今度から、誰も何も言えなくなるんじゃないかという感じで、結局、喋ることができなくなるのはおろか、このメンバーで集まることが怖くなってしまうのではないかと思えた。
マサツネは、そうなったらそうなったで、
「別にかまわない」
と思っていた。
しかし、アツシの考え方は、そうではないように思えた。ただ、メンバーの執着しているわけではないのだが、どこか、彼は、会話ができる相手でないと、どうしようもないと思っているに違いない。
アツシは続けた。
「確かに、機械時計のない時代は、時間が分かる時、つまり、1時間おきか、2時間おきか? それとも、一日の中のターニングポイントである、朝昼晩の入り口か出口を考えているのかも知れないな」
というと、その言葉に反応した人がいて、
「今、入り口か、出口と言ったけど、出口のすぐ次が入り口じゃないかのように聞こえたんだけど?」
というではないか?
「そうなんですよね。入り口と出口が、すぐそばにあるという考え方は、果たして正しいものだといえるんでしょうか?」
という。
「どういうことですか?」
と聞かれて、
「朝日だって、地平線に、一瞬でも顔を出した時が、朝日なのか、すべてが出切ってしまったからが朝日なのか、多分厳密に決まっているんでしょうね。それに夕方だって、あたりが暗くなってから、日が沈むまでが、どっちなんでしょうね。昼なのか夕方なのかですね? そこには、いくつかの細かい時間が存在しているわけですよね? たとえば、風がまったく無風になる夕凪という時間であったり、魔物と遭うと呼ばれる、ものが見えにくいという、逢魔が時と呼ばれる時間帯ですね? 同じなのかも知れないけど、言葉が違っていることで、違う時間だと思うのも。無理もないことなのかも知れないですね」
という。
少し理屈っぽくて、
「これじゃあ、会話に参加できずに離れていく人がいてもしょうがないか?」
と感じるのだった。
だが、マサツネは。その考えに限りなく近いところがあると思っているが、実際に考えて、
「思った以上に距離があるような気がする」
と考えるのだ。
となると、考えているその時間というのは、どれだけの広さだというのか、想像もつかないほどだといえるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、以前、他の人から言われたことを思い出した。
その時、マサツネもアツシが会話をしているところに割って入るような感じで、全面的にアツシの意見を擁護していた。
しかし、まわりが聞いていて、
「二人とも、似ても似つかぬような話題で、よくあれだけの話ができるな」
と言われたのだ。